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昼下がりの風が静かにそよぐ裏庭の木陰で、僕とセレスは並んで腰掛け、買い取ったパンを口に運んでいた。 けれど、木漏れ日の穏やかさとは裏腹に、二人の間に漂う空気は重く沈んでいる。ここ最近、学園内を包み込んでいる底知れぬ恐怖の影が、僕たちの会話にも暗い影を落としていたのだ。
「……今日、僕たちと同じクラスの男の子が一人、いなくなったんだ」
僕が静かに切り出すと、セレスはパンを噛む手を止め、真剣な眼差しをこちらに向けた。
「あの話か……。最近はこの話題で持ちきりだな」
「うん。それだけじゃないんだ。今日、僕より一つ年上の先輩が、玄関ホールで縄で縛られた状態で倒れているのが見つかった。腕が変な方向に曲がってて、体中傷だらけで……朝一番で発見した先生によると、最初は生きているのかどうかも分からないくらい無残な状態だったらしい」
「酷いな……。私はまだその現場を直接見たわけではないけれど、漏れ聞こえる噂だけでも十分に常軌を逸している」
僕の脳裏には、今朝廊下を包んでいた尋常ではないざわめきと、血の匂いが蘇る。被害に遭った生徒の保護者が取り乱して学院に乗り込んできたという話も、瞬く間に校内に広まっていた。
一日、また一日と日が経つにつれ、一人、また一人と生徒が行方不明になり、そして次の日には校庭や裏庭に凄惨な姿で打ち捨てられている。そんな不気味な連鎖が、もはや日常となりつつあった。 犯行の時刻も、現場も、その手口すら一切が不明。学院の教員や警察が総力を挙げて調査を進めているものの、手がかりひとつ掴めていない。
「……前も言ったけれど、セレス、本当に気をつけてくれよ」
「ふふ、心配してくれてありがとう、スピ!」
セレスはいつものようにヘラヘラと笑ってみせた。けれど、その笑顔の奥に隠されたわずかな不安に、僕は気づいていた。無理に笑って見せているのだと。
次に狙われるとしたら、絶対にセレスだ。
この学院で今最も有名で、飛び抜けた才能を持つ者――その筆頭が彼女であることは、誰の目にも明らかだったから。
何が起こってもおかしくない恐怖の中で、セレスはわざとらしく明るい声を張り上げた。
「な〜に難しい顔して考え込んでるの、スピ! 私の心配ばかりしていて大丈夫? 今日は水魔法の実技テストでしょ!」
「あっ……そうだ! やばい、一気に不安になってきた……」
「大丈夫だって! ここ最近すごく練習して上達していたし、緊張でガチガチにさえならなければ絶対いけるから!」
「そうかな……」
「大丈夫、大丈夫! タブンネ!」
「……タブンネって何だよ」
「あはは、冗談だよ、冗談! リラックスして臨めば大丈夫だって!」
「……はぁ、まあ、自分にできる限界まで頑張ってみるよ」
「うん! 応援してる――」
その言葉を遮るように、澄んだ鐘の音が響き渡った。
『キーンコーンカーンコーン――』
「あっ、予鈴だ! 早く戻らないと!」
「もうこんな時間かよ! 急ごう!」
僕たちは慌てて立ち上がり、校舎へ向かって駆け出した。
教室の扉を開け、僕が自分の席に滑り込むのとほぼ同時に、重々しい足音とともにサーラン先生が入ってきた。今日の一見で精神的にも少し疲れているようだ。学院全体の不安の声、それを直接感じているのが先生という立場の人間だろう。
「これより授業を始める」
淡々とした声でそう告げると、先生は教卓にノートを置くや否や、詠唱をし携えた杖を静かに振るった。
その瞬間、教室内の全デスクと椅子が、まるで生き物のように滑らかな動きで壁際へと移動していく。 空間転移の系統に属する、高位の応用魔法。まだ授業では習っていない領分だが、これほど大規模な現象を無駄のない動作で引き起こすその手腕に、教室内から息をのむ音が漏れる。
「前回は別の場所で行ったが、本日はこの広げた教室にて執り行う。初級水魔法『水鏡の盾』の実技テストだ。名簿順に前へ出よ」
広々とした空間が完成すると、試練の刻が始まった。 一人、また一人と中央へ進み出て、詠唱を紡ぐ。今のところ、不合格者は一人も出ていない。周囲の成功が積み重なるほどに、僕の胸を締め付けるプレッシャーは重く、鋭くなっていく。
杖を握りしめる掌には嫌な汗が滲み、膝が小刻みに震え始めた。緊張で視界がかすむ。
「次、スピネル」
名前を呼ばれたはずなのに、足が竦んで動かない。
「……次、スピネル!」
「「次! スピネル!」」
「は、はいっ!」
先生の強い叫びにハッと正気に戻り、僕は裏返った声を上げた。 生きた心地がしないまま教室の中央へ歩み出る。ふと先生の後ろに目をやると、見学席のセレスが両手を強く握りしめ、ガッツポーズを作っていた。そして、声を出さずに優しく口元を動かしている。
(お・ち・つ・い・て。だ・い・じょ・う・ぶ)
その一言が、パニックになりかけていた僕の心に小さな灯をともした。僕は小さく頷き、口パクで返した。
(あ・り・が・と・う)
深く、大きく息を吸い込む。周囲の静寂の中で、ドクドクと跳ねる自分の途方もなく早い鼓動だけが、耳元でうるさいほど響いていた。
諦めたくない。セレスが見守ってくれている。少しでも、僕の成長を見せたい。
杖を真っ直ぐ前方へ突き出す。
「清らかなる水よ、我を守る壁となれ!――『水鏡の盾』!」
魔力を振り絞ると、目の前に淡い水色の魔法陣が展開し、綺麗な水の膜が立ち昇った。 よし、出来た――!
そう思ったのも束の間、わずか二秒が経過した瞬間、水の壁はパッと弾けて儚く泡となった。
「あ……」
手応えは消え、冷たい静寂が残る。
「スピネル。惜しかったな。だが、維持時間が足りん。不合格だ。明日の放課後、補習と再テストを行う。
忘れずに来ること」
「……はい」
サーラン先生の冷徹な宣告と同時に、後ろの方からヘマタイトたちの蔑むような忍び笑いが聞こえてきた。僕の次にテストを受けた生徒も軽々と合格を決め、通り際に見下すような嘲笑を浮かべていく。
(やっぱり、僕なんかじゃダメなのかな……)
惨めさと悔しさで俯きそうになる。けれど、次の番はセレスだった。 僕は必死に感情を押し殺し、中央へ進み出るセレスに向けて、無理に笑みを作りながら口を動かした。
(が・ん・ば・っ・て)
セレスは一瞬こちらを見て、心強い微笑みを返すと、凛とした表情で前を見据えた。 教壇の前に立ち、静かに手をかざす。
「水よ、我に付き従え――」
その美しく透き通った詠唱が響き渡った、まさにその瞬間だった。
ポンッ、と不快な破裂音が響いたかと思うと、一瞬にして視界を遮る濃密な白色の煙が教室中に充満した。
「な、なんだ!?」
「ゴホッ、前が見えない!」
混乱する教室の中で、鋭い悲鳴が空間を切り裂いた。
「キャーーーッ! やめて、放して! ちょ、何すんの――……!?」
それは、間違いなくセレスの声だった。
「セレスタイト! どこだ、おい! 大丈夫か」
サーラン先生の怒号が飛ぶが、煙は視界を完全に奪っている。
僕の心臓は、さっきの緊張とは比べものにならないほどの激しい恐怖で脈打ち始めた。ドクドク、ドクドクと、頭の中で血の巡る音が爆音のように響き渡る。 思考が真っ白に染まっていく。
セレスが……? 嘘だろ……どうしよう、どうすればいい!? 僕に何ができる!?
僕じゃ何もできないじゃないか、、、、、、、、、
動転する僕の横で、誰かが叫びながら教室の窓を投げ倒すように開けた。強い風が吹き込み、渦巻いていた白煙が少しずつ外へと押し出されていく。
徐々に視界を取り戻していく教室。 誰もが息をのんで中央を見つめた。
しかし、そこに立つべきだった白髪の少女の姿は、どこにも残されていなかった。




