第19話
《セス辺境伯の娘 セシル・セス》
――ぺちっ
セシルは怪しい男――ベンに手袋を投げつけた。
「これは何ですかな?」
ベンが首を傾げる。
表情は見えない。
相変わらず、怪しい仮面をしているからだ。
「アナタに決闘を申し込むわ!」
セシルは堂々と宣言した。
「……けっとう……?」
庭の片隅で揺り椅子に座る父の、どんよりとした瞳がキラリと輝いた。
「決闘? 何のための決闘ですかな?」
ベンがねっとりとした口調で聞いてくる。
「私とアナタは、争うべき間柄にはありません。むしろ手を取り合うべき関係――」
「白々しい! 父や使用人たちを洗脳しておいて、よくもまぁぬけぬけとそんなことが言えるわね!」
セシルは父の顔をちらりと見る。
やはりと言うべきか、父は『洗脳』というワードには無反応だった。
ベンにとって都合の悪い話には反応してくれないのだ。
だが、『決闘』というワードには反応を示した。してくれた。
「私が決闘に勝ったら、父や使用人たちにかけた【洗脳魔法】を解いてもらうわ」
「洗脳というのが何の話かは分かりませんが、私が勝った場合は?」
「この婚姻、潔く受け入れるわ」
「我らは辺境伯閣下ご公認の仲なのですよ。決闘などせずとも、私とアナタは結婚することになっている。私にメリットのない決闘ですな」
「あら、怖いのかしら?」
セシルは挑発してみた。
が、ベンは乗ってこない。
「そうは言っておりませんが。メリットを提示していただかなくては」
「逃げるの?」
そのとき、驚いたことに、父が立ち上がった。
ベンがこの家に根を張って以来、父は寝ているか揺り椅子に身を沈めているばかりで、衰弱する一方だった。
そんな父が自ら動くのは、非常に珍しいことだった。
「決闘……決闘から逃げるのは許さん」
父がぶつぶつとつぶやいた。
(上手くいった!)
セシルは心の中で喝采を上げた。
常在戦場、脳みそまで筋肉でできているタイプの父は、力比べとか決闘といったものを好む。
逆に、決闘から逃げようとする輩をめちゃくちゃ嫌う傾向にある。
どれだけ衰え、心を操られていようとも、父の心根までは変わらない……セシルはそう信じていたのだ。
「うぐぐ……仕方ありませんな」
ベンが折れた。
洗脳されているとはいっても、父はこの場では最も偉い辺境伯なのだ。
その父が『許さない』と言った以上、ベンは決闘から逃れることができない。
父が執事を呼んだ。
執事が父のそばに駆け寄る。
「剣を2振り持て」
「かしこまりました」
「お父様、私はこの剣を使いますわ。【アイテムボックス】」
セシルは虚空からツヴァイハンダー――全長2メートル弱の大剣を取り出してみせた。
レベル50までの道すがらでSTR値もそこそこ上げているため、【重量魔法】無しでも構えることができるようになったのだ。
さすがに、攻撃として振るには【重量魔法】が必要になるが。
「おぉ……セシル……」
父の顔がほころんだ。
あの父が。
セシルのことを失敗作と罵り、『早く子供を産んで血統魔法を継がせろ』と冷たく言い放った、あの父が。
やはり父も本心では、セシル自身に強くなってほしかったのだ。
(お父様が喜んでいる……!)
そのことが、セシルは震えるほどうれしい。
「両者、前へ」
父が中庭の開けた場所に立ち、自ら審判になった。
見るからにウキウキした様子だ。
セシルとベンは父に導かれるまま、数メートルの距離を開けて向かい合う。
「よもや、身体強化魔法まで卑怯とは言いますまいな?」
「言わないわ。私だって魔法を使うもの」
「では――【STRバフ】! 【STRバフ】! 【STRバフ】! 【AGIバフ】! 【DEXバフ】!」
ベンの体がバフ魔法で輝いた。
(一度にバフを5個もかけれるなんて……やっぱり手強い奴。でも、VITを1個もバフらないのは、明らかな油断よ)
VITは耐久値、物理防御力だ。
もちろん今のセシルは、相手がバフで防御力を上げたとしても、その上から叩き斬るだけの自信があったが。
「始め!」
父の号令のもと、決闘が始まった。
◆ ◇ ◆ ◇
《冒険者 アリス・アリソン(俺)》
「急げ急げ……!」
俺はマオと一緒に、森で『惑わし草』の採取に勤しんでいた。
セシルたちの決闘が始まる前に、できるだけたくさんの洗脳解呪ポーションを用意する必要があるからだ。
セシルはすでに、一流の剣士だ。
恐らくは、あの男相手にも勝つことができるだろう。
だが、勝負がついたそのときに、あの男が大人しく引き下がるとは思えない。
最悪、奴が破れかぶれになって大規模【洗脳魔法】を撒き散らす恐れがある。
そうなった場合でもすみやかに解呪できるよう、大量のポーションを持っていかなければ!
「急いで、マオ! 早く早く!」
俺は巨大な壺に惑わし草をどんどん放り込んでいく。
この壺も、もちろんマオに運んでもらった物だ。
マオはセシルに先んじてレベリングしており、そのレベルはすでに60台に達している。
意識的にMPを伸ばしてもらったので、大容量の【アイテムボックス】を保有している。
モンスター討伐後の採集物の収納はもちろん、この壺のような物品の運搬もすべてマオにやってもらっている。
マオ様々である。
「アリス様、何をしておいでで?」
マオが質問してきた。
口を動かしつつもちゃんと手を動かしている――私の指示どおり惑わし草を壺に放り込み続けているのが、いかにも真面目なマオらしくていじらしく、好ましい。
社会人時代も、口ばかり動かす部下よりも、ちゃんと手を動かしてくれる部下を重用していたものだった。
「今ここで、洗脳解呪ポーションを作るのよ」
そんなマオの献身に応える意味でも、俺は彼女の質問に答えてやる。
マオなら多分、俺が質問に答えなくても妄信的に従ってくれることだろう。
だが、質問に答えてあげたほうが、より気持ちよく働けるというものだろう。
「えええっ!? アリス様はポーション調合もできるのですか!?」
「そりゃ、器用さ――DEX値がMAXだもの。クラフト系のスキルは全部修めているわよ」
「さ、さすがはアリス様!」
「いいから、急いで!」
「はい!」
間に合え……間に合ってくれ、セシル!




