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Stoicmotionage(ストイック・モーション・エイジ)  作者: 乾心


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#07 案内の到着

 誘導音が鳴る前に、リンは目を開けていた。


 いつもの天井。いつもの暗さ。六時の光を待つ数十秒間。呼吸の音が聞こえる。吐いた息が顔に当たる。昨夜あまり眠れなかった。眠れなかったというのは正確ではないかもしれない。目を閉じて、開けて、また閉じて、どこかで眠りに落ちて、気がついたら天井を見ていた。何度目が覚めたか、回数は覚えていない。二回か三回。頭が少し重い。それだけだ。問題ではない。


 六時の光が来た。壁のパネルが点灯した。


 〈本日の酸素濃度:適正〉

 〈推奨経路:北通路〉

 〈体調確認:良好〉

 〈ケア窓口勤務開始:八時〇〇分〉


 四行。


 その下に、もう一行があった。


 〈ケアサポート専門案内:本日受信済み〉


 五行目だった。


 リンは画面を見た。四行の下に、五行目が静かに加わっていた。昨日はなかった。一昨日もなかった。先週もなかった。画面の右端に、封筒を模した小さなアイコンが点灯していた。


 リンは一度、その行から視線を外した。靴が扉の脇に揃えてある。鞄が棚の上にある。出発まであと十七分。


 タップした。


 〈アマクサ リン 様〉


 〈平素より、エンクレイブのケアシステムをご活用いただきありがとうございます。このたびは、あなたの生活サポートをより充実したものとするため、ケアサポート専門案内をお届けしております。〉


 読み進めた。


 〈直近の行動記録確認において、生活リズムにお疲れやご負担が生じている可能性が示されました。これは、あなたの現在の状態が問題であることを意味するものでは、ありません。日常のなかで蓄積されやすい小さな緊張を、早めにサポートすることが、長期的な健康につながります。そのような観点から、予防的にお知らせするものです。〉


 問題ではない、と書いてある。


 リンはその一文をもう一度読んだ。「問題であることを意味するものでは、ありません」。問題ではない。そう書いてある。問題ではないのに案内が届いている。問題ではないことを、わざわざ書いてある。問題であるかもしれないと思わせないために、問題ではないと書いてある。


 〈つきましては、以下のいずれかのご対応をご検討ください。〉


 〈① 初回メンタルケア面談(所要時間:三十分程度)〉

 〈  ケア専門窓口にて、日常の生活リズムに関するご相談をお聞きします。負担の少ない形式で、ご本人のペースで進めます。〉


 〈② 専任サポートアドバイザーの配置〉

 〈  担当アドバイザーが定期的にサポートを行います。いつでもご相談いただける体制を、あなたのために整えます。〉


 〈どちらのご対応も、あなたのご希望とご都合に合わせて進めます。ご連絡は、ケア局受付窓口までお気軽にどうぞ。〉


 〈本案内は、あなたの安心と健康を最優先に考えて、お送りしております。〉


 担当部署名と案内番号が記されていた。


 リンは画面の端を見た。①と②の下に、「その他ご要望がおありの方はこちら」という小さな文字があった。タップすると別の画面に飛ぶようだった。タップしなかった。


 もう一度②の説明文を読んだ。「あなたのために整えます」。


 整えます。


 リンは毎日、窓口でこの種の言葉を使っている。「あなたのために」「ご本人のペースで」「お気軽にどうぞ」。来訪者に渡す言葉。安心させるための言葉。リンの口から出るとき、それはテンプレートだった。正しい対応。適切な声かけ。しかし今、自分が受け取る側に立っている。自分に向けられたこの言葉は、テンプレートだと分かっているのに、喉を締める。


 文面はどこも穏やかだった。責める言葉がない。罰の予告がない。なぜこの案内が来たのかの具体的な説明もない。「行動記録確認」とあるが、何の記録を確認したのかは書いていない。「お疲れやご負担が生じている可能性」とあるが、何が疲れているのかは書いていない。


 選択肢は二つあった。①か②か。どちらかを選ぶことが前提として書かれていた。怒鳴られてはいない。脅されてもいない。ただ、どちらかを選ぶことが当然として記されていた。


 何も選ばないための選択肢は、なかった。


 喉の奥が締まった。ゆっくりと、力が入るように。息を吸った。甘い香りが肺に入ってきた。いつもの匂い。吐いた。また吸った。


 リンはケア局の窓口で、毎日同じことをしている。「手続きの方法はこちらから」「ご本人のペースで」「あなたのために」。来訪者に、いつも同じように言っている。来訪者はこの言葉を受け取って、①か②を選んで、頭を下げて帰る。リンはそれを処理して、「完了」を押す。


 画面を閉じた。案内は受信済みフォルダに保存されているはずだ。消えてはいない。


 靴を履いた。鞄を持った。制服を着ていた。ペンダントの冷たさが鎖骨の下にある。パネルを確認した。


 〈本日の酸素濃度:適正〉

 〈推奨経路:北通路〉


 最初の四行だけが残っていた。五行目は表示から消えている。しかし消えていない。端末の中に残っている。封筒のアイコンが、受信済みフォルダの中で点灯し続けている。未返答のまま。


 扉が先読みで開いた。廊下に出ると甘い匂いがした。いつもの匂い。誘導音が鳴った。北通路。足元の光が一歩ごとに点いては消える。


 壁の掲示が流れていった。


 〈ご質問は案内窓口へ〉

 〈あなたの健康は、みんなの健康〉

 〈困ったときは、まず相談を〉


 読み慣れた文言だった。毎日同じ場所に同じ言葉がある。


 ケア局が見えてきた。自動扉が開いた。席について、端末にログインした。今日の案件が表示された。予定件数は六件。案件一覧の横に、小さなフラグが一つ点灯していた。オレンジ色。見たことのない色だった。フラグの意味は表示されていない。ただそこにある。


 端末の隅に、小さな通知が出ていた。


 〈受信済みケアサポート専門案内:未返答〉


 リンはその通知を一秒見た。それから画面をスクロールして、案件一覧に戻った。


 窓口が開くまであと九分だった。

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