最終決戦
一度手を繋いでしまえば平気になったのか、緊張も解けた椿は以降も何度かレオンと手を繋いだりして距離を徐々に縮めていくことに成功していた。
なんとなく良い雰囲気になることも増え、これならば今度こそ行けるのではないかと確信した彼女は、ついに告白するときがやってきたと一人テンションを上げていたのである。
決行日はレオンが次に日本にやってくる日にしようと考え、何度も何度も一人で予行練習をして本番に備えていた。
こうして数多の練習を経て、ついに運命の日が訪れる。
朝比奈家にレオンが来ているという情報を授業中に得ていた椿は、運転する志信を急かしながらも、法定速度は守られたまま、自宅へと帰った。
緊張のせいか手に汗をかきながら、椿はレオンが待つ部屋へと向かう。
歩きながら何度も小声で言う台詞を繰り返して、ドアの前に立つ。
足が震えているのを自覚し、体に力を入れた。しつこいくらいに深呼吸をして気持ちを落ち着かせた彼女は扉を静かにノックする。
どうぞ、というレオンの声に、よしっ! と気合いをいれた椿は扉を開けた。
想定よりも勢いよく開いた扉に彼女は内心驚いていたが、部屋の中にいたレオンも目を見開いて驚いている。
出だしから失敗したかも、と彼女は心配になるが中断することは考えていない。
要は気持ちが相手に伝われば何の問題もないのだ。
まだ失敗したとは限らない。そういう気持ちのまま、彼女は何事もなかったかのように部屋に入る。
「妙によそよそしいな。どうかしたのか?」
いつもとは雰囲気の違う椿にレオンはすぐに気が付いていた。
心配そうな表情を浮かべる彼に椿はわずかに顔を強張らせる。
まさか、扉の開け閉めだけで見抜かれるなんて誰が思うだろうか。
出鼻を挫かれた彼女は視線をさ迷わせて、あ~……と言いながら苦笑している。
これからどうやって本題を切り出そうかと考えていた。
「表情も固いし、俺と目を合わせないが本当に何があった?」
「いや、何も」
「……本当のことを言ってくれ。今日の椿はいつもと全く違う」
と、言われても椿はすぐに言葉が出てこない。
いつもと全く違うという意識はなかったので、レオンがそう言ったことに彼女は狼狽えてしまっていた。
頭の中では、どうやって持ち直すかしか考えていない。
彼を見ることができず、ひたすら次の言葉を考えるしかなかった。
そうして、ようやく会話の糸口を見つける。
「……ちょっと、緊張していたのよ。あの、今日はレオンに大事な話があったから」
椿は真剣な表情を浮かべて、しっかりとレオンの目を見て口にした。
彼も空気が変わったのに気が付いたのか、姿勢を正す。
「レオン。十一歳くらいの頃から私を好きでいてくれてありがとう。恭介のことがあるからって待っていてくれたことも本当に感謝しているわ」
「いきなりどうしたんだ?」
「疑問は尤もだけど、最後まで聞いて」
落ち着いてくれ、という椿の動作にレオンも口を噤んだ。
黙ったのを確認した彼女は再度口を開く。
「恭介が透子さんと付き合うようになって、私の問題は解消された。それでレオンとのことを考えたと貴方は思うだろうけど、それは違う。……あのさ、レオンは鳳峰学園に留学していたときの文化祭のことを覚えている? ほら、人混みに酔って立ち入り禁止の場所にいたあのとき」
椿の言葉に、レオンは静かに頷いた。
「私は、あのとき向かいの棟に人がいるって言われて、事故だけどレオンに抱きしめられる形になったわよね? 実は私、すっごくドキドキしていたの。状況がそうさせたせいもあるけど、レオンから好きな相手くらい守らせてくれっていう言葉。あれがすごく大きかったの」
真剣に言葉にしている椿に、レオンは口を挟むことはしなかった。
ただ、椿の言葉を真剣に聞いている。そんな表情を浮かべていた。
「それから、遊園地に行ったり、しつこく言い寄ってくる男から助けてくれたりしていたでしょう? それで私は自分の気持ちに気付いたの。私がレオンに対して恋愛感情を抱いているって」
「え?」
予想外の言葉だったのか、レオンは非常に間抜けな顔を椿に晒していた。
口をポカンと開けて、目を瞬かせている。
彼は椿本人から、いつの時点でそうなっていたのかを聞くなんて初めてのことであった。
「本当は、卒業式の日に言おうかと思っていたの。でも、レオンはこれからゆっくり考えれば良いって言っていたから、ここで好きだと言ったら本気に取られないんじゃないかって思ったのよ。だから、時間を置こうと思って。……まあ、結果は本気に取ってはもらえなかったけどね」
過去のことを思い出した椿は自嘲気味にフッと笑う。
対してレオンは、彼女がいきなり言い始めたことに考えが追いついていなかった。
「昔はレオンから好きとか言われても、考えることができないって貴方の気持ちを受け取ろうとはしなかったけど、今は違う。私は貴方の想いを受け止めたいの」
「……ドッキリか?」
「ドッキリじゃないわよ! 私は本気! 本気でレオンに告白をしているの! ちょっと、立ち上がって部屋を歩き回らないで! 誰も隠れてなんかいないわよ!」
本当にドッキリを仕掛けられていると思っているのか、レオンは室内を捜索し始めてしまい、椿は思わず声を荒らげた。
一通り探し終えたレオンは誰も隠れていないのを確認したが、それでもかなり動揺している。
両手を頭に当てて、ジッと床を見つめていた。
「待て、待ってくれ。本当に理解が追いつかない。椿は俺のことが好きだって言ったのか?」
真剣に告白をしたのにも拘わらず、レオンは未だに半信半疑のようだ。
ここまで言っているのに信じてもらえていないことに椿は徐々に苛立ってくる。
「だから、好きだって言っているでしょう!?」
「それは、友人としての好きなんじゃないのか?」
「異性として、恋愛対象としての好きよ!」
「好きな人に振り向いてもらえない俺を哀れんで言っているとか」
「同情だけで好きだなんて言うわけないでしょう!」
いや、だって、と言いながらレオンは狼狽えている。
彼にとって椿が自分を好きだというのは、にわかには信じがたいことであった。
あれだけ彼の想いをスルーし続けてきたのだから、そうなっても仕方のない部分はあるが、それでも信じてもらえないのが椿としては悔しい。
レオンの方は考えがまとまらないらしく、視線をあちらこちらに向けていた。
かなり混乱しているようである。
「か、考える時間をくれないか?」
「どうして考える時間が必要なのよ。レオンは私が好きで、私もレオンが好きなんだから、問題は何もないじゃないの」
「だから、それが信じられないんだ。本当に椿が俺を好きだなんて、夢でも見ているんじゃないかと思うくらいに」
「夢じゃない。現実よ。待たせすぎて、こうなったのは私のせいだって分かっているけど、私を信じて欲しいの」
お願い、と言って椿はレオンを見上げる。
必死な表情を浮かべる彼女だったが、未だ信じられずにいた彼は、そっと視線を逸らしてしまう。
その行動によって、告白したのに信じてもらえない椿は堪忍袋の緒が切れた。
即座にレオンの胸ぐらを掴んだ彼女は、驚き絶句している彼を気にもせずに睨み付ける。
「あーもう! まどろっこしい! 私が好きだって言っているんだから、四の五の言わずに信じてよ!」
「お、落ち着け! 俺は考える時間をくれと言っているだけで」
「そんな時間は必要ないでしょ! 今すぐ決めて!」
「今すぐって……」
「分かった。じゃあ、今すぐ決められるように選択肢を出すわ。いい? 私と結婚するか、私がレオン以外の男と結婚するか、好きな方を選んで!」
胸ぐらを掴まれたまま狼狽えていたレオンであったが、椿の言葉を聞いた途端に動きを止めた。
「椿が……俺以外の男と結婚……」
「そうよ。このまま私の告白を信じずに流すというのなら、キッパリとレオンのことは諦めるわ。そうしてお祖父様に頼んで紹介してもらった男性とお見合いをして、その人と結婚する」
「それはダメだ!」
胸ぐらを掴んでいた椿の手を引き剥がし、レオンは上から椿の顔を覗き込んできた。
かなり必死な形相だったため、選択肢を出した張本人の彼女は驚き口を閉ざす。
「他の男と結婚なんて許さない」
「……じゃあ、私の想いが本当だって信じてくれる? 私を選んでくれる?」
力強く頷いたレオンを見て、椿の表情が緩んでいく。
満面の笑みを浮かべていた彼女であったが、想いが通じ合ったという自覚が芽生えたことにより、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
彼の顔を見ないように視線を動かしたが、両頬を手で挟まれ阻止されてしまう。
「レ、レオン……」
「本当に、本当に椿は俺が好きなんだな? 今更嘘だとか言わないだろうな?」
「嘘じゃないわよ。嘘なんて言ってどうするのよ。私は最初に告白してレオンに流されてから、ずっと言わずに何とか私の気持ちを分かってもらおうってしていたんだからね。お蔭で四年近くもかかったわ」
「まさかこんなに早く椿が俺を好きになってくれるなんて思ってなかったからな」
それに関しては椿の自業自得な部分が多大にあるのだが、それでも言わずにはいられなかった。
「で、でも、レオンも鈍すぎだと思うわ。私から電話をかけたりもしていたのに」
「俺に合わせてくれていると思っていたんだよ」
「手だって何度も繋いでいたのに」
「いつも、寒いからとか理由を付けていたじゃないか」
「恥ずかしかったのよ! 好きな人と手を繋ぐなんて緊張しちゃって……」
「好きな人……」
顔を真っ赤にしたレオンが椿の頬から手を離して、自分の手で顔を覆った。
耳も真っ赤だったので、彼女にも照れているのが丸わかりである。
「未だにそこで照れるの?」
「照れるに決まっているだろう。椿からの言葉だぞ? 照れるなと言う方が無理だ」
「慣れてもらわないと、これからが大変になるわよ?」
「分かっている。慣れる努力はしよう。……で、薫さん達への挨拶はいつにする? 俺の両親は日本に呼ぶのか? そこで話をするのか?」
何のことだと椿は首を傾げた。
全く分かっていない様子の彼女を見て、レオンは眉を寄せる。
「さっき、椿と結婚するか椿が他の男と結婚するかどっちか選べと言って、俺は椿と結婚する方を選んだじゃないか。だったら結婚するってことだろう? 違うのか?」
「いや、いずれはと思っているけど、早すぎない? 私達はこれから付き合うんでしょう? それに私は鳳峰学園の高等部の教師になるつもりだから、就職してすぐに辞めるのは良くないと思うのよ。共働きでも良いと言うなら、それに越したことはないけど」
「結婚自体は二、三年後くらいでと思っているが、婚約はしておきたい。椿に余計な虫がついたら困る」
余計な虫などつくはずがないと思っている椿であったが、レオンが冗談を言っているようには見えない。
だが、レオンに余計な虫がついても彼女としては困ってしまう。
今すぐ結婚するというわけではないし、婚約して余計な虫を牽制できるのならそれに越したことはない。
「まあ、婚約だけっていうなら……。でも、お父様が首を縦に振るかしら」
「俺は絶対に椿と結婚する。だから薫さんには頷いてもらう」
あの娘大好きな父親がそう簡単に頷くとは椿には思えない。
けれど、頷いてもらわなければ先には進めないのだ。
「そうね。私も説得はしてみるし、お母様や朝比奈の祖父母にも口添えしてもらえるように頼んでみるわ」
「頼む」
などと話をしていたのだが、結局、椿の父親はレオンが挨拶に行く当日に逃亡し、しばらく逃げ回る破目になった。
最終的に水嶋の伯父に協力してもらい、騙しておびき出して確保したのである。
結婚など認めないと言っていた父親であったが、椿の必死のお願いと泣き落としによりついに根負けし、彼女が鳳峰学園の高等部の教師になった辺りで二人は婚約することができたのだった。
「……なんとか婚約まで行けたわね」
「予想以上に薫さんが頑固で大変だったな……。あの人の娘バカぶりを甘く見ていた」
「泣き落としで頷いてくれるのなら、最初からそうしていれば良かったわ。ともかく、これから決めなければいけないことが山のようにあるのが、面倒ね」
「一応、結婚式は二年後ってことになっているから、まだ時間はある。ゆっくり決めていこう」
レオンは優しく椿の手を握ると、彼女も応えるように手を握り返す。
顔を見合わせて微笑み合った二人の顔は幸福に満ちあふれていた。
番外編を含めて、これにて完結です。
今まで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
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