3.取説を読め
タクトは、中島の後について再び巨大な壁の内部へと入った。
入り口付近の小部屋、恐らく物置、で作業着のような続服を渡されたので、それを着る。
その後は、壁内部の細長い廊下をRPGのダンジョンよろしく歩かされた。
その道すがら、「そういえば」と自分の取扱説明書なるものの事を思い出したタクトが、具体的にはどうやって読むのかを考えてた瞬間、視野の中に文字列が展開した。
目前の景色に重なって、目次ページが浮かんで見える。
なるほど。今までの経緯からして当然こういう仕様になってるよな、と、ページが視線の移動で捲くれる事を確認しながら納得する。
ながらスマホ宜しく、このまま歩きながら読むというのは不味いだろうな、と思いつつも、ついつい何ページか読み進めて、そして気付いた。
「なんか出来てるじゃん、ながらじゃないスマホ」
世の中に<スマホ・ドランカー>などという言葉があるのかどうか知らないが、タクトには自分が重度なデジタル機器の依存症ではないという自覚があった。
自身の情報をSNSに上げる事など一切しなかったし、手元にスマートフォンがなければ不安になる心理状態とも無縁だった。
だから、スマートフォンを見ながら周囲を一切気にせずに街中を歩いているような輩を見るたび、他者の迷惑だけでなく自分の身の安全にも無頓着なその姿に、人の、というか生物として基本的な何かを欠落させつつあるのではないかと、本気で案じたりしていた。
少なくとも車の運転をしながらスマホを流し見しているなんていう連中の存在は、トラックドライバーのタクトにとって自身の命にも係わる大問題であった。
要するに、移動に付随する安全確認行為と同時に情報端末を操作するなんて芸当は、如何に人類の頭脳が発達しようとも無理な話、そんなにもマルチタスクな能力は無いのだ。
だが、皮肉な事に、今のタクトにはそれが出来てしまった。
つまり、ちゃんと二つの作業を完全に並列処理しているのである。
中島の後について歩きながら自身の今後を案じている意識と取扱説明書を読んで内容を理解しようとする意識。
その二つはタクト自身の自我の元、並列して存在していた。
一つの自我に二つの意識。
一つは、タクトが自分自身だと自覚している自意識である。
が、もう一つの意識に心当たりがあった。度々、タクトに『無意味な報告と不親切な解説』をしてくる例の『声の主』である。
そして、不思議な事に、もう一つのその意識に対して他人という感覚が持てない。そんな自覚があるのだ。
二つの意識が重なっているような、でも、独立しているような。言葉では何とも説明しづらい不思議な状態だった。
タクトは髪を軽く掻きむしってから溜息を吐いた。
色々と納得いかないが仕方がない。現状への実務的な対処として、取扱説明書の精読はもう一つの意識にこのまま任せて、タクト自身は現状で唯一何らかの事情を知っている中島への対応に専念しようと決めた。
再び、軽く溜息を吐くと、
「で、俺の取説って何なんだよ」
とりあえず、いくつかある中で、もっとも納得のいかない事案に悪態を吐いて、タクトは中島を追った。
中島の後に続いて歩いた時間は、およそ十数分。
やがてドアらしき物のついた通路のどん詰まりに行き当たった。
時々通路の脇に何かの端末のような機器類が施設されていたり、行き先の表示なのか日本語のプレートが壁に掲げられていたが、基本的にはのっぺりとした壁に囲まれた何ら特徴のない空間を右に左に時折階段を下り、を繰り返してきた。
普通なら完全に自分の居る場所を見失っている状況である。
だが、タクトは己のいる場所、座標を正確に把握していた。
此処は、壁の内部を三百五十二メートル南に進んだ後、百三十三メートルほど下降。そして壁から敷地の内側に向かって二百メートルきっかりの距離、そこは地表では滑走路のど真ん中にあたる場所の地下である。
つまり、この一見壁に囲まれた滑走路だけの簡素な印象のこの基地だか要塞だかの地下空間には、広大な何らかの施設が隠されているという事なのである。
そして、意識して歩測していた訳でもないのに、タクトの脳内では3Dの透視図に自分の位置がマーキングされているかのように現在地が認識できていた。
「これも、俺の性能ってヤツなのかね」と、呟くタクトの目前でドアが開いた。
ただ開くのではなく、二枚のドアパネルが絡み合って複雑な回転をしながら一度中央で重なり合ってからパズルが解かれるように左右に別れていった。何らかのセキュリティに関係しているのかもしれないが、何でそんなややこしい開き方をしなくちゃならないんだ、と訝しみつつ、中島の肩越しに中を覗き込むタクト。
そこは一言で「此処は何々の場所」と単純に区分けして呼べるような統一された空間ではなかった。
あの機動兵器と戦ったドーム球場並みとはいかないまでも、テニスコート何面分といった表現が出来る程の広大な面積に、科学ラボらしき場所、工作室、指揮所等々、何の用途の判らない区画も含め、様々な施設が一カ所に集められていた。
さながら複合コンベンション施設のイベントホールや展示場のような光景が広がっていたのである。タクトも日本に住んでいた時、幕張メッセにモーターショーを見に行った事があるが、それを思い起こさせた。
構造的に各施設を区切る仕切りにもなっているガラス張りの通路を通りながら、キョロキョロと周囲の様子に目移りしているタクトに、先導している中島が口を開いた。
「あそこ」と左前方を指さす。
タクトが立っている通路は周りの空間より一段高く、比較的遠くまで見渡す事ができた。 指し示めされた方向へと視線を移動させると、数十メートル程離れた場所に小山のような巨大な黒い塊が台の上に乗せられていた。
「37.633メートル」と、訊かれてもいないのに彼我の正確な距離を報告してくる脳内音声に「はいはい」と相槌をうちながら、その塊の正体を確認する。
あのドラゴンだった。
「死んでいる?」タクトは中島に尋ねた。
答えは自ずと予想できる儀礼的な問いだった。何故なら、ドラゴンの身体は解剖の最中で大半が切り開かれているのだ。
「ああ、サンプル用にと何体か生け捕りを試みたんだが、捕まった途端に全て自殺したよ」
奥歯で口内の毒腺を噛み砕いて、まるで意志ある者が誇り高く『自死』を選択したようだった。と、中島は無感動に言葉を継いで、歩みを止める事無く先へと進んだ。
それだけでなく、死んだドラゴンはすぐに分解が始まるのだそうだ。まるで、敵への技術流出を防ぐために鹵獲されそうになると自爆する兵器のように。
解剖されている個体は、様々な化学的処理を試して、やっと分解を止められた最後の一体なのだそうだ。
そのあとも淡々と続いていた中島の解説が切り良く終わったところで、四面の壁を大型モニターに囲まれたブリーフィングルームのような部屋に到着した。
そのモニターの一つに向かって中島が手を翳すと電源が入った。
明るくなった画面一杯に『大日本皇国加利福尼亜基地 保安記録/第三十二カメラ映像 日付/皇紀二千六百八十五年四月七日 午前八時二十三分』と表示された後、暗転して何かの記録映像が流れ出す。
そこには滑走路を疾走する一台のトレーラーが映っていた。
タクトには、その俯瞰した光景自体に見覚えは無かったが、そのトレーラーが自分の乗っていたケンワースW900だという事は判った。
「残念ながら、この基地内に君の貨物車がどのように侵入したか、その瞬間を捉えた映像は残っていない。当該区画が基地施設ごと消失したのでね」
という中島の言葉を聞き流して画面に見入るタクト。
映像は、ドラゴンの襲撃と対空砲火や機動兵器の迎撃。そして、タクトが襲われる場面へと切り替わっていく。
数分後、タクトは自分の千切れた上半身を第三者の客観的な視点で見ることになった。
空中に尾を引く己の大腸を見ながら、一瞬、猛烈な嫌悪感に襲われたが、以前にも経験した何らかの強制的な精神作用で、その激情は抑え込まれた。嘔吐しそうな生理現象も感じていたのだが、それすらも抑制され何事もなかったかのように平静さを取り戻す。
「その後、僕が君の上半身を回収した。殆ど生命反応が無かったので緊急で治療、というか再生を試みた訳だが、如何とも損傷が激しくてね。結局、脳髄以外を全て人工物と交換せざるを得なかった」
映像は、タクトの手術場面に切り替わった。
中島の言葉通り、治療とは名ばかりで内容は殆ど改造手術の様相を呈していた。
とはいえ、人体改造といえば、肉体に機械を埋め込むイメージだが、タクトの場合は違っていた。
確かに、脳が納まった頭蓋とそれに繋がった全身骨格、つまり骸骨は、金属に似た材質で造られていたが、それに『肉付け』される部分は、文字通り何かの肉を盛られている感じだった。
その肉片が全て、ナノマシンが集まった高機能モジュールであるという解説と同時に、それらが連結して固まり、血肉となり、表皮となり、頭髪となり、タクトの肉体を形成していった。
映像を全て見終わり、タクトは暫く黙り込んでいた。
何か質問をすべきなのだろうが、考えが纏まらなかった。
問い質そうにも不明点が多すぎるのだ。
恐らく中島が管理しているのであろう、この軍事基地と思しき施設と、それに付随した武器や装備に使われている高度な科学力について、とか。
その技術を基に行われたであろう、ほぼ絶死の人間を蘇らせる蘇生手術とタクトを生き返らせた理由について、とか。
一方で、その科学的な先進性とは一線を画する、例えそれが何かしら人工的なものであれ自然淘汰の産物であれ、生物進化の頂点を体現しているような、あのドラゴンのような生物は一体何なのか。
その疑問一つ一つを場当たり的に訊ねたところで、本当に知りたい事の本質からは外れていってしまうに違いない。それだけ、箇々の疑問がとんでも無さ過ぎるのである。
そう、本質的な答え。
それは、タクトが未だ眼にしていない、ここ以外の場所のこと。
つまり、この『世界』は一体どうなってしまっているのか。
そして、もっともっと根本的な答え。
何故、自分は此処にいるのか・・・元の世界に戻れるのか。
・・・・・。
闇雲な問いの羅列では、恐らく、その答えには辿り着くことはできない。
だから、何も言えなかった。
タクトが思索の螺旋に取り込まれ、図らずも長く続いてしまった沈黙を破ったのは、中島の方だった。
「幾つか質問があるんだが、いいかな?」
現状については、間違いなくタクトより中島の方が理解している。ならば、その質問に答えていく事で、自分の考えも纏まるかも知れない。
タクトは、首を縦に振った。
それに応じて中島は、まるで野生動物を捕獲する時に刺激して逃げないようにするのと同様に、ゆっくりとタクトの側に近づいてきた。そして、徐にタクトの両肘に手を伸ばして、肘窩を左右同時に押して言った。
「君自身の脳で、意志で、理解し、答えて貰いたいからね。補助脳のスイッチを切らせて貰う。君の脳とはまだ完全にリンクしていないようだから、不用意な意識と知識の介入で、君に変な先入観も持たれると困るんだ」
タクトの体表に、前回同様、電子回路のような模様が浮き出る。
中島は、手慣れた手つきでタクトの額に表れている四つ並んだの押しボタンのようなマークをリズミカルに暗証番号を入力するかのように触った。
タクトの中で、何かを喪失する感覚がした。
余りにも一瞬で、何事かと意識を向ける間もなく、中島が言った。音声で。
「じゃ、改めて問おう。君は、何処から来たんだい?」
タクトは中島の目を真っ直ぐ見据えてから答えた。
出来るだけ、客観性を持たせるため、日本という生まれ故郷の国のこと、現在住んでいたアメリカ合衆国という国のこと。
そして、ラスベガス郊外を仕事で走っていた最中だったことを告げた。
中島は黙って聴いていた。タクトのは話しを理解しているのか、または、信じているのか、その表情からは知れなかった。
タクトが話し終えても、中島からの返答はなかった。
少し待ってから、タクトは、やや焦れたように問うた。
「それで、此処は何処だんだ」
中島は、ゆっくりとした間を於いてから答えた。
「君も理解している事とは思うが、僕と君との間には常識というものについて幾つもの齟齬が存在している」
そういって、手近のディスプレイを指し示す。
「これが、この基地周辺の現状だ。勿論、都市など存在していない。残念ながら、アメリカ合衆国もラスベガスも、この近辺には存在していない、というのが現実だ」
中島は、改めてタクトを見た。そして、問い返した。
「改めて僕から問おう。君は、何処から来たんだい?」
タクトは、当然その回答を持ち合わせていない。
ただ沈黙で答えるしかなかった。
結局、中島との遣り取りは、タクトの疑問を解明するのには何ら参考にならなかった。 が、途方に暮れているタクトにお構いなく、中島は事務的に現況を説明してくる。
「――そんな訳で、この基地は修復中だが損害は深刻だ。何しろ、修理しようにも必要な物資の保管区域が丸ごと喪失してしまっているんだ。残骸なりとも残っていれば、再生使用もできるんだが、丸ごと一切合切無くなっていて、それも難しい。補給援助を求めようにも、太平洋方面軍司令部は疎か、周辺の友軍施設とも連絡が取れない状況だ」
中島は、喋りながらタクトに近づいてくると、再び額のスイッチに触れた。
「今後の事は、また相談させて貰う。君も自分なりに現状の認識を深めておいてくれ。補助脳にも早く馴染んで貰わなくてはならない。色々と助けて貰うと良い」
中島が言い終わると同時に、再びもう一つの意識が自分の意識に寄り添うような感覚に囚われるタクト。
同時に自ら意識して、いや、正確には、痒いところを無意識に掻くように、アクティブ・デカールの起動を止めていた。全身の肌を覆っていた幾何学模様が消えていく。どうにも、この模様が浮き出る感覚が苦手だったのだ。
だが、皮肉なことに、その不快感を察知した補助脳が、元々プログラム内に設定されていたアクティブ・デカールのスイッチに干渉する方法を教えてくれたのだった。だから、今では自発的にオン、オフする『感覚』を会得したのである。
タクトが、アクティブ・デカールに気を取られている間に、中島はブリーフィングルームから居なくなっていた。
その事を認識した瞬間、『後ほど連絡する』というメッセージが脳裏に浮かぶ。
タクトは、最早それを奇異には感じなかった。それも『機能』の一つなのだと理解する。
「成る程、こんな感じが、補助脳さんってやつの仕事なのね」
タクトは、当初に補助脳が干渉してきた時とは違い、今回は、その意識が平行しているのではなく融合して拡大しているのを感じた。
自分を中心に四方八方へと空間的に時間的に触手が伸びていく感覚。例えるのは酷く難しいが、例えば、目の前の壁を抜け、基地の壁を抜けて周囲数キロに渡って何が何処にあるのかを感じられる知覚力、或いは、不意に円周率の一億桁目の数字が知りたいと思えば、それを瞬時に計算出来る思考力。そんなものが入り交じった、ある種の万能感に浸っている自分に気付くのだった。
それが、自分と意識を共有する補助脳の能力を自分の力として感じているのだと、改めて認識するのと同時に、もっと意識が解け合うような一体化が進めば、更に高機能な運用が出来るのだろうという自覚もあった。
が、やはり現状では違和感がある。具体的な感覚として、拡大した意識に酔っぱらったような酩酊感を覚えるのだ。
生理的、精神的に無理だという自我の訴えが、生身の人間だった頃の記憶、タクト・松永・フリードマンという一己の自我が、それを許容出来ないようだった。
人の自我というものが、如何に独立性を欲しているのか。タクトは、人間という生物の性を自らの身を以て学習したのだった。
そして何よりも、怖い。
自分が自分でなくっていく感覚というのは、理屈抜きに恐怖であった。
だから、補助脳に提案してみた。
『暫くの間は、別人格として、何事も「話し合い」を通して共存していかないか』と。暫くというのは、何時までを指すのかタクトにも分からない。
タクトの人格が『慣れ』て全てを許容出来るようになるのか。或いは、物理的に、又は機能的に意識が融合してしまうのか。何れにしろ、問題の先送りではある。
それでも、これが現在のタクトに許容出来る最終ラインであった。
・・・・。
暫しの間、自分の思考の一部にぽっかりと空白を感じて、やがて心の内部から沸き上がるように『了承した』という思念らしきものを感じた。
「ああ、こんな感じね」と、タクトは補助脳が思考している時とそれを意思伝達してくる時に、自分がどんな風に感じるのか、その感覚を理解した。
さて、これから『相棒』として突き合って行くという事であれば、呼び名が必要だろう。極めて人間的な慣習なのかも知れないが、日々「おい、補助脳や」と呼びかけるのでは、何とも味気ないではないか。
という訳で、ニックネームを考える事にした。
この補助脳の立ち位置は、今のところ補助知能であり第二の人格である。出来る事なら信頼にたるパートナーになって貰いたい存在だ。まあ、いつか物理的、精神的に一つになるにしても。
幸いにも、それに相応しい英語がある。Alter ego (アルターエゴ)だ。
アルター=もう一つの、エゴ=自我。
語源であるラテン語の概念では無二の親友を「自分の分身」と呼ぶ事に由来するという。
名は体を表す、ではないが、これが切っても切れない関係を築いていくのである。是非にも、無二の親友になって欲しい物だと、タクトは思う。
という訳で、我がパートナーの名前は、「アルターエゴ」。一寸長いので、「アルタ」と呼ぶ事にした。呼ぶといっても口に出して言う事は殆ど無い。
心の中で語り合う。文字通り心の友である。
その時、何となく微妙な拒絶の波動が伝わってきた気がしたが、中島の説明によると補助脳に感情的なものは実装されていない筈なので、取り敢えず無視で気まずくなる事もない、に違いない。
『アルタ』で決定なのであった。
とはいえ、自分の身体的状況について、タクト自身がほぼ無知なままという現状は変わらない事を自覚している・・・と、そこでタクトは、先ほど自身の取扱説明書なるものを補助脳、つまりアルタに並列処理で読ませていた事をタクトは思い出した。
もう読み終わったかを思考伝達で尋ねてみた。
同様な思考伝達で返答が返ってくる。
既に読み終わっている、との事。
というか、読み始めて数秒後には読了していたようだ。更に「既存に把握しているスペックを更新する情報はありませんでした」という追加報告。
あっそうか、とタクトは思い当たる。当然、アルタのメモリーには自分自身というべきタクトの身体性能は最初から全部インストールされていてもおかしくない。ここまで散々と知った被ってアレやコレやと指図してきたのがその証左である。まあ、その都度助かってはいたから文句は言えないのだが、「じゃ、取説なんかいらねーじゃん」とも思うタクトであった。
そもそもアルタは、タクトを同一人格として認識しているので、一々些末な事を報告してはこないのである。自分の事を自分に対して細々と報告しろ、というのも妙な要求だとは思うのだが、実際に不便な事この上ない。
此処いらへんは、アルタとも相談の上、逐次報告し合うようにしなくてはならないだろう。いわゆる『報・連・相』。他者とのトラブル回避、早期の問題解決、信頼関係の構築には最低限の社会常識なのである。
タクトとアルタの間に社会の常識なる概念が入り込む余地があるのかは不明だが、少なくとも、近い将来の完全な同化というものが終わるまでは、別人格なのである。
どちらにしても、遣り取りはトライアンドエラーの繰り返しだろうな、と思いつつ、タクトは己が分身たるアルタのメモリーから、自分の性能について詳しく『思い出して』みるのだった。
細かい数値なんかは割愛した基本スペックは、こんな感じだった。
人間としての生身の肉体は殆ど破壊されたため、カーボンナノチューブ以上の強度、耐熱性、耐酸性更には電気絶縁性を持つ窒化ホウ素ナノチューブとチタンの複合材で造られた基本フレームで強度を担保した内骨格に、有機金属ナノマシーンを積層させることにより、肉体を形成していた。
この有機金属ナノマシーンは身体形状と機能を維持しているだけでなく、戦闘時や突発的な外的衝撃に対する防御機構もなっている。外骨格や装甲で衝撃を跳ね返すのではなく、体細胞に等しいサイズと数のナノマシーンの一つ一つが液体が波打って外部からの力を分散、拡散させ、吸収するのである。
更に、このナノマシーンはいくつかの個体が様々なパターンで組み合わさることで、発光、発電、有機代謝、収縮運動等々、多様な機能を有する物理ユニットを形成し、そのナノマシーン単体は、骨格に内蔵された再生機能により動力が供給される限り、人間の体細胞が数日で生まれ変わるように、常に更新補充されているのである。
その身体性能は、タクトがそれまでにその片鱗を経験したように、生身の人間のそれを遥かに凌駕していた。
身体機能の大半がナノマシーンの性能に拠っている一方、その制御を担っているのは、内骨格と同様の材質で造られた頭蓋内に収められたタクト生来の生身の脳髄と小型量子コンピュータである補助脳と外部通信ユニットであった。
勿論、タクトの人格は、『いまのところ』タクト生来の生身の頭脳が担っている。
「これって俺・・・まあまあ人間じゃないよね」
まあまあどころではない。完全に人という存在から離脱した化け物になっていた。
一見、生身の人間にしか見えない己の掌をまじまじと見ながら、視界をエックス線波長域に変更する。透けて見えるその内部は、明らかに人間のそれとは違っていた。
センサーらしき物がびっしりと並んでいる内骨格の周りをナノマシーンが掌の形に集まって、微妙に蠢いているのが判る。
「子供の頃、体育で骨折した時、病院で見せられた自分のレントゲン写真に普通に折れた骨が映っていた時、何だかガッカリしたけか。ああ、やっぱり自分は唯の人間なんだって」
大多数の男子なら多かれ少なかれ患う厨二病的感性ってやつ、ではなかろうか。
それがまさか「普通の方が良かった」と、しみじみ感じる時が来ようとは・・・。
しかしながら、自分の身体をこれ程までに改造できる科学水準の高さを実現した文明、即ち、中島が属する世界というのが何処から来たのか。
今の処、その解答はアルタに訊いても得られない。中島も答えを持っていない。
タクトは軽い思い付きで、中島零二大佐が属する大日本皇国という国の歴史をアルタにアウトプットさせた。何かの答えに辿り付く切っ掛けでもあればめっけもの、くらいの気持であった。
間髪入れず、目の前にものすごい情報量が表示された感覚。なんというか、スマホでググった画面が直接脳内に浮かんだ感じ。
これも仕様だな。と、タクトは溜息を吐いた。




