4.異なる歴史の産物
日本の歴史と大日本皇国の歴史を比較するといっても、アルタに蓄えられた膨大な皇国史に対して、タクトの理解している日本史は、学生時代に授業で習った程度のものである。しかも、それほど興味があった訳ではないので、知識の量質ともに曖昧な事この上ない。それでも何とか、曖昧な己の知識と正確この上ないアルタのメモリーを比較した結果、両者の歴史に、江戸時代までは大した違いは無いように思えた。
明確な違いが生じたのは、明治維新の辺りからである。
アメリカ合衆国のペリーが来航し、日本に開国を迫ったというのは多くの日本人が知る処である。だが、大日本皇国の歴史では、それまで貿易をしていたオランダ以外のヨーロッパ列強各国が、日本との貿易利権を求めて開国を迫り、その圧力に屈して開国した事になっている。その後の国際化に伴い近代化を成し遂げたのは同様だったが、このとき、皇国制に移行した。大日本帝国と大日本皇国。呼称に多少の違いを生じているが、天皇を頂点とする社会体制に大きな違いはなかった。
その後も対外戦争を対清戦、対露戦、第一次世界大戦と勝利した大まかな歴史は同じだったが、第二次世界大戦は、ドイツ、イタリア、中華民国の三国同盟を核とした枢軸国とイギリス、フランス、ロシア等が集まった連合国の戦いとして始まったのであり、日本は、その当時結んでいた日英同盟の履行により遅れて連合国側として参戦したに過ぎなかったが、敗戦が濃厚になっていた連合国の巻き返しに寄与した功績により、その後、連合国側の主力として戦況を維持。その結果、大戦は実質的に大日本皇国と独逸第三帝国の一騎打ちとなり、膠着状態が続いているという状況だった。
つまり、第二次世界大戦は未だ終戦を迎えずに八十年続いており、百年戦争の様相を呈していたのである。
戦争は人類に最も科学の発展をもたらす。歴史の事実である。
敵との戦いに勝利する為、安全性や人道主義、その他全てを犠牲にしても技術革新が優先されるからだ。それはタクトの生きていた世界でもソナーやジェットエンジン、コンピュータの基礎理論が戦争中の要請によって開発され、戦後に民生転換されて発達した事で判る、普遍の事実である。
第二次世界大戦が八十年も継続している世界の科学技術が、タクトの住んでいた世界とは比較にならならない程発展しているのは、ある意味当然と云えた。
そこで、タクトはハタと気付く。
「やっぱり、アメリカ合衆国が、無いんだ」
大日本皇国に纏わる世界史には、アメリカ合衆国の存在がすっぽり抜け落ちていた。タクトの知る近代史において軍事と経済で一人勝ちのあの超大国が、大日本皇国が存在するこの世界の歴史には、その名前の一欠片さえ出てこなかったのである。
だが、亜墨利加=アメリカや加利福尼亜=カリフォルニアという地名は存在している。 正確には地名の音が共通している。
タクトは、改めてアルタから世界史をアウトプットした。一時限目が日本史の授業なら二時限目は世界史の授業である。
年表を十五世紀まで進めるとクリストファー・コロンブスがヨーロッパから大西洋を横断し、アメリカ大陸周辺の島であるサン・サルバドル島に到達とあった。
いわゆるアメリカ大陸発見は、タクトの知る世界史と同じである。
その後、1507年にドイツの地理学者マルティン・ヴァルトゼーミュラーによって「アメリカ大陸」と名付けられ、アメリカ大陸という名前が、イタリア人探検家であるアメリゴ・ヴェスプッチの名前に由来している事まで一致していた。
ただし、肝心の清教徒による大陸への大規模な移民は、あのメイフラワー号が疫病により入植が失敗したのをはじめに遅々として進まず、北アメリカ大陸は近代まで空白地域となってしまったのである。当然、アメリカ合衆国が建国される事はなかった。因みに同様の理由でカナダも存在していない。
「ああ、それでか」
タクトは、中島の使っている日本語がタクトの知っている日本語と一部のニュアンスが微妙に違う理由に思い当たった。
外来語に由来する固有名詞の表現方法に違いがあるのだ。
端的に言うと、ヨーロッパ由来の外来語は存在するが、アメリカ由来の外来語は存在しないのである。これは、タクトのいた世界の日本が第二次大戦後にアメリカ文化から受けた影響を考えると、それ相応な差異を産んで当然である。
具体的にいうと固有名詞のカタカナ表記、つまり外来語の差異である。
例えば「コンピューター」だ。中島は、というよりこの基地内の何処にも、コンピュータという言葉は使われていない。「電子脳」とか、「補助脳」とか、日本語で表現される。
これも歴史の違いに起因していた。
タクトの世界に於ける電子計算機の原型であるノイマン型コンピュータは、ジョン・フォン・ノイマン博士によってアメリカ合衆国で第二次大戦中に開発されたが、元々ハンガリー生まれのユダヤ人であったノイマン博士は、アメリカ合衆国の無い中島の世界では、独逸第三帝国を逃れて大日本皇国に保護され汎用電子式計算機を開発、それが現在の自立思考型電子脳に発展したのである。
些細な事だが、中島との会話で感じていた微妙な違和感の正体について腑に落ちたタクトであった。
そんな言語的な差異はさておき、歴史的には数世紀に渡って未開の地となっていた北アメリカ大陸だが、第一次世界大戦以降ようやく様々な列強国がその土地の所有を本格的に競い合うようなった。
のだが、第二次世界大戦の趨勢を経て、現在は落磯山脈、タクトの知るロッキー山脈を境にして西を大日本皇国、東を独逸第三帝国が、その勢力圏に納めていた。つまり、中島が指揮する加利福尼亜基地は、対独逸圏の極東における最前線なのである。
そして、戦争継続による科学技術の発達は、およそSFじみた社会の変化をもたらした。
特に、戦争の長期化による人口減を補う為、戦力、労働力を補う為に、人工人間擬体(マン・メイド・シュードモーフMan-made-Pseudomorph)通称名マン・モーフと呼ばれるアンドロイドの発達は著しく、文明の高度な自動化と相まって、既に人間の人口はマン・モーフの個体数の百万分の一以下であった。
だから、この加利福尼亜基地にも中島以外の駐在員は居ない。
タクトは、改めて周囲を見渡した。
高度に発達した見慣れぬ機械類が所狭しと並び、遠くにはファンタジーの象徴たるドラゴンが解剖されている。
全くの異世界である。
自分は、こんなふざけた世界に何の因果で居なきゃならないのか。
それまで何度となく繰り返した質問を、何でも知ってる相棒アルタに問うてみた。
返ってくる答えは、いつもと同じ「質問の定義不足」。
「質問の定義って何だよ・・・」
結局、タクトの疑問はその根本部分から解決不能な有様なのだ。
そこに、中島からの連絡が入った。格納庫に来てくれと言う。
当然のように、タクトの脳内には基地内部の地図と格納庫の位置が表示された。
基地内に格納庫は三つあった。その中で1番狭く、1番奥まった場所の一つが地図で示された場所だった。
狭いと云っても優に大型トレーラー数台を留め置く大きさがあるのだが、それでも手狭に感じるのには理由があった。その格納庫はメンテナンス及び改装用の作業スペースを兼ねており、その為の工作機械や収容した車両や兵器を動かすためのガイドレールやリフトの柱が庫内の容積をかなり浸食していたからである。
その中央、特別待遇とでも云わんばかりに広く割かれたスペースに、ご丁寧に幾状ものスポットライトを浴びて鎮座していたのは、タクトの愛車ケンワースW900の巨大なトラクターヘッドだった。
大仰な光景を怪訝に思いつつ歩み寄るタクトだったが、近づくにつれ、その車体細部に微妙な違いがあることに気付く。
ヘッドライトは明らかに投光器ではなく、何かセンサー然としたパラボラ的な形になっている。ボディ自体も塗装された一枚板の鉄板ではなく、セラミックのような、あるいはプラスティックのような質感の素材で、それがパネル状に組み合わされて、全体的に何というかメカメカしくディテールアップされている。
特に顕著な違いはタイヤであった。本来はゴムである部分が金属のベルトが幾層にも巻き付いていて、そのベルト部とホイールの間にはベアリングのような構造物が見えている。もしかしたら、タイヤのようにそれ自体が回るのではなく、金属ベルトの部分がキャタピラのように回って走行するのかも知れない、と、本当にこれは自分の愛車と同一物なのかと疑念を込めた眼でタクトはその巨体を眺めていた。
そこに中島の声が届く。
「どうだい。気に入ってくれたかい?」
中島は、W900の車体が固定されているリフトの側で何かの端末を操作していた。
「という事は、やっぱりこれは俺の——」
とタクトが言い終わらぬ内に、中島は「おおそうか」という顔をして、弄っていた端末のスイッチを一つ押した。
同時に、ピッという効果音がタクトの頭の中で響いて、間髪入れずに映像が流れ始める。
それは、瓦礫と化していたタクトの愛車が、回収され、レストアされ、更に分解され、改造され再構築される記録だった。残骸が目前の車体と同じものになるまでの数日分の工程が再生された後に、改造後のスペックらしきデータが流れ込んできた。
タクトが内容を理解した頃合いを見計らって、中島が続けた。
「申し訳ない。君の承諾無しに君の所有財産であるトレーラーを探検用車両に改造させて貰った。戦時における緊急接収だと思って許容してくれると嬉しい」
「探検?」
タクトは一番興味を惹かれた部分を無意識に反芻していた。
しかし同時に、なぜ中島は口頭で話しかけてくるのか、という疑問にも思い当たる。
たった今も、W900の改造過程を映像やらデータやらで直接頭の中に送って寄越したばかりである。思考伝達なる技術があって、改造された自分はそれを使える事を既に知っているタクトは、会話よりそちらの方が手っ取り早いのではないかと、今更ながら気付いたのだった。
だから、具体的な質問の順番としては、その事から先に尋ねた。
中島は作業していた端末から顔を上げると、淡々と別の作業を始めるかの様に答えた。
「君とのコミュニケーションに音声会話を使用する理由は簡単だ。君が今、独り言を漏らしたのが理由だ」
「?」
「君の感性は、未だ『人』だった頃に引っ張られている。それはまだ、君が、君自身の生身の脳によって情報処理の大半を行っているという証拠だ。そんな君に思考伝達のみの超密度で超高速な通信方法だけでコミュニケーションを行えば、脳が焼き切れてしまうよ」
タクトは、理解したような、してないような、微妙な表情で応えた。
「まあ、そういうことだ」
中島はそれ以上の説明はしなかった。
ただ、中島には音声会話に拘る理由がもう一つあった。ただ、今はそれをタクトに話すつもりはなかった。ある懸念から敢えて秘匿したのである。
それは、タクトの補助脳に独自進化傾向が見られる、という事だった。
このような事例は過去に例が無い。その原因が、タクトという人間に残された生身の頭脳構造にあるのか、あるいは補助脳側の単なる機械的な故障のなのか、不明なのである。
だから、思考伝達のような直接接続によって、その進化に余計な刺激を与えたくない。という事と、中島自身の電子脳にどんなフィードバックがあるか解らない、という二重の意味でのリスクヘッジの為だったのである。
そんなことを今の段階でタクトに開示しても悪戯に混乱させるだけだろう。だから意思疎通は音声のみ、通信端末を介した接続はデータ転送のみに限定したのである。
「次ぎに探検についてだが」と中島は続けた。タクトから質問されたわけではないが、先ほどの呟きに呼応しての事だった。
「探検という言葉は少し盛った表現だったかな。要するに現地調査だ」
中島は自分の認識している実情を素直に話した。
「君も答えを欲している事とは思うが、私にも現在の状況、特にこの世界の状態、そして何より君と私がどうしてこうなってしまったのかについての答えは、未だ持っていない」
中島は、眼前のW900に近づいてトラクター部の運転席側ドアを開けると、そこに乗るようにタクトへ手招きした。
その後自分も助手席側から乗り込み、インパネの起動スイッチらしきものに触れると、運転席内のメーター類に灯が入った。フロントガラスの一部はヘッドアップ・ディスプレーになっていて、そこに色々な映像や文字データが流れていく。
「基地周辺の各種センサー調査、著距離ドローンによる地球周回調査、このトレーラーを含む君の所持品の調査、君の証言、私の所属する軍及び他の施設と音信不通の原因・・・求めうる限りの情報を精査した結果は、データ不足による解答不能だ。推測すら成り立たない。これは君の補助脳、アルタだっけ? に尋ねても同じ解答だと思う。私の知る得た情報は全てデータリンクで共有しているからね」
中島はビッグ・リグが固定されているリフトを動かして格納庫の端まで移動させた。眼前のシャッターが開いていく。




