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宵の帳 歴代当主の記(抄)

 代々の当主が遺した記のうちから、いくつかを抄す。悩みしときは範にせよ。


第二代の記


 雪。父を埋めた。戦のあいだの記は焼け、失われ、父が何代目の預かり手だったのか、もう誰にも分からない。夜、匣の前に座って、ふと思い立った。今日から、代を数えることにする。父までの数は分からないから、確かなところから始める。私が、二代目だ。いつまで数えることになるのか、考えると気が遠くなる。だが数えていれば、少なくとも、どれだけ待ったかだけは残る。百代目の誰かが、この頁を笑って読んでくれればいい。


第五代の記


 辻の小屋に、板の寝床を六つ並べた。夕方には全部埋まった。西から来た親子連れは、三日眠っていないと言った。銭のない者には薪を拾わせて、湯を飲ませて、寝かせた。夜中に見回ると、六つの寝床から六つの寝息がしていた。社を失ってからずっと、何を祀ればいいのか分からずにいたが、今夜あの寝息を聞いていて、妙に腑に落ちた。祀るものは、初めから変わっていなかったのだ。明日、寝床をあと四つ作る。


第九代の記


 荷造りが終わった。明日の朝、この町を出る。二十年商った店だった。病の年に、うちの者だけが一人も倒れなかった。ただそれだけのことで、あの家は病まぬ、と囁かれるようになった。看病した相手にまで囁かれるのだから、人というものは、と書きかけて、やめる。恵まれた者を、人がいつまでも祝福できないのは、恨むようなことではない。ただ、そういうものなのだ。次の町では、ときどき風邪をひくことにする。寝込む芝居くらい、二十年商いをやれば覚えるものだ。


第十四代の記


 眠れないので書く。今日、役人に訴え出た。主の御名をかたる教団のことである。夜ごと家畜を屠り、終焉の神に捧げると称して、行き詰まった者から銭を吸っていた、あの連中だ。弟には、正気かと詰られた。主を奉ずる者を我らが売るのか、と。違う。あれは主を奉じてなどいない。主の御名で人を脅す者は、狩人よりも深く主を汚す者だ。そう言い返したが、手の震えは、まだ止まらない。訴えは、間違っていないはずだ。間違っていないはずだが、今夜だけは、灯の前で長く頭を下げた。


第二十代の記


 妙な客が来た。黒ずくめに、つばの広い帽子。ひとことも話さず、部屋も飯も断って、土間の隅に朝まで立っていた。気味悪がる女房をなだめて、私はいつもどおり軒灯に火を入れ、頭を下げた。客は夜明け前に発った。出しなに、あの帽子のつばに手を添えて、軒灯へ深々と一礼していった。あれは、灯に礼をしたのではないと思う。あの客が何だったのか、私には分からない。分からないが、今日は一日、胸のあたりが温かい。覚えているのは、我らだけではないのかもしれない。


第二十八代の記


 帳場の古匣が盗まれた。血の気が引くというのは、ああいうことを言うのだろう。役人には届けず、女房には古道具を盗られたとだけ言って、ひとり街道を追った。盗人は町を出て半里の楡の木の下で、匣を抱いたまま眠りこけていた。揺すっても、叩いても、起きない。赤子のような寝顔だった。匣だけ取り返して、懐に飯代を押し込んで、帰ってきた。帰り道、笑いが止まらなくて困った。神のご威光はまだ健在なのだと、改めて知らされた気がした。我らが祖先が仰いだ、あの優しき主は、今ここにいるのだと。


第三十七代の記


 娘が嫁いだ。祝いの席で、私は人並みの父親の顔をしていられたと思う。最後まで迷った。あの子は聡く、情が深く、誰よりも当主に向いていた。だが、言わなかった。荷を負わせて手元に留めるのは、家のためであって、あの子のためではない。あの子は生涯、実家の親父は夕方に灯を上げる験担ぎの変わり者だと思って生きていく。それでいい。それがいい。今夜の軒灯は、いつもより少し長く灯しておく。誰のためとは、書かない。


第四十四代の記


 王国歴1210年、日盛りの月。役所がまた新しい台帳を作るという。人別の帳、商いの帳、家々の帳。名を捨てて土地を移るだけでは、糸が切れない時代になってきた。三晩考えて、思いついた。暖簾分けである。店を二つに分け、片方を新しい名の親類に譲ったことにする。帳簿の上では家の糸が切れ、実際には何も切れない。役所が帳面で人を捉えるなら、こちらも帳面の中に隠れるまでである。我ながら良い思案なので、忘れぬようここに書いておく。先々代あたりが読んだら、世も変わったものだと呆れるだろう。


第五十三代の記


 王国歴1488年、青葉の月。学者の若者が泊まった。諸国の習わしを集めて歩く一団の者だという。夕暮れの軒灯の礼を見て、目を輝かせて謂れを尋ねてきた。先代からの験担ぎでして、と答えて茶を出した。若者は帳面に、宿屋の験担ぎ、と書きつけ、明日は隣町の井戸神の祭りを見に行くと言って、機嫌よく発っていった。嘘は言っていない。先代からの、務めであるから。それにしても、あの手の帳面のどこかに、うちの軒灯が験担ぎとして残るのかと思うと、おかしいような、少し寂しいような、妙な晩である。


第六十五代の記


 王国歴1620年、白霜の月。新しい統一神書の写しを、ようやく手に入れた。夜、店を閉めてから、主の巻を読んだ。教えの頁は、なかった。八柱のうち主にだけ、警めの言葉が並んでいた。分かっていたことだ。分かっていたことだが、頁を繰る手が、途中から進まなくなった。それから帳を出して、主の二十の教えを写した。いつもより、ずいぶん時間をかけて写した。悲しみの捨て場所というのは、案外こういうところにしかない。息子はまだ何も知らずに眠っている。あの子に話す日のことは、まだ考えないことにする。


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