宵の帳 第六十六代の記
王国歴1649年 聖燭の月
継承の儀から、十日がたつ。書けと父に言われたから書くが、何から書けばいいのか分からない。あの晩から、眠りが浅い。眠りを商う家の当主が眠れないのだから、笑い話にもならない。夜中に目が覚めると、帳場の匣のことを考えている。あの中に、神の御心が入っている。そう思うと、胸の上に岩を載せられたようで、息が詰まる。父は四十年、これを枕元に置いて眠っていたのか。朝、女房に顔色が悪いと言われた。仕入れの帰りに転んだと嘘をついた。当主になって最初に覚えたのが嘘とは、幸先がいい。
王国歴1650年 白霜の月
父を埋めた。眠るような最期だった。主に仕える家の者らしい、いい死に方だと皆が言い、私もそう思う。思うが、夜になると、訊きそびれたことばかりが浮かんでくる。囁きが来たら、本当に朝まで持ちこたえられるのか。務めが虚しくなった晩、父は何を考えて灯を入れていたのか。もう訊けない。帳を繰って、心得の頁を読み返す。同じ晩を越えた手が書いたのだと思うと、少しは効く。少しは、だが。
このごろ、いちばん恐ろしいのは囁きでも役人でもない。終わりが見えないことだ。私で六十六代。主はいつお帰りになるのか。百代目にも、二百代目にも、この晩は来るのか。数えよ、と第二代は書いた。数えている。数えて、六十六だ。この数がいつか意味を持つ日が来るのだと、信じられる晩と、信じられない晩がある。今夜は、あまり信じられない晩である。それでも灯は入れた。入れてから、これを書いている。
王国歴1654年 実りの月
信じられないことがあったので、手が震えないうちに書く。
亜麻布の仕入れで、隣町まで出た帰りだった。日が傾いて、街道に人気がなくなったころ、道の先に人が立っていた。近づいて、息を呑んだ。雷冠の民だった。山の上の民が、こんな低地の街道に、ひとりで立っている。生きて見るのは初めてだった。風が、その人のまわりだけ、妙に静かだった。
通り過ぎようとしたら、風が私の袖を引いた。そうとしか言いようがない。振り向くと、その人は私を見ていて、囁きよりも小さな声で言った。言付けを、預かっている、と。誰からです、と訊いた。その人は首を振った。言えない、のではなく、知らない、という首の振り方だった。意味も、私には分からない、とその人は言った。ただ、あなたに渡せと頼まれた。そして、耳を寄せた私に、その声はこう言った。
長い番、ご苦労。灯は、見えている。
そのあとのことは、よく覚えていない。気がつくと私は街道の真ん中に膝をついていて、雷冠の民はもういなかった。ぬるい風がひとつ、髪を撫でて、野の向こうへ抜けていった。
誰の言葉なのか、考えはじめると、止まらなくなる。主か。主は封じられている。では誰が。我らのことを、誰が。考えて、考えて、やめた。第二十代の記を思い出したからだ。あの黒帽子の客も、軒灯に礼をして消えた。覚えているのは我らだけではないのかもしれないと、あの当主は書いた。それでいいことにする。誰の言葉でも、かまわない。数千年、誰にも見られずに灯してきた灯が、見えている。今夜はそれだけで、十分すぎる。
家に帰って、いつもどおり軒灯に火を入れた。手が震えて、二度しくじった。頭を下げたら、涙が出た。女房には、煙が目に入ったと言った。当主になって覚えた嘘のなかで、あれがいちばん下手な嘘だったと思う。
王国歴1656年 聖燭の月
雪。宿は満室である。峠が閉じる前の、駆け込みの客たちだ。夕方、帳場が立て込んで、軒灯に火を入れそびれていた。気づいて土間に降りたら、もう灯っていた。娘だった。踏み台に乗って、火を入れて、それから私の真似をして、ちょこんと頭を下げていた。どうしておじぎをするのかと、いつか訊かれたことがある。験担ぎだ、と私は答えた。娘はそのとき、ふうんと言って、それから、いいことがありますように、と灯に向かって言い足した。今日も、下げた頭のあとで、何か小さく呟いていた。
この帳のことを、あの子に話す日が、来るのかもしれない。来ないのかもしれない。当主は、最も善良な子に、と代々の記にはある。それがあの子なのかどうか、親の欲目を抜きに見きわめる自信が、いまの私にはまだない。ただ、験担ぎと聞かされた灯に、自分の言葉で願いを足せる子である。そういう子に、あの黄昏の儀の晩が来るのだと思うと、誇らしさと、すまなさで、胸の中が忙しくなる。二千年の待ち番を、まだ肩の細いあの子に。
だが、あの街道の言葉を思い出す。灯は、見えている。ならば、あの子の灯も見えるのだろう。私の父の灯も、第二代の灯も、見えていたのだろう。そう思えば、渡せる気がする。いつかあの子がこの頁を読む日のために、何か気の利いたことを書き残そうとしたが、やめた。書きたいことは、結局ひとつしかない。
よく眠れ。父はまだ、起きている。




