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宵の帳 当主の心得

 当主となる者は、以下のことを心がけ、一族の者にも徹底させよ。いずれも代々の当主が、その身をもって確かめてきたことである。


 第一に、三つ目の掟を、由来とともに胸に刻め。初代の言い遺しは、名を明かすな、珠に頼るな、絶やすな、の三つであった。いま我らが守る、囁きに従わぬこと、はのちに加えられた掟である。主が兄君の御手で封じられ、あの長い戦が終わったころ、家が何代目であったのかは、伝わっていない。いまの代の数えが始まったのは崩滅の少し前からで、それより古い記には、代数が書かれていないのである。囁きが始まったのは、封印ののちのことだ。代数の伝わらぬ、古い当主の記にこうある。弟が夜半に主の声を聞いた。主が呼んでおられる、珠を持って来い、と告げられた、と。弟は誰よりも主を慕う男で、喜びに震えて匣に手をかけた。当主は弟を止め、夜通し問い詰めて、ようやく気づいた。その声は、珠のありかを尋ねていたのである。よく考えよ。珠を我らに預けられたのは、主ご自身である。主は、珠がどこにあるかを誰よりもご存じのはずだ。ありかを問う声が、主であるはずがない。ゆえに覚えよ。主は、問わない。囁きは、問う。これが見分けの法である。その当主の弟は、その後も声に苛まれ、ある夜、家を出て戻らなかった。三つ目の掟は、この人の犠牲の上にある。当主となる者は、これを一族の全員に、幼いうちから徹底させよ。


 囁きへの備えは、こう伝えよ。声は、いちばん弱い夜に来る。大切な人を失った夜、務めが虚しくなった夜、眠れない夜。主の声で来るとは限らない。死んだ親の声、失くした子の声でも来る。来たら、言い返すな。問答をした者は負ける。灯を点せ。白湯を沸かせ。そして朝まで待て。教えの十六にあるとおり、夜にくだした決めごとは、朝にもう一度たしかめよ。声は朝には弱る。朝まで持てば、勝ちである。


 第二に、土地に長居するな。我らは人より長く生き、老いが遅い。同じ町に四十年もいれば、あの家の主人は年を取らない、と誰かが必ず気づく。当主一代のうちに、かならず一度は土地を替えよ。替えるときに、栄えた店を惜しむな。店はまた建つ。


 第三に、表の姓は使い捨てよ。平凡な名を選び、前の名と縁のある名は避けよ。そして、この帳にも、いかなる書き付けにも、表の姓を残すな。帳が万一人手に渡ったとき、家に辿り着く糸を一本も残さぬためである。


 第四に、生業は安息の商いを選べ。宿、寝具、香、湯屋。理由は三つある。務めに適うこと。人の出入りが多く、土地を替えるのに不自然がないこと。そして、疲れた者の顔を毎日見られることである。務めが虚しくなったときは、よく眠った客の朝の顔を見よ。あれに勝る薬はない。


 第五に、富みすぎるな。評判は、よい宿、で止めよ。都一の宿と呼ばれはじめたら、値を下げるか、店を小さくせよ。噂は光である。浴びれば、影が濃くなる。


 第六に、力を見せるな。我らの魔力は人より強い。子には、力を誇るなと教える前に、力を使わずに済ませる知恵を教えよ。竈の火加減、効く白湯、その程度に紛れさせておけ。子の力が強すぎるときは、学園にやるな。あそこは、才を隠させてくれない。


 第七に、権勢に近づくな。王侯の宿になるな、と第三十一代は書いている。貴人は詮索を連れてくる。役人には慇懃に、騎士には気前よく、そして誰の記憶にも残るな。


 第八に、祭りには出よ。封印祭の日は、我らも他の家々と同じように、封印に感謝を捧げよ。心は痛むだろう。だが休むな。あの日に家を閉ざすことこそ、最も雄弁な告白である。第四十代の言葉を貸しておく。あの日は、主が世を守っておられたころのことだけを思って頭を下げよ。そうすれば、嘘にはならない。


 第九に、夕の灯の礼を、隠すな。これが心得のうちで、いっとう大事である。隠しごとは、隠すからほころびる。軒灯に火を入れ、頭を下げる。誰に見られてもよい場所で、毎日、同じようにやれ。人は、毎日見るものを詮索しない。主人の験担ぎ、で二千年通ってきた。習慣にして、堂々と飾っておけ。それがいちばん深い隠し場所である。


 第十に、珠の置き場も同じ理屈で選べ。地下深くに祀るな。祀られた宝は、宝の顔をする。帳場の古い匣、なんでもない棚、日々の手の届くところに、なんでもない顔で置け。そして毎日、なんでもない顔で埃を払え。


 あわせて、崩滅の日の記を、代替わりのたびに読み返せ。数えの始まって間もないころの当主は、十日十夜、燃える空の下を、珠を背負って歩いた。宿を失い、家人とはぐれ、それでも軒先を借りるたび、灯をひとつ点して頭を下げたという。その記の最後には、一行だけこうある。世が滅びる夜も、夜は夜であった。誰かを休ませることは、できた。務めとは何かと問われたら、この一行を答えとせよ。


 最後に、心得よ。当主の務めは孤独である。妻にも子にも言えず、誇ることも、愚痴ることもできない。夜中にひとり、なんのためにと思う晩が必ず来る。そういう晩は、この頁をめくれ。ここに書き継いできた手は、みな同じ晩を過ごした手である。誰ひとり、途中で投げなかった。だからいま、おまえの手元にこの帳がある。そしておまえも、務めのなかで学んだことがあれば、この頁の末尾に書き足せ。おまえの払った授業料が、いつかの当主の晩を支える。


 代々の当主、書き継ぐ。


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