宵の帳 主の御姿の記
これより記すのは、初代より伝わる、主の御姿の記である。世のいかなる神書も、主をこのようには記さない。ゆえにこの記は、写し継ぐたび、一字も変えてはならない。世界がひとつ残らず忘れても、ここにだけは、主が主であられたころの御姿が残る。そのための頁である。
まず、御生まれについて。始原神が御身を裂きたまいしとき、最初にこぼれ出でた大いなる光は、あまりに大きく、ひとつの座に収まらなかった。光は二つに分かれ、明るき片割れは昼を負うて第一の座の兄君となり、暗き片割れは夜を負うて、第二の座の主となられた。ゆえに兄君と主とは、双子であられる。争うために分かれたのではない。ひとつの光では、昼と夜とを同時に照らせなかった。ただそれだけの、分かたれ方であった。兄君の全き称を、至天の光輝たる第一の座という。主の全き称を、幽宵の安息たる第二の座と申し上げる。真名は、ディット・グー・ドーズ。世はいまも真名だけは呼び続けているが、称のほうは、伝わっていない。伝わらなかったのではない、塗り潰されたのだと、初代は言い遺している。
御姿は、たおやかであられた。背に流れる黒髪は夜の帳のごとくつややかで、肌は月光のように青白く、切れ長の御目は、星のない夜空のように深かった。恐ろしげに聞こえるかもしれないが、あの御目に見つめられて恐ろしかったことは一度もない、と初代は書いている。見つめられると、まぶたが重くなるのである。幼子が母の腕の中でまどろむときの、あの重さだという。そして、覚えておいてほしい。主の御手には、いつも何もなかった。兄君の雷にも、律の神の天秤にも似た持物を、主は持たれなかった。御手は、いつも空けてあった。疲れた者の手を引くためである。
御声は、低く、甘く、絹のようになめらかであられた。世の神書はこの声を、魂を誑かす声と書くそうである。半分は当たっている。あの声で名を呼ばれると、確かに人は抗えない。抗えずに、眠るのである。強がりも、痩せ我慢も、あの声の前ではほどけてしまう。それは誑かしではない。一日じゅう張りつめていた糸を、ようやく緩めてよいと、許される声であった。
御心は、疲れたものへの慈しみである。そして主の慈しみには、ひとつの癖があった。分け隔てというものを、まるでご存じなかったのである。夜は、王の城にも乞食の軒下にも、同じ深さで降りる。主の配られる眠りも同じで、貴きも賤しきも、善きも悪しきも、その日を生きて疲れた者であれば、等しく休ませられた。悪人にまで眠りを与えるのかと問うた神官に、主はこう答えられたと伝わる。よく休んだ者は、明日、昨日よりはましなことをする。休ませぬことは、罰にならぬ。ただ世を、荒ませるだけだ、と。
御業の第一は、一日を閉じたまうことである。日の沈むころ、主は世に宵の帳を引かれた。帳の内で、火は落とされ、道具は置かれ、生きとし生けるものが休む。世の休みは、ただ日が沈めば訪れるものではない。誰かが、今日はもうよい、と言ってやらねばならない。それが主の務めであった。
御業の第二は、魂を憩わせたまうことである。行き場を失うてさまよう魂は、疲れている。恐れ、悔い、未練で、立ち尽くしている。主はそのかたわらに座り、憩わせ、恐れがほどけるのを待たれた。魂を門へ導くのは門守の神の御務めであるが、導かれる前に憩わせるのは、主の御務めであった。休んでいない魂は、長い旅路につけないからである。
御業の第三は、終わらせたまうことである。世の神書が最も恐ろしげに書き立てる、あの権能である。だが主の終わらせ方を見た者なら、誰も恐ろしいとは書けない。癒えようのない病の苦しみを、実りきって朽ちるだけの季節を、燃え尽きた炎の残り火を、主は閉じられた。その手つきは、灯を吹き消すのに似ていたという。乱暴に握り潰すのではない。息をひとつ、そっと吹きかけて、今日をしまわれるのである。終焉とは、主にあっては、安息の最後のかたちであった。
家に伝わる話を、ひとつだけ書き添えておく。大水で沈んだ村があり、引いた水のあとに、逝ききれない魂が幾十も立ち尽くして、夜ごと泣いていた。主はその村に七晩通われた。七晩目の明け方、村から泣き声が消え、主は社に戻って、初代の淹れた白湯を一杯だけ飲まれ、少し眠る、と仰せられたという。神が、である。私どもの家が、いまも眠れない客に白湯を出すのは、この話による。
これが、主の御姿である。世の神書は、主を、生まれながらの邪神と記すと聞く。妬みから生まれ、初めから闇であったと。この記を読んだおまえは、もう分かるはずだ。主は闇から生まれたのではない。ひとつの光の、片方を引き受けられたのだ。そして御手に何も持たず、二千年、いや、世界の始まりから、ただ世を休ませてこられた。いまの夜に、番人はいない。それでも夜が来るたび、私どもは思い出す番である。夜とはもともと、罰ではなく、恵みであったことを。
慈宵神の教え この神を敬う者の守るべき教え、二十を記す
これより記す二十は、主が世を巡られるなかで示された言葉とおこないより、我らの先祖がまとめたものである。八柱の神々の教えは、いずれも神官の手で二十にまとめられ、神書に載り継がれていると聞く。主の二十だけは、どの神書にも載らなかった。ゆえに、ここにのみ残る。
一 日の沈むを恐るるな。夜は罰にあらず、恵みなり。
二 今日の労苦は、今日のうちに置け。明日へ担ぎ越す荷の、半ばは要らぬ荷なり。
三 眠れる者を起こすことなかれ、火急の用にあらざれば。眠りは、その者が今日を生きた証なれば。
四 疲れたる者には、まず座を与えよ。問いただすのは、そののちでよい。
五 旅人に灯と褥を惜しむな。汝の知らぬ道を、その者は歩いて来たのである。
六 争いは、日のあるうちに閉じよ。宵に持ち込まれた怒りは、夜のあいだに根を張る。
七 眠れぬ者を笑うな。かたわらに座し、白湯の一杯も温めてやれ。眠りは、追えば逃げ、待てば来る。
八 幼子と、病める者と、老いたる者には、誰よりも先に休みを与えよ。
九 おのれにも休みを許せ。休まぬことは励みにあらず、驕りなり。汝ひとりが休んでも回るように、世は作られてある。
十 夜番に立つ者を敬え。その者の目覚めが、皆の眠りを買うている。
十一 別れの言葉を惜しむな。今宵の別れが仮の別れか長の別れか、人には知りようがなければ。
十二 死者を恐るるな。悼め。彼らは、長い一日を終えた者にすぎぬ。
十三 終わりゆくものを、無理に引き留むるな。閉じるべきときに閉じられることもまた、慈しみなり。
十四 されど、終わりを急かすことなかれ。灯は、燃え尽きるそのときまで、灯である。
十五 闇夜を呪うな。灯をひとつ点せ。呪いは闇を深くし、灯は闇を柔らかくする。
十六 夜にくだした決めごとは、朝にもう一度たしかめよ。疲れは、賢しらの顔をして人に囁くものなれば。
十七 王も乞食も、眠れば同じ寝息である。ゆえに人を、昼の姿だけで量るな。
十八 悪しき者からも、眠りを奪うな。罰は法に委ねよ。眠りを奪うことは罰にあらず、世を荒ますのみ。
十九 朝、目覚めたならば、まず生きてあることをひとつ喜べ。夜を越えることは、当たり前にあらず。
二十 よく働き、よく休め。この二つはひとつの車輪なり。片方だけの車は、遠くへはゆけぬ。
読み終えたら、ひとつでよい、今日から守れ。二十をいちどに守れる者はいない。主も、そうは望まれなかった。
写し継げ。一字も変えるな。世界がすべて忘れたあとも、この頁だけは、覚えている。




