第21話『ひび割れた虚像』【2】
生放送が始まった。
ステージ袖で待機していた美夏は、呼吸を整えた。
「White Noise、スタンバイ!」
スタッフの声が飛ぶ。舞白が中央へ。深月、紗梨愛、菜生が続く。美夏も自分の立ち位置に入った。照明が落ちる。暗闇の向こうから、観客のざわめきが聞こえた。
そしてイントロが流れ出し、一斉に照明が弾けた。
美夏は顔を上げる。カメラ、観客、ステージ。それらすべてを視界に入れながら、身体を動かす。歌う。踊る。笑う。それは、もう苦痛ではなかった。目の前にいる人間に、届くものを届ける。それだけでいい。曲が終盤に差しかかる。美夏が最後のポーズを決めた。一瞬の静寂のあと、拍手が起きる。以前より、ほんの少しだけ大きい。それでも美夏には分かった。自分の知名度が上がった分だけ、White Noiseという名前を知っている人間も増えている。その変化が、確かにここにある。
ステージを降りると、出演者によるトークコーナーが始まった。
美夏は寿志の横に腰掛ける。
「いやあ、White Noiseのみんな、良かったねえ」
神代が笑う。
「ありがとうございます!」
菜生が元気よく答えた。
ゲストの寿志も満足そうに頷いている。
「いや、本当に。最近は人気も出てきてるんじゃない?」
「ありがとうございます」
美夏は頭を下げた。
寿志は上機嫌だった。映画の宣伝も兼ねている。テレビの生放送に出ている。そして、自分が監督する映画の主演女優も隣にいる。
その状況に酔っているのか、寿志は豪快に笑いながら言った。
「まあ、人気が出なくても気にしなくていいんですよ。アイドルにはAV女優になるって道がありますからね」
一瞬、空気が止まった。
美夏は何も言わなかった。何を言えばいいのか分からない。分かっていることといえば、何を言ってもこの男には通じない、ということくらい。ただ単に常識がないというだけではない。この男はいったんスイッチが入ると止まらない。だが──それでいい。それを知っているからこそ、わざわざ天導に働きかけ、生放送に呼んだのだ。まさかここまでひどいとは思っていなかったが。
ハイテンションになった寿志は笑いながら続けた。
「デビューさえできれば、あとはイージーモードでしょ」
神代の表情がわずかに変わった。
だが、寿志は気づかない。
「俺もAV撮ってみたかったんだよなぁ。映画は無理でも、AVなら俺にも撮れるかなって」
「……え?」
菜生が素っ頓狂な声を出した。
「寿志監督って、映画をいっぱい撮ってるんじゃないんですか?」
悪意のない、純粋な疑問だった。
寿志が一瞬黙る。
「いや、まあ……そうだけど」
「じゃあ、なんでAVなんですか?」
「……そりゃ、まあ、なんていうか……やっぱ、AV堕ちしたアイドルを撮るのってロマンなんだよねぇ。新人アイドルを見るとわくわくするんだよ、この中から何人AV堕ちするんだろうって」
寿志は贅肉を揺らしながら下品に笑い、まくし立てた。
美夏は横目で神代を見た。彼は穏やかな顔をしていた。だが、その目からは笑みが消えている。やがて神代が、静かに口を開いた。
「寿志さん。それは他人の人生を消費する人の視点ですよ」
「……?」
寿志は、子供のようにきょとんとした。
神代の言葉の意味が、本当に分からない様子だった。
神代はそれ以上、寿志に何も言わなかった。番組はそのまま進行した。けれど美夏には、何かが壊れたことが分かった。
その夜。番組終了後のスタッフルームで神代が静かに言った。
「……今後も寿志さんを出演させるなら、私は司会を降ります」
「え……?」
番組プロデューサーの顔から血の気が引いた。
「神代さん、それは……」
「冗談ではありませんよ」
神代の声は穏やかだった。
だからこそ、周囲のスタッフは凍りつく。
演歌歌手の神代和茂は、芸能界の重鎮だ。芸歴は長く、穏やかな人柄で、人前で声を荒げることはほとんどないと言われている。その人柄と実力ゆえに、彼は多くの人間の信頼を得ていた。芸能人はもとより、スポンサー各社、テレビ局の上層部、そして彼の所属先以外の芸能事務所の幹部にも一目置かれている。広告代理店と繋がりの深い寿志清純は、テレビ局にとって『上客』だった。しかし神代の築き上げた信用と、それらを敵に回すことによって被る損益は、寿志のもたらす利益など比較にならないくらい大きい。神代和茂と寿志清純のどちらかを選ばなければならないのなら、その答えは明白だった。
Studio Asterの作り上げた寿志清純という虚像は、彼自身の失言によって壊れ始めた。




