五十五挺目 姉妹
「鈴木秋也、だったかしら。今日は私がこの子を送っていくわ。いつもありがとう」
妹の乗る車椅子の手押しハンドルに手をかけ、彼女を好いている男に私はそう伝えた。彼は少し困った様子で『こちらこそ。叶向を宜しくお願いします』と言い、私達の下を去った。梓やソレンヌもそれと同じタイミングで帰って行った。
「やっと、二人きりになれたわね」
車椅子の座席からそんな声が聞こえてくる。私は端的にそうね、と返しておいた。
「......どういう気持ちだったの? 私が貴方のことを、投稿者としての貴方を好きだと知って」
「私は投稿者としての自分と、普段の自分とを完全に切り離して生きている。少々の驚きしか覚えなかったわ」
「それなのに今日、私達の前で歌を歌ったのは何故?」
「......私のことを、貴方がずっと好きでいたら可哀想だなと思って。私は自分と、投稿者としての自分を切り離しているけれど、皆がそうではないでしょ」
「ふうん......少しは期待したんだけどな。貴方が素直に気持ちをぶちまけてくれることを」
まるで、私のことを全て、見透かしたかのような彼女の言葉は遅効性の毒のように私の心を少しずつ蝕んでいく。
「ごめん」
「謝られても」
「貴方が歌い手としての私を好きになってくれたように、不知火望奈としての私のことも好きになってくれたら......という、浅ましい気持ちがあったことは否定しない」
「貴方、私に好きになって欲しいのね。それじゃあ、私のこと、もう全く恨んでいないの?」
私は彼女に見えるわけがないのに、力一杯にかぶりを振った。
「いいえ。恨んでいる。今でも憎いし、昔のことを思い出すだけで貴方への怒りが沸々と湧き上がってくる」
「どっちが本当なの」
「どちらも本当。いいえ、どちらも間違い、の方が正しいかもしれないわね。私が貴方のことを好きだと言えば嘘になるし、嫌いだと言っても嘘になる。勿論、無関心だなんて言えば大嘘になるわね」
「......面倒臭い女ね」
「鬱病気味の貴方には言われたくないわ」
「そうは言うけど、どうせ貴方も精神科に行けば似たり寄ったりの診断を受ける筈よ」
「ふふっ、そうでしょうね」
こうして彼女と語らう時間が私にまたやってくるとは、夢にも思わなかった。一生、この子とは会えない思っていたから。
「ね、貴方、何て呼んでほしい?」
「......ん?」
「呼び方よ、貴方の。さっきからずっと、貴方って何呼んでるけど、呼び掛けに『貴方』っておかしいでしょう?」
「私はアレを呼ぶ時も『お前』って言ってるわよ」
「『アレ』だの『お前』だの、酷い扱いね、霊群先輩。そんなんだから、途中で帰っちゃったんじゃないの?」
「......さっき、スマホを見たら、急用が出来たって連絡が来ていたわ。電話の一つでも入れてやろうと思ったけど、スマホの充電が切れてて」
「貴方、それ、信じてるの?」
「いいえ。......でも、アレは人の心には土足で踏み込んでくる癖に、自分の本心はひた隠すタイプだから。あれこれ考えても仕方がない」
「よく、理解しているのね。彼のこと」
「理解しているのはそれだけよ。私はあの人のことを何も知らない。......私の知らない所でコソコソと色んなことをしていたみたいだけれど」
「彼には世話になったわ。ホント、気持ち悪いくらい良い人。あんなのが私達の兄だったら、もう少し私達の関係もマシだったのかしらね?」
叶向のその言葉を聞いた私は不意に大通りの信号の前で足を止めた。
「......青だけど?」
「分かってる」
端的にそう答えると私は叶向の車椅子から手を離し、溢れてきた涙を拭った。声さえ出さなければ、彼女に気付かれることはない。そう思い、私はボロボロと流れてきた涙を必死で拭う。
「......どうかした?」
青信号を前にして、突如、立ち止まった私に叶向がほんの少しだけ心配そうに聞いてくる。しかし、今話せば、私が泣いていることが声色で彼女にバレてしまう。私が返せるのは沈黙だけだった。
「ねえ、どうしたのって聞いてるの」
苛立った様子の叶向の言葉にも私は沈黙を返す。
「大丈夫? 身体でも痛い?」
「・・・・」
「......もしかして貴方、泣いてる?」
彼女は振り返らず、真っ直ぐ前を向きながらそう聞いてきた。ずっと、閉じていた私の口は開かざるを得なかった。
「不出来な姉で......貴方は姉とは思っていないでしょうけど......不出来な姉でごめんなさい」
その声は自分でも驚くくらいに震えていて、結果的に彼女の問いを肯定することになった。
「......不出来な妹でごめんね、と謝るつもりはないよ」
「うん。それで良い」
私は赤を経て、再び、青になった信号を彼女の車椅子を押して通り始める。辺りはすっかり、暗くなっていて、通行人も殆ど居ない。まるで世界に自分と叶向しか居なくなったかのような感覚に襲われた。
「......いつだったかな、庭に来ていたスズメが卵を産んで、雛が生まれたことがあったよね。覚えてる?」
不意に彼女がそんなことを聞いてきた。話の脈絡が感じられないそんな質問に私は首を傾げながらも『ええ』と相槌を打った。
「あの男がその雛を殺そうとしてさ、それを止めようとした私は殴られた。......そのとき、貴方は雛を安全なところに逃した上で、『殴るなら自分を殴って』って、あの男に土下座をした」
「......そんなこともあったかしらね」
「嬉しかった」
「え?」
「あの時だけ、私と貴方の心が一つになったような気がして。久しぶりに姉妹に戻れた様な気がして、嬉しかった」
返答に困り、黙り込む私に対して、彼女は次から次へと彼女の気持ちを私へと伝えてきた。
「結局、私は貴方と決別してからも、貴方に姉としての役割を求めていた。そういうことだったんでしょうね。そして今も、その気持ちは変わらない。......仲直り、なんて薄っぺらい儀式で私と貴方が犯してきた罪を精算出来るとは思わないけれど、叶うならばもう一度、貴方には姉になって欲しい」
「叶向......」
「でも、もう、私はそんな贅沢を言える身分でも無くなってしまった。私は私のことが大嫌いだし、貴方にもそうあってもらいたい。私は貴方に姉としての役割を求めながらも、私は貴方に私を妹として認めて欲しくないの。......人殺しの妹を持つだなんて、貴方が救われないわ」
彼女の口から次から次へと繰り出される言葉は段々と熱を持ち、段々と速くなって行った。
「あの男が死んだと聞いて、心が何だかとても軽くなったのを覚えているわ。その日は興奮して眠れなかった」
「......そう」
「それがどういうことか分かる? 私は貴方の犯した罪の結果にタダ乗りをしたの。一生、縛られ続けるであろう呪縛を貴方に押し付けて、貴方が苦しみ抜いた末に出した結論をただ、喜んだ。そんな私が救われる必要なんて、ないのよ」
「違う」
「え?」
「私は苦しみ抜いてなんかない。私は殺したいからあの男を殺した。ただ、その願望があるだけだった。呪縛とやらにだって、縛られてない。呆気なく死んだあの男に変な溜息が出ただけ。私は殺しに慣れてしまったのよ。......秋也さんや、霊群先輩、梓達とも本当は私は関わるべきじゃない」
「......叶向」
「でも、私、秋也さんのこと好きだし。霊群先輩の優しさにももっと、甘えたいし。梓達とももっと仲良くしたい。ほんと、生きてて恥ずかしいよね、私」
「私も一度、濡れ衣を着せて、陥れた相手である梓の優しさに付け込んで、彼女と仲良くしているわ。生き恥なら似たようなものよ」
「そう......あの、呼び方の話に戻るけど、貴方のこと、お姉ちゃんって呼んでも良い? 霊群先輩の前ではずっと、皮肉を込めてそう呼んでいたの。丁度、良いと思わない? 歩み寄りとも、皮肉とも取れて」
「好きに呼べば良いわ」
そう言って私は軽く笑った。
「じゃあ、早速呼ばして貰うけど、お姉ちゃんさ」
「何?」
「動画、再開しなよ。霊群先輩や梓だけじゃなく、インターネット上の何万、何十万って人がお姉ちゃんの歌を聴きたがってる。私も貴方の歌が聞きたい」
「......前向きに考えておく」
⭐︎
叶向を病院に送り届け、コンビニで軽く買い物をしてから帰宅した。既に時刻は20時を回っている。体が少しベタついていたので食事の前に入浴を済ませた。
「......はぁ」
全身の力が抜ける気がしながらも、髪を乾かし、着替えを済ませると、隣の彼の家を訪ねた。
しかし、インターフォンを押し、幾ら待っても返事がない。もう一度、インターフォンを押す。......返事がない。
「出なさいよ」
苛立ちを覚えながらも何度もインターフォンを押す。風呂にでも入っているのだろうか。どれだけインターフォンを押そうとも、返事がない。何と無く気になって扉のハンドルを動かしてみると、そのまま扉が開いてしまった。
少し迷った後にそのまま、彼の家の中に入った。
「鍵開いてたわよ。前もこんなことがあったでしょう。いい加減、学びなさい」
暗闇にそんな言葉を投げかける。おかしい。何処の部屋も電気が付いていない。まだ彼は帰っていないのか、それとも寝ているのか、首を傾げながらリビングの電気を付ける。
「......え?」
リビングに以前はあった机も、テレビも、何もかもが無くなっている。焦燥感が込み上げてくるのを感じた。風呂場を確認しても、風呂場の椅子も、シャンプー類も全てが無くなっている。
彼の生活の痕跡が全て無くなってしまっていた。急いで自分の家に戻り、外出中に充電が切れてしまったスマホを充電器に繋げた。再起動したスマホのロックを解除し、彼に電話を掛ける。しかし、彼が電話に出ることはなかった。
一体、何が起きているのか、全く検討も付かなかった。漠然とした不安が自分を襲う。仕方がない。メッセージを送っておこう。そう思い、メッセージアプリを開くと、彼から一件だけ新規のメッセージが来てきた。
『急で悪い。引っ越しをすることになった。元々、勉強に集中するために親に借りてもらった家だからな。推薦が決まった今、親が金を出してくれる理由も無くなった。今月いっぱいまではその家、俺の家だから汚したり物置いたりしなかったら好きに使ってくれて良い。キッチンに今日の夕食が置いてある。食器を返すの難しいだろうから適当に処分しといてくれ。数ヶ月の間、不知火の隣で暮らせて楽しかった。受験、頑張ってな』
絵文字の一つもないそこそこな長文で、彼は淡々とそう述べていた。
「......何それ」
鈍い痛みが頭に走る。膝から崩れ落ちた私は茫然自失した。そして、暫くすると、幾つもの疑問と苛立ちが込み上げてきた。
何故、彼は引っ越しのことを前もって言ってくれなかったのか、何故、今月いっぱいまで此処は彼の家なのに、こんなにも早く、家を出て行ってしまったのか。
許せない。どうして、こんな裏切りのような真似が出来るのか。絶望と喪失感が全てぶつける先の無い怒りへと変化し、全身が震え出した。そして、その瞬間、今朝の彼の言葉が脳裏を過ぎった。体を背後から槌で殴られたかのような衝撃を感じる。
『お前の自殺を止めたのは俺だ。......だから、その責任は取るつもりだ』
いつの日か、彼に言った覚えがある。お前は自分の自殺を止めたのだから、自分に協力しろ、と。そして、今日の彼の言葉。
「ふっ......ふふっ......へっ、はっ、何よそれ......」
気付いてしまった。彼は今までずっと、その『責任』とやらに突き動かされて自分を助けてくれていたのだと。そして、今日、彼は私と叶向が再会した時点でその『責任』を果たし終えたと考えたのだろう。
身体の震えはいつの間にか怒りから、怯えによるものに変わっていた。




