五十二挺目 不快
「お前も何か曲、入れなさいよ」
「いやー、俺、音痴だし。ぬいたん......じゃなくて、フォったんが歌って」
「フォったん言うな。くたばれ」
「ぬいたんは良いんだ」
「慣れた」
昼食を終えた俺達は不知火の希望でカラオケへと足を運んだ。動画投稿サイトで根強い人気を獲得し続けているフォスフォレッスセンス......その中の人である不知火の歌声を生で聴き放題、何だこの天国は。
「え、これ本当にお金とか払わなくて良いのか?」
「私が視聴者から歌の対価に金を取ったことなんて無いでしょう......グッズとかは出してるにしろ」
「俺はめっちゃ投げ銭してるけどな」
「知り合いから金を貰うの、何だか凄く生々しいから止めて欲しいわ......」
そう言いながら彼女はマイクを握り、テレビの方を向く。既に彼女が入れた曲のイントロが始まっていた。彼女がカバーを動画投稿サイトに投稿したことがある曲だ。
マイクを持つ彼女の顔はいつにもまして、真剣で凛とした表情で真っ直ぐ画面を見つめていた。
「夢で見た華が一番、美しく思えて〜」
俺は身体を少し、不知火の方へと寄せ、彼女の歌声に耳を澄ませた。数千、数万、数十万という人間がネットを通じて聴いている彼女の歌声。それを今は俺だけが聞いている。その事実は俺の気分を高揚させた。独占欲はさほどないつもりなのだが。
「......はぁ」
彼女の少し低く、それでいて繊細で美しい声に俺は溜息を吐きながら聴き惚れた。絶対に最後まで完璧に歌いきる、というプロ意識からか、どれだけ俺が近付いても彼女は微動だにしない。
「......89点、まあまあね」
彼女は慣れた手付きでリモコンを操作し、まだ、アウトロの流れている画面を停止し、点数を確認、そして、軽く感想を呟くと、その画面も飛ばした。
「良いものを聴かせて貰いました! ありがとうございました!」
俺はそんな彼女に心からの拍手を送った。駄目だ、顔がニヤけてしまう。あの素晴らしい歌声を生で聴かせて貰えるなんて。
「へへへ」
「この世の終わりみたいな気色悪い笑みを浮かべないで。吐き気がする。歌うの止めるわよ」
「あ、ごめん、待って、それだけは許して。お行儀よくしますから」
「じゃあ、まず、くっつくのをやめなさい気持ち悪い。歌っている途中、いつお前の頭をマイクで殴ってやろうか考えていたわ」
「あんな綺麗な声で歌いながらそんな恐ろしいこと考えてたのかよ。やっぱ、お前、不知火だな」
「はあ......次も私が歌えば良いの?」
「頼む。ああでも、もう歌いたくなくなったら言ってくれよ。そうなったら俺のひっでえ歌声を披露するか、ソレンヌネキあたりを呼ぶ」
「別に大丈夫よ。歌うのは好きだから。それに、お前に褒められるの、嫌いじゃない」
少し恥ずかしそうにそんな言葉を溢す不知火。こ、このグサデレ、このタイミングでデレやがった。
「不知火、好きだ」
「くたばれ」
「告白にその返ししたの、世界広しと言えども多分お前くらいだぞ」
「本気じゃないでしょ、心がこもっていないもの。本気で告白してきたなら私も本気でお前を罵倒して、全力で拒絶するわよ」
「そんなあ」
「......はあ、お前と話していると疲れる。二曲目を歌うわ」
不知火の歌は数分の休憩を入れながらもその後、二時間続いた。俺も不知火も、殆どトイレにもドリンクバーにも行かず、ただ、彼女は歌うことに、俺は聴くことに没頭した。その二時間はまるで夢のようで、頭から足まで幸福が駆け抜けていった。
「疲れた。何か飲み物」
そして、二時間後、彼女はソファに寝転がって力尽きた様子でそう呟く。俺は部屋を出て、彼女のコップと自分のコップにコーラを注いで戻ってきた。
「......どっちがぬいたんのコップか忘れた」
ドリンクバーあるあるをやってしまった。
「どっちでもいいから寄越しなさい」
「二分の一で俺と間接キスだけど大丈夫?」
「私そういうの気にしないから。というか、意識させるな気持ち悪い。どうしてお前みたいな気色の悪いクズ虫が生きているのかを題材に論文でも書こうかしら。学会を追放されるかもしれないけど」
「おお、いつにも増してキレッキレだな......あ、そうだ、不知火。さっきも案として出したが、ソレンヌでも呼ばないか? 喉が疲れたならアイツに歌って貰おう」
「......別に良いけど、あの子、バイトじゃないの?」
「分からん。電話だけしてみる」
俺が電話をすると、彼女は思ったよりも早く電話に出た。今日の彼女は夜からシフトが入っているらしく、俺がカラオケに誘うと、18時くらいまでなら参加してやるのです、という言葉が返ってきた。
「直ぐに来るって」
「......そう」
少し疲れた様子で頷く不知火。そんな彼女の姿を見て、俺は漠然とした不安を覚えた。
「あ、そうだ。どうせなら蜂須賀も呼ぶか? ソレンヌと蜂須賀、結構、仲良いし、気まずい感じにもならないと思うからさ」
俺の提案に対して彼女は何処か投げやりに『別に良いわよ』と答えると、暫く沈黙した。曇った表情で天井を睨み付ける彼女を俺は少し心配しながら見つめる。
「不知火、大丈夫か? 体調が優れないなら帰っても......」
「ウザい」
「え?」
「私の様子を伺うばかりで、生気が感じられないその目がウザい。お前から意思というものが感じられない。......お前は一体、何がしたいの」
イライラした様子で、溜まっていたものを吐き出すかのように俺にそんな言葉をぶつける不知火。予想外の彼女の言葉に俺は沈黙するしかなかった。
「・・・・」
「......最近だって、私が受験勉強をしているからという理由で私と関わらないようにして......たまに顔を見せたかと思えば、まるで、私を死に掛けの小動物か何かのように扱って......分からない。お前が何をしたいのかが。今朝、私が怒鳴ったのだって本当は......」
「俺は不知火に幸せになって欲しいよ」
「......は?」
「俺は不知火に幸せになって欲しいし、不知火が笑っているのをみたい。それだけ」
俺がそう言って笑うと、不知火は幽霊でも見たかのように目を見開き、絶句した。
「......っ......お前は、何を......」
「あー、恥ずかしい、恥ずかしい。面と向かって言うと意外と恥ずかしいもんだなこれ。よし、蜂須賀も呼ぶぞー」
「......お前のことが分からないわ、何も」




