三十六挺目 ずっと
「居ない......」
ただの思い付き、ただの勘、それでも一時は『きっと、此処に居る』と思い込んでいたのだ。やはり、落胆してしまう。
居ないと分かっていてもあの子の姿を探してしまう。......絶対にそんなことはあり得ないし、あり得てほしくないのに、歩道橋の下、線路の上を探してしまう。
「......そんな暇なんてない。落胆してる暇なんて......ない」
他に、他に彼女が行きそうな場所は何処だ。考えれば考えるほど、彼女は私の想像も付かないところに行ってしまった気がして眩暈がする。
「何してんの」
左からそんな声が突如、聞こえた。
「っ......!」
声が聞こえてきた方を見ると、歩道橋の右端、階段のすぐ横に『彼女』は立っていた。
「......さっき、言わなかったっけ。私、お前のことが大嫌いだって」
私を睨みつけながら彼女は言う。決して視界から彼女を逃さないように、ゆっくり、ゆっくりと彼女に近づく。
「人の腕を切りつけておきながら、好き勝手言って逃亡するなんて、私も舐められたものね」
「ふっ。初めからそう言えば良かったのに。さっきの冷静で、怒ることもせず『優しい被害者』を振る舞うお前の態度、本当に気持ち悪かったわよ。気狂いの妹の行為を静かに許す姉を演じたかったの?」
私が近付けば近付くほど、彼女は少しずつ後退りをし、階段を降り始めた。
「・・・・」
「それもこれも、全部『霊群蒼』に良い顔をしたかったから? 本当、気持ち悪い。死ねよ」
「......っふ。何を言い出すかと思えば、私があの男の為にそんな面倒臭いことをする訳ないでしょ。貴方が何を考えているか知らないけれど、私の中であの男の存在は大したものじゃないわ」
「そう? 霊群センパイ、ずっと貴方のことばかり考えていたわよ? 貴方にその気がなくても、向こうにはあるんじゃない?」
クスクスと笑う叶向の表情に彼女が先程まで放っていた邪気は感じられなかった。
「馬鹿なこと言わないで。アレはただの愚かなお人好しよ。......困っている人間が居たら、誰にでも手を差し伸べてしまうような、脳の足りないお人好し」
「ふふっ。昔、そんな馬鹿で愛すべきお人好しの女の子を自分の感情を発散するだけの為に利用した血も涙も無い脳の詰まりすぎた怪物が居たっけね」
私が近付いては、彼女が後退る、それを繰り返しているうちにとうとう二人とも歩道橋から降りてしまった。それでも私は叶向に近寄り、叶向は私から距離を取る。
「確かに居るわね。自分が苦痛から逃れるが為に実の妹に濡れ衣を着せるような、どうしようもない怪物が」
「でもね、私はそれを上回る怪物を知っているのよ。実の親を殺し、何の痛みも感じない怪物を。未だに生きる意味を見出せず、憎しみと自己嫌悪の狭間で吐きそうになっている、化け物をね」
「......あまり、後ろ歩きをしていると転ぶわよ」
「あらあら、また『優しい姉のフリ』かしら?」
「そうよ。悪い?」
「ええ。気持ち悪いわ、最悪に」
歩道橋を降り、後ろ歩きで私から遠ざかる叶向。必死に距離を離されないように近寄る私。既に日は暮れそうで、西日が強く差してきていた。
「西日、嫌いなのよね」
と、叶向は苦笑した。
「私は好きよ。心の底がザワザワとして死にたくなるけど、そんな痛みも甘美だわ」
「イカれてるね」
「どっちがよ。気狂いに刃物を実践した化け物の癖に」
同じ距離を保ったまま、歩いて、歩いて、住宅街に中に入ってもずっと、歩いた。
「......もう、夜ね」
街灯が点滅し、一斉に光始めたのを見て叶向が呟く。私と彼女の距離も最早、縮まったのか、遠くなったのか分からなくなってきた。
「そうね」
「そういやさ、貴方、霊群センパイ達にも私のこと探させてたんじゃないの? きっと、今頃、必死に探し回ってるよ、あの人ら」
ポケットに入れたスマホが何度も振動しているのは気付いていた。しかし、そんなものを返す余裕は無かった。目の前に彼女が居たから。一瞬でも視界から逃してはいけないと思ったから。
「......そうね」
「さっさと返事しないと嫌われるんじゃない?」
「そんなことで嫌うような連中じゃない」
「ふうん。人のことを信用出来るようになったんだ、貴方」
もう、街灯の灯りだけでは叶向がどんな顔をしているかも分からなくなっていた。
「......別に、貴方や父が信用に値しなかっただけよ」
「幸せになれたようで、良かったわね」
その言葉は僻みでも無ければ、祝福でもない、何とも無感情な声色で放たれた。
その時、街灯と家々から漏れ出た光しかない筈の住宅街の細道がピカっと何かに照らされた。
「......な、に?」
後ろを振り返ると、目に飛び込んで来たのは網膜が焼けそうな程眩しいトラックの前照灯。体が危ないと判断した時、既にその光は私の直ぐ近くまで迫っていた。
「好きよ......」
その声は自分から漏れ出たものなのか、はたまた彼女の声だったのか。
突如、真横からの強い衝撃を受け、勢いよく転がった私の体は道路端の側溝に半身が挟まったことで止まった。
「......いった」
最初の数秒間は何が起きたか、分からなかった。でも、ただごとではないことが起きたことと体の節々が痛むことだけは分かった。
「......っ、ぁっ、叶向!」
そして、十秒もするとある程度の状況が全て分かってしまった。私は立ち上がり、止まったトラックの光に照らされ、はっきりと見える彼女の元に走る。
彼女の直ぐ横に着くと、トラックの光が照らしていたのは叶向の体だけではないと知る。うつ伏せになった彼女の何処かから、恐らく、腹や頭から出ているであろう多量の血液をもトラックの光は鮮明に照らしていた。
「けじめを、付けられる、良い機会があって、良かった」
狼狽し、何も話せない私に彼女が譫言のようにそう言った。
「私は貴方を助けて死に、貴方は私に一生、負い目を、感じて生きるの。最高に私らしい死に方と、思わない? 貴方は本当の意味で幸せになることは一生、出来ない。何故な......何故なら、私自身が......過去の貴方と、現在の貴方とを離れられないようにする楔になるから」
「もう......もう、静かにして。......死んじゃうよ」
「最高の死に場所......甘美だわ......貴方は私のことをすっかり忘れ去れる程、非道な人間じゃないってこと......貴方が私を置いて幸せにはなれない、優しくて、妹想いな人間だってこと......私、知ってるの。そう、でしょ?」
地面の血溜まりは尚も広がっていく。それでも、彼女は口を閉じなかった。
「でも、秋也さんに会えず死ぬのは心残りかなあ......秋也さんもお人好しだから中々、新しい女見つけられなそ......てか、私のこと一生愛して独り身で居て欲しい」
トラックの運転手が救急に電話をする声が聞こえる。私は目眩に目眩が重なり、叶向の姿を上手く捉えられなくなっていた。
「......ごめん。ごめんね。許して貰える筈ないけど、ごめん。私、ずっと、仲直りしたくて......っぇ」
「っふ、知ってるよ。ちょっと、クラクラしてきたな......」
「償うから。私、償う......から」
「ふふ......随分と幸せな頭ね。私も貴方も......払っても払っても払い切......っぉえ、払いきれない債を抱えているのよ。だから、そんなもの踏み倒してしまいなさい。私流の高飛びはこれだけど、貴方は違うでしょ?」
「......卑怯。卑怯よ。卑怯だよ。叶向あ......」
「どの口が......言ってんの」
それ以上、叶向は何も言わなかった。




