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三十三挺目 鈍色の記憶


『叶向、ゴマちゃんとコメちゃん、今日も来てるよ』


『ホント〜!? 見たい見たい! あ、ホントだ。お姉ちゃん、お米持ってきてー』


『はいはい』


 私と姉の仲がまだ悪く無かった頃、庭にペアのスズメが度々、来ていた。私と姉が餌を撒いていたので、餌場として覚えたのだろう。名前は『ゴマ』と『コメ』。どちらの名前も二羽に与えていた餌からとった。

 ある春、ゴマとコメが雛を産んだ。巣箱等は設置していなかったのだが、ピーピーという甲高い声が家の何処かから絶えず響いていたのでそれが分かった。


『......頑張ってるね、ゴマもコメも』


 雛のため、忙しなくこの家と外とを行き交いしているゴマとコメがとても愛おしくて、そんな独り言を言っていた気がする。


『・・・・』


『......チッ。餌なら私がやる』


 私と同じく二羽を見るためにやって来た姉と鉢合わせることも偶にあった。

 そう、二羽が雛を産んだタイミングは私と姉が激しく対立していた時期と被っていたのだ。

 しかし、家では休戦するという暗黙の協定を結んでいた私達は変わらず、ゴマとコメを見守っていた。勿論、姉妹二人で仲良く二羽を観察する、なんてことは一度も無かったが、一つだけ強く記憶に焼き付いている出来事がある。

 足音や食器を出す音、布団を敷く音にリモコンを机に置く音、ありとあらゆる生活音が大きい男がいつにも増して、大きな物音を立てていた日があった。多分、姉も私も遅くまで寝ていたので休日だったと思う。

 うるさいのは男が何かを動かす音だけでなく、外から聞こえるスズメの雛の声も大きかった。胸騒ぎがした私は少し震えながら男の所へ向かう。

 彼は玄関付近の物置で邪魔なものを全部、放り投げながら何かを探していた。


『......何、探してるの?』


『ああ? 殺虫剤だよ。お前、何処にあるか知らねえか』


 私が首を振ると、彼は苛立った様子で


『なら、探して来い!』


と叫んだ。


『虫、出たの?』


『違えよ! 外の鳥! 何処にいるか今まで分からんかったから放置してきたが、さっき、そこの庭に雛が落ちてるのを見つけたんだよ。甲高い声で鳴きやがってうるせえから殺すんだ。......あんじゃねえか』


 物置の奥、バケツの中に入っていた殺虫剤を見つけて少し機嫌を直した彼は『どけ』と言って、玄関を通り、庭に行った。殺虫剤を持って。

 頭の中が真っ白になった。男を止めなければ。けれど、男に逆らえば私がどうなるか......。過呼吸気味になりながらも、私は必死で考えた。

 早く......早く行かないと雛が殺される。


『待って!』


 私は男を止めることを選んだ。

 ペタリと地面に座り込んだスズメの雛に、今にも殺虫剤を噴射しようとする男の足を私は掴み、後ろに転ばせた。


『チッ。何すんだテメエ!』


 怒りに任せて男が雛を蹴りでもしたらもう、本当に取り返しが付かなくなる。そう思った私は直ぐに雛の前に立ち、男に立ちはだかった。


『お願いします......この子を殺さないでください......何でもします......私を殺しても良いから! この子を殺さないでっ!』


 私は今にも泣きそうになりながら、たった、今自分が転ばせた男にそう叫んだ。


『お前、自分が何やったか分かってんのか? 男親に手え上げたんだぞテメエはぁっ!』


 右頬を殴られた。でも、後ろに倒れる訳にはいかない。もし、私が後ろに倒れたら、この子は圧死する。

 雛の甲高い鳴き声と右頬の痛みがグルグルと混ざり合って私の脳を締め上げた。私は全く、現実感を持てないまま、泣き叫ぶ。


『ごめんなさい! 何をしてでも償います! 償いますから......この子を殺さないで......』


『ギャアギャア叫ぶな! 近所に聞かれるだろうが!』


 何度も何度もアザが出来るくらいに顔を殴られ、腹を殴られても私は倒れず、男の行手を阻んだ。

 数分間、そんな攻防を続けていると、後ろから足音が聞こえてきた。


『おいお前! お前も俺に逆らうのかよ!』


 男がそう叫ぶ。思わず、後ろを振り返ると、雛を両手で持って何処かへ逃げていく姉の姿があった。男は私を力ずくで投げ飛ばし、それを追いかける。


『待ってぇぇっ!』


 蹴り飛ばされた私は地を這って男の足を掴んだ。当たり前だが、顔を蹴られた。でも、離さなかった。鼻を蹴られた。今まで男にされた暴力の中でも最大と言えるほどには痛かった。でも、姉が雛を隠すための時間稼ぎと思えば耐えられた。

 暫くすると、走って姉が戻ってきて


『許して下さい......! お願いします......! 殴るなら私を......』


と、男に土下座をした。泣いていた。


『......お姉ちゃん』


 複雑な心境だった。自分の差し金で虐められている姉が私を庇ってきたのだ。


『......それに、叶向をあまり蹴り過ぎて、痣が出来たら、教師に怪しまれる、から......もう、やめてください』


『だったら、テメエが隠したさっきの雛を持って来い! 靴汚したくなかったから殺虫剤使おうとしたが、気が変わった! 踏み潰してやる! そうしたら許してやるからよ!』


 と、土下座をする姉の頭部を蹴りながら男は言った。


『ふうすうっ......はあっ......それだけは、許して......すぅっ......ごめんなさい......ふぅっ、はあっ......』


 過呼吸になりながら縋り付くように姉が男に頼んだその時、ガチャリと隣の家の扉が開く音がした。

 それは男の耳にも届いていたらしく、彼は


『飯用意しろ』


と言って、家に戻った。

 私達の叫び声を隣人に聞かれたと思ったのか、聞かれたら不味いと思ったのだろう。

 兎に角、その時だけは私達は共闘した。そして、その経験のせいで私達は相手を殺せなくなり、逆に私は男の殺害をいつしようかと考えるようになったのだ。


 姉に冤罪を掛けられた日の翌日、私は睡眠薬入りの酒を飲ませて親を眠らせ、家に火を付けた。泥酔するまで酒を飲むことがよくあり、家の中でタバコを吸うこともよくあった男のお陰で私が警察に疑われることは殆どなかった。

 きっと、姉は知っていただろうが。

 肉親の殺害という感慨は無かったが、やはり、人間をこの手で殺したという実感は強くある。

 罪悪感や後悔は無かったが、ライターでタバコに火をつけ、そのタバコを畳に置いた時のあの、嫌な感触は忘れられなかった。

 姉と私は今まで同じ量の業を重ねてきた。しかし、この事で私は姉を遥かに超えた業を背負うことになったのだ。

 もう、私は姉とは違う。人殺しの化け物だ。自分のことが大嫌いになる一方で私は自分達の仇を打ったことから来る謎の充足感も覚えていた。

 自分でも分かっていた。こうなってしまった私と姉は、もう二度と交わってはいけないと。

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