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三十二挺目 失笑


「もう、大丈夫なのか?」


「......うん」

 

「そうかそうか、良かった」


「帰る。手、貸して」


「はい」


 俺が差し出した手をやつれた様子の不知火はギュッと掴んだ。

 あの後、不知火は遊園地の係員に救急車を呼ばれ、病院へと搬送された。俺が不知火とこうして病院の前で再会したのはそれからニ、三時間経ってからのことである。


「あ、ぬい先輩! 大丈夫でした!?」


 不知火の体調が良くなった連絡を受けて、駆けつけた蜂須賀が不知火にそう聞く。


「......うん。大丈夫」


 弱り切った不知火に強気なグサデレの面影は一切、無く、彼女はただただ何かに怯えた様子でビクビクとしながら俺にしがみついている。


「不知火さん! 大丈夫だったか!?」


 少し遅れて鈴木も病院前へと駆けつけた。しかし、その横に叶向の姿は無い。


「すまん! 叶向が何かしたんだろ? アイツ、直ぐに家に帰ったっきり出てこなくてさ。何度も連絡試みてるんだがずっと無視だ」


「......良いの。あの子は何も悪くない。あの子を責めないで。ごめんなさい。今日はもう帰る」


 そう言うと、不知火は俺の服をギュッと引っ張った。『帰るぞ』ということなのだろう。俺は頷き、蜂須賀と鈴木に何度か謝ってから彼女を連れて家を目指す。

 徒歩ではかなり家まで遠いが、まあ、仕方がない。


「あー! おい、霊群! と......何でしたっけお前!」


 帰り道、不意に背後から誰かから声を掛けられた。


「ん?」


「何ですかお前ら。ヤケに引っ付いてますね」


 喫茶店たかさごの従業員であり、俺の友達であり、不知火に今回の計画のアドバイスをくれたソレンヌ・アフリアだった。


「あー、ソレンヌネキ、すまん。今はちょっと......」


「......何かあったみたいですね。もしかして、私のせい......?」


「そうじゃないから、大丈夫。ごめん」


 不知火は泣きそうになりながらソレンヌにそう言った。しかし、ソレンヌは納得していない様子で唸る。

 そして、ポケットからメモ用紙を取り出すと、これまたポケットから取り出したペンでそのメモ用紙に何かをサラサラと書いた。

 


「......よし、取り敢えずこれだけ渡しておくのです」


 『何でも良いから好きなもん飲み食いしろなのです。ソレンヌ・アフリア』、メモにはそう書かれていた。


「それさえ見せりゃあ、仮に店に私が居なくても好きなものタダで注文出来るのです。また落ち着いたら来てください。......じゃ」


 そう言い残すと、彼女はスタスタとその場をクールに去っていった。

 それから俺達は暫く、無言で家に向かって歩いた。


「......これは言ったところで不知火に全く利の無いことで、少しでも不知火が嫌だったら言わなくて良いことなんだが」


 そして、アパートが目前になったとき、俺は徐に立ち止まった。


「何」


「お前、叶向にジェットコースターの頂上で何を言われたんだ?」


 俺の問いに不知火は沈黙で応じる。

 慌てて俺が『無理に言わなくて大丈夫』と言おうとすると、それを静止するかのように突如、声が聞こえた。


「『お前は私を人殺しにした』」


 それは確かに不知火の声だった。しかし、聞こえてきた方向は横からではなかった。

 そう。それは今しがた、俺の腕を掴むのをやめた望奈の方からではなく後ろから。

 

「......ぇあ」


 振り返らず、人一人居ない正面の道を見ながら望奈はそんな声を出した。後ろに何が居るか、分かったからだろう。


「何の用だ。糞野郎」


 そんな彼女を庇うように振り向いた俺は、不気味な笑みを浮かべているその少女にそう問うた。

 少女は数秒、俯くと、顔を上げ、視線を望奈に飛ばす。


「振り返れよ」


「......そうね、ごめんなさい。貴方、無視され慣れていないのだものね」


 望奈は振り返らない。


「黙れ。お前のせいで私と梓が長い間、大勢からの無視に晒されたのを忘れたの?」


「私も身体を何度も傷付けられたわ。この男や梓に伏せてあること、貴方も知らないであろうことも沢山された」


「......だったら、今更、私に何を媚びることがあるのよ」


「・・・・」


 不知火はまだ振り返らない。俺は叶向の動きに注意しながら、黙って二人の様子を見つめる。


「ねえ、センパイ、知ってる? 今から殺す相手に酒を注ぐ感覚」


 俺が黙っていても彼女は言葉を続けた。


「今から殺す相手の酒に薬を入れて、飲ませて、寝かせて、ライターを畳に付ける感覚。その間に私が何を思っていたかとか、知ってます?」


 俺は何も言わない。いや、言えなかった。

 俺は彼女を、望奈に仇をなす存在である叶向を、傷付けることを恐れていた。


「......ごめんなさい。知る訳ないわよね。先輩も、お前も。今の会話に自分でも全く意味が感じられない。......センパイは私が父を殺した話、ソイツから聞いたんでしたっけ」


「......まあ」


「そうですか。私はね、父を殺したんです。父の死、それは私達姉妹の悲願でした。怒りとか、復讐とか、目的とか、そういう類いではない。彼の死は必然であり、絶対に必要だったんです」


 笑っているような、泣いているような、そんな震えた声で彼女はそう言った。

 その表情もまた、笑っているのか、怒っているのか、はたまた何も考えていないのか、分からない。

 きっと、叶向にしか分からない。


「それか、もう一つ手立てがあるとするならば、妹か姉か、若しくは両方が死ねば、少なくとも私たちの問題は発生しなかった。勿論、私も父を殺す前に何度も死のうと思いましたよ。其処の姉がしようとしたようにね」


「......そんなことしなくても、私を早く殺せば良かったのよ」


 ブツブツと望奈が呟く。


「ええ......何度も殺すチャンスはあったわ。お前を殺して、それでも満たされなければ父も殺して、尚も満足出来ないなら自分も死ねば良かった。出来なかったけどね」


「しなかったんじゃなくて出来なかった、なのか」


「実際に何度か未遂はしている。......でも、無理なのよ。少なくとも、私はコイツを殺せなかった。臆病にも私は姉を殺すことも、自分を殺すことも出来なかった。そして、姉に殺されることを望んでさえいた。そうすれば楽になれる、って」


 もう此処まで来ると、叶向はクスクスと笑い出していた。聞いているだけの俺でさえ、釣られて笑いそうになるくらい、彼女の笑いは熱病のような伝播性があった。


「......或いは、相手が父を殺してくれないか、ってね」


 望奈が言う。


「ふふっ。よく貴方がそれを言えたわね。私もずっと、貴方にそれを思っていたけれど、結局、実行したのは私だった。貴方は私を人殺しにしたの。酷い言い分なのは分かってる。でも、私は貴方の為に実の親を殺したのよ。お姉ちゃんが死ななくても良いように、私はお父さんを殺したんだ」


「......其処の男が止めていなければ、貴方が父を殺した夜、私は電車に轢かれて死んでいたわ」


「そっか。よくよく考えたらそうだね。じゃあ、お姉ちゃんも偉いや。でも、結局、一人殺したのは私だけだよね。知ってる? 人って一人でも殺すと極端に殺人へのハードルが下がるんだよ」


 そう言った彼女の不気味な笑みと不意に動き、ショルダーバッグの中に潜った右手に俺は本能的に危機感を覚えた。


「おま......っ」


 手の甲に何か弱い痛みが走ったかと思うと、突如、其処に横4センチ程の長さの線が入り、体液が溢れた。

 状況を理解出来ずに叶向を直視すると、彼女の右手には鋭く尖った包丁が光っていた。


「......ふふっ」


 その笑いが誰のものなのか、俺には分からなかった。


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