二十五挺目 分離
「......一旦、配信切ってくる」
不知火『望奈』はフォス姫時の少し高めの声と地声の低い声の中間くらいの声でそう言った。
「お、おう」
そして、彼女が家に入った数十秒後、スマホから
『ちょっと、急用が出来てしまいましたので今日の配信はここで終わります。申し訳ありません』
と、自棄に事務的な感じの声が聞こえてきた。
......未だに信じられない。ぬいもちがフォス姫だったとは。だったら、叶向の思わせぶりなあの素振りは何だったんだ。
いや、普通にファンだった可能性が高いか。
「ぬいもちこねえな」
配信は止まったというのにぬいもちが中々、家から出てこない。『一旦』と言っていたのだから、戻ってくると思うのだが。
インターフォンを押すが、返事は無い。......アイツまさか。
「おい、不知火! 大丈夫か!?」
俺は彼女の家の扉を開け、そう叫んだ。返事は無い。
俺は一瞬、躊躇いながらも彼女の家へと侵入した。すると、彼女の家の突き当たり。ダイニングとキッチンのある部屋のキッチンに彼女は居た。
「はあ......はあ......」
......グルグルした目で包丁を持ちながら。
「は、早まるんじゃない!」
「私がお前を殺すか私が死ぬか、どちらが良い?」
「どっちも嫌だわ!? 兎に角、その包丁危ねえからしまえ!」
舌打ちをして不知火はその包丁をスタンドに戻した。コイツ、カップ麺しか食べてなかったくせに包丁は持ってたんだな。
「最悪の気分よ。人生を台無しにされた気分」
「いや、俺、何も悪いことしてないけど」
「......死にたい」
「死なないで、フォスフォレッスセンス」
「やっぱりお前殺す」
「まあ、何だ。取り敢えず、夕食作ってくるから待っとけ。死ぬなよ」
彼女は返事も返さなければ、コクリとも頷かなかった。まあ、かぶりも振らなかったので肯定と受け止めたが。
⭐︎
「......大したきっかけじゃなかったの、最初は。詳しくは言わないけど、ただの思いつきみたいなもので。カラオケアプリに歌を投稿したら、色んな奴らが反応してきて。面白かったから動画として投稿するようになった」
今日の夕飯、サーモンムニエルとその付け合わせのふかし芋、そして白ご飯を前に置きながら不知火はそう話し始めた。
場所は不知火宅。元々、彼女が自分の家に入られるのを拒んでいた理由はマイクやパソコンなどの機材を見られるのを嫌ってのものだったらしく、普通に招き入れてもらうことが出来た。
「んで、ぬいもちの歌が普通に上手かったからチャンネルがどんどん成長していった訳か」
「......言い方に棘があるわ。ムカつく」
「いや、本心だよ。俺がフォス姫の大ファンなことはフォス姫自身が知ってるだろ」
「その呼び方止めろ。お前が初期から私に粘着してたのは知っているわよ。毎度毎度、初めの方から待機しやがって。金も投げてくるし」
「......そっか。俺、今までぬいもちにスパチャしてたのか。何か背徳的で興奮するな」
「控えめに言って死ね」
「酷いなあ。これでも、視聴者だぞ? リスナーさんだぞ? レイグンさんだぞ?」
「......チッ。残念だったわね。私が正体で。叶向が正体ならまだ納得出来たでしょうけど」
苛立った様子でサーモンムニエルに齧り付く不知火。これが俺の『最推し』か。
「残念どころかめちゃくちゃ嬉しいぞ。あのマイエンジェルフォス姫が不知火だったなんて。色んな意味で興奮する」
フォス姫が不知火だったという事実、不知火がフォス姫だったという事実、矢印をどちら側から向けるかでかなり印象も違ってくる。二度美味しい。
「この前、お前の口から『フォスフォレッスセンス』の言葉が飛び出した時、死ぬかと思ったわ。......貴方は叶向を疑っていたから、叶向だと思わせるように振る舞った。叶向は否定するだろうけど、それで私の方に注意が向くことは無いかと」
「てか、さっきのぬいかなの真似、滅茶苦茶似てたよな。ビックリしたわ。お前が『先輩、私ですよ。貴方の可愛い叶向ちゃんです』とか言ってた事実だけで飯三杯はいける」
「死ね。クズ虫。くたばれ......流石に泣くわよ。見たい? 私が惨めに泣く姿」
「ごめん。見たくない。ぬいのこと好きだから」
暴言も何か弱いし、割とマジで傷心しているなこれは。
「解離性同一性障害って知ってる?」
「へ?」
何の脈絡も無く、放たれた単語に俺は首を傾げる。
「お前の発情した猿以下の知能じゃ分からない? 要するに二重人格。過度なストレスを受けた人間がなりやすいらしいわ」
「DIDって奴か。知ってる知ってるラノベとかによく出てくるよな。......それが?」
「言わずもがな、私は過度なストレスを受けたことがあるし、今もストレスを溜め続けている。解離性同一性障害になってもおかしくはない。......つまり、そういうことよ。分かる? あの『フォスフォレッスセンス』という女と『不知火望奈』は別人格なの。ええ、きっとそう。そうに決まっている。お前の低レベルな脳の回路を焼き切ってでも理解しろ」
俺はコクリと頷いた。いや、頷かされた。何か口答えをしたらその場で殺されそうなくらい、恐ろしい圧力を掛けてきたのだ。
『そういうことにしておけ』という命令が脳に直接伝わってきたようだった。
「じゃ、じゃあさ、フォス姫の人格、今から呼び出せる? 俺、フォス姫と話がしたいんだけど」
「......アイツは配信の時以外出てこないわ」
サーモンムニエルを貪るように食べながら不知火はそう言った。
「其処を何とか! 俺がフォス姫の大ファンなのは知ってるだろ!? 今を配信中だと思って、フォス姫を呼んでくれ!」
不知火は心底、嫌そうに溜息を吐き、苛立った様子でお茶を飲み干し、コップを台パンでもするかの様に机に強く置く。そして、もう一度溜息を吐くと咳払いをした。
そして
「......こんフォレ〜。リアルレイグンさん、こんばんわ。何かごめんなさいね。お騒がせしまして」
不知火望奈の顔でそんなことを話し始めた。
......やってくれるんだ。
「あ、いや、えっと、あ、全然、大丈夫ですよ! フォスフォレ姫のこと、初期から追いかけてるのでこうやってお会い出来て嬉しいです!」
何か無意識のうちに俺の方も人格が変わってしまった。
「あー......うん。レイグンさん、チャンネル登録者が200人くらいの頃から見てくれてるもんね。ホント、励みになってました。ありがとうございます」
「いえいえ、俺は貴方のことが好きだから見てるだけですから! この前のデルカッセさんとのコラボも良かったですよ!」
「アレ、デルカッセちゃんの方からお誘い来てたんですよね。......ビックリしたなあ」
「デルカッセさんって、どんな感じの人でした?」
「通話とチャットでしかやり取りしてないけど、私の何倍もしっかりしてる子だったよ。『うるせえです』とか『いい加減にして下さい』とか言われた」
フォス姫、デルカッセさんに何したんだよ。
「へえ〜、またコラボしてくれると嬉しいです。フォスデルコンビ好きなので!」
「あー、うん。そうですね。一応、今もお友達として繋がってるからまた今度、コラボすると思いますよ〜。......ねえ、これ、止めて良い?」
「え?」
「やっぱり、リアルでレイグンさんと話すの気まず過ぎ。フォスさんは引き際の分かる女の子ですからね。そろそろ、帰ります。あ、じゃあ、また、配信で。バイフォス〜」
何その活用系。
「え、あ、はい。バイフォス〜」
「......満足した? 性犯罪者予備軍の屑肉クン」
「情緒どうなってんのお前」




