十九挺目 アザ
叶向が入浴している合間を見計らい、私は彼女のクローゼットを漁った。
『あった』
彼女の制服を見つけて私はそう呟く。その制服のボタンの上から三番目、彼女が頻繁に弄るせいで取れかけているボタンを私は徐に引きちぎった。
そして、部活をしていた者達が帰り、残業をしていた教師達も帰り、学校が無人になった時、私は闇に紛れて学校に侵入した。既に時刻は0時を回ろうとしていたのを覚えている。
足早に下駄箱に向かうと、『蜂須賀梓』と『不知火叶向』のもの以外のスリッパを全て取り出し、校内のビオトープに沈める。最後に下駄箱の前に彼女のボタンと以前、拾った蜂須賀梓のシュシュを乱雑に投げ捨てた。
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翌日、早めに学校に来てみると、計画通りかなりの騒ぎになっていた。下駄箱の前には多数の生徒が集まり、ごった返している。
「ちょ、ちょっと待って......。私のボタンが落ちてたからって、そんな、違うの! だってほら、事件が起きる前に落ちたのかもしれないし......」
「そ、そうだよ! それに、それに、その、ボ、ボタンは兎も角、シュシュなんて大きなものを落とす訳無いじゃん! しかも、そのシュシュ、予備の奴でこの前無くした奴だし!」
そして、下駄箱の人混みの中心にはビクビクと震えながら必死に行為の否定をする二人の姿があった。
「でもさあ、叶向、帰る時、ボタン有ったじゃん。どうしてそのボタンがここにあるの?」
「どうせ、皆が帰った後に来たんでしょ。梓と一緒に。この前無くした、とか言われても信用出来ないよね」
「ビオトープにボチャンしたスリッパなんて履きたくねーよ。どうしてくれんだ」
「あ、あー、でもさ、ほら、私と叶向ちゃんのも下駄箱から無くなってる訳じゃん。私達がやったなら、自分達のはビオトープに落としたりしないと思うけどなー、なんて?」
「そうだろうね。だって、アンタら二人のスリッパだけビオトープ近くの木の裏に隠してあったもん」
「......嘘でしょ? ね、ねえ、叶向ちゃん......これ、どういうことなの!? 可笑しいでしょ。私のシュシュさ、叶向ちゃんと一緒に帰った日に無くなってんだけど!?」
「は? え、何それ。私が梓のシュシュ盗んで、濡れ衣着せようとしたって言いたい訳?」
そうして、プツ、プツ、プツリと繊維が千切れるような音を奏でながら叶向の人間関係は瓦解していった。その日の学校はずっと、下駄箱の件で持ちきり。私を虐めようとする連中も私のことなど、どうでも良くなったようだった。
蜂須賀梓、彼女には悪いことをしたと思いながらも内心、全く反省はしていなかった。上手くいった。これまで感じたことのなかった信じられない程の充実感に満たされながら下校する私の足取りは軽い。一体、何故、彼女をここまで追い詰めたかったのか。その理由はよく分からなくなっていたが、彼女の学校生活をこの手で潰すことの出来た喜びと比べればそんなものは大して重要ではなかった。
朝以降、一度も見ていなかった彼女の様子を見るのを楽しみに帰宅すると、まだ叶向は帰っていなかった。居るのは寝転びながら酒を飲み、テレビを見ている父だけだ。つまらないな、と思いながら部屋に入り、リュックを下ろす。今頃、彼女はどうしているだろうか。
叶向にとって蜂須賀梓はかなり特別な友人だったようで、彼女は上級生にさえ漏らしている自らの家庭事情を蜂須賀梓には言っていなかった。きっと、叶向は真に蜂須賀梓のことを友人と考えていたのだろう。だからこそ、今回の件はかなりショックな筈である。
そう考えていると、ドテドテドテと大きな足音が聞こえてきた。父が酒でも買いに行ったのだろうか。
『ああああああああああああああああああああああああああああああああ!』
すると、突如、叶向が叫びながら私に向かって走ってきた。駄目だ。殺される。そう思わされる程に彼女の声は狂気的で、鬼気迫っていた。
『......かな!?』
彼女は私を押し倒すと、父のものと思われるライターを私の体に近づけてきた。
『なあ、死ねよ。あんなことをして何になるの? ねえ、教えて? 楽しかった? 私が皆に失望されて罵声を浴びせかけられてる様が! それに、それに、梓にも嫌われた! 許さない!』
低く、ヒステリーな声でそう叫ぶと私の体を押さえつけ、彼女はライターの火を私の顔に押し付けてきた。
『っぁ......ああっ......ぐっ......』
言葉にならない呻き声を私は上げ続ける。吐き気のするオイルの匂い。チリチリと焼け続ける皮膚。暴れようにも彼女の力は強く、一切の抵抗が封じられていた。
『死ねっ! 死ねっ! お前なんて死んで当然だ! 私は! 自分なりに......自分の望んだ生き方を叶えたのに! お前は自分さえも救えずに、あまつさえ私の幸せを潰した......! 奪ったんじゃない! 得られるものなんて何もないのに! お前は私の幸せを潰したんだ!』
何度も肋骨の部分に肘を打ちつけられ、その度に鈍い音が響く。甲高い叶向の声、『幸せ』という言葉を聞くたびに今までの決して長くはない人生が一気に思い起こされた。
瞬きをするたびに、いつの記憶かも、何の記憶かも分からない白黒の写真がフラッシュバックする。分からない。何も分からない。この記憶が自分の記憶なのかすら分からない。
今、何が起きているのかすら分からない。
『貴方だって、散々......散々、してくれたじゃない。それに、どうして私が犯人だと思ったの? 私に恨まれる心当たりがあったからでしょう? 殴られ! 蹴られ! 裸にされて動画を撮られてネットに流された。私はお前よりもよっぽど酷い目に遭っている』
揺れる思考、絶えず視界を邪魔してくる記憶の欠片に苛立ちを覚えながらも私は叶向を押し退け、ライターを彼女から奪い取り、火を彼女の胸に押し付けた。火は彼女の服に引火し、彼女が耳をつん裂くような声で叫ぶ。
『黙れ! 黙れ! じゃあ、どうして梓を巻き込んだの!? 梓、結局、皆に話聞いて貰えず、周りから酷い扱い受けてるのよ!? 梓は、不知火叶向は自分に罪を着せようとした、って思ったままだし!』
『だったら、彼女に言えば良いじゃない。やったのはきっと、不知火望奈だ、って』
『言える訳無いでしょう!? こんなクズしか居ない家庭だなんて思われたくないし! はあ......はあ......! 熱い......!』
思えばこれが私と叶向の関係が拗れてから、初めてマトモにした会話だったように思う。
久しぶりに近くで見る彼女の目には純水に墨汁を垂らしたような闇がふんわりと広がっていた。




