十七挺目 希望
『ねえ、望奈。ちょっと、こっち来なさいよ』
ある日の放課後、クラスメイトの女子に話しかけられた。下の名前もしっかりと覚えていないような、殆ど話したことのない女子であった。
『......どうしたの?』
『いいから、来なさい』
私は半ば無理矢理、彼女によって人気の少ない空き教室へと連れて行かれた。物を盗られたり、無視されることはあっても、此処まで強引な虐めは初めだった。しかし、恐怖は一切、感じなかった。たかが、学生の虐めなんて、平気で暴力を振るう父と比べれば大したことはない筈、そう思っていたからである。
空き教室には八人の女子と五人の男が居た。女子は全員、直接的な接点の無い、顔だけ知っている程度の同級生であった。そして、男五人に至っては顔も見たことがない。
『不知火望奈、どうしてアンタが此処に呼ばれたか、分かる?』
女子の中でも一番、背丈の高いリーダー格と思われる少女が私に問うた。
『......貴方達の暇つぶし? ストレス発散?』
私が首を傾げながらそう答えると、その少女は私の顔をビンタした。
『確かにそれが本命なのは確かよ。でも、建前は違う。私、アンタの妹の先輩なのよ。不知火叶向。とっても優しくて、良い子。此処まで言えば分かるかしら?』
その時、叶向の姿がフラッシュバックした。私が叶向を犯人に仕立て上げたことにより、父に執拗に殴られ、蹴られ、罵声を浴びせられる叶向の姿がである。あの時、私は咽び泣き、嗚咽を吐く叶向の姿をただただ、指を咥えて見ていた。あの時、彼女から私に向けられた憎悪の視線が今でも大脳皮質に焦げついている。
『あ......あっ......ああっ......』
崩れ落ちる私を少女は蹴った。強く蹴った。まるで、父が彼女にやったように蹴った。
『アンタ、最低よね! 地味で暗くて、つまんねえ顔の奴だとは前々から思っていたけど! まさか、自分の為に妹を売るような屑だったとは!』
甲高い声で笑いながら少女は私を蹴り続ける。
『ねえねえ、そろそろやっちゃっていい?』
『あー、うん。良いわよ。好きなだけやっちゃって。可愛い後輩の頼みだからね。ちゃんと復讐してあげなきゃ』
【お姉ちゃん......? ねえ、どういうことなのっ!? ねえっ!?】
という、あの時の叶向の声が頭の中をこだまする。私は蹲り、体を丸め、ガタガタと震えた。そんな状況の私を女子達は面白がり、殴ったり、蹴ったり、掃除で使うモップを洗った水を掛けたりしてきた。
『ちょ、おいー! 臭くすんなよー! 俺ら、そんな水に濡れた汚いの使いたくないって』
『ふふっ。アンタら男子にはこんくらいがお似合いでしょ。それか、諦めて見るだけにしといたら? 写真なら臭いは関係ないでしょ』
実際はもっと多くの会話が飛び交っていたのだろうが、私にはそれくらいの会話しか頭に入ってこなかった。
『ほら、望奈、脱ぎなって! 暴れんな! 抑えといて!』
数人の女子に押さえつけられ、私は服を脱がされた。下着から靴下に至るまで全てである。
『ああっ、ああっ、あああああああああっ!』
私は叫びながら私を脱がせた一人の女子を押し倒し、彼女の顔を殴った。
『オイオイ、あんま暴れんなって。こっちは13人居るんだぞ。うわ、ホントに肌までモップの水で濡れてる。きったね』
一人の男が裸の私を後ろから羽交締めにした。彼も勿論、裸だ。胃の中から内容物が逆流しそうな、酷い不快感がした。
『でも、コイツ、意外と顔は良いよな。不健康そうな顔してるけど』
『中学生の癖に、意外と胸デカいしな。ああ、言うの忘れてたな。俺達、高校生なんだよ。お前のお友達に呼ばれた、さ』
ジロジロと値踏みするように自分のことを見てくる男。その様子をケタケタと笑いながら録画する女子。焦りも恐怖も羞恥も、何の感情も湧いてこなかった。
『舌出せよ。ディープキスってのを教えてやる』
ニタニタと笑う男に私は黙って舌を突き出した。
『何だよ。素直じゃね......っ!?』
そして、私は突き出した舌を男の前で噛んだ。その場にいた全員がザワザワと騒ぎ始める。
『ちょ、これで死なれたら私達、ヤバいって!』
『どうする? 逃げる!?』
『面倒臭いなあ......。取り敢えず、この辺で今日はやめとこうか。望奈、さっきの動画、ネットに上げられたくなかったら変なことするんじゃないわよ』
『んだよっ、つまんねえ』
『後でさっきの動画見せてあげるからそれで我慢して!』
『へっ、高校生様は女の裸なんて見慣れてんだよ。要らねえ』
と、彼らは好き勝手なことを言いながら私を一人残して空き教室からの出て行き始めた。
『......ねえ』
最後に教室から出て行くところだった少女に私は話しかけた。私をこの教室に連れてきた少女だ。
『何よ』
『貴方、どうして私を殴らなかったの?』
彼女は確かに私を空き教室まで案内した。彼らに加担していたのは間違いない。しかし、彼女は他の女子が私に暴力を振るっていた時、何もせず立ち尽くしていたのだ。
『あなたには関係のないことよ』
と、私の問いを一蹴すると彼女は空き教室を去った。私は溜息を吐く。そして、暫し、裸のまま寝転がった。そして、少しだけ嘔吐した。自らの吐瀉物を見て再度溜息を吐く。
絶望はしていない。フラッシュバックも収まった。屈辱も、絶望も、羞恥も、痛みも、叶向への罪悪感も、全て感じない。
それらの感情は全て『叶向への憎悪』に置き換わった。事の発端は自分が叶向を裏切ったことだという事実を忘れる程に、私は彼女を憎んだ。そもそもの憎悪の理由さえ、どうでもよくなる程に私は復讐に燃えた。
『......許さない』
⭐︎
濡れた服を着直し、私は何事も無かったかのように学校を出た。すると、帰り際、叶向の姿を見つけた。
『叶向ちゃんさあ、制服のボタン弄る癖あるよねー。あんまやってると、取れちゃうよ?』
『ま、取れた時は取れた時よ。それはそれで異端感あってカッコよくない?』
『いや、それは分かりかねますな......。何なん? 叶向ちゃん、厨二病? 中一なのに?』
友達と思われるポニーテールの少女と談笑をしながらノロノロと歩いていた。幸せそうだ。此処で出ていったら彼女はどんな反応をするだろう。驚くだろうか。存外、私が落ち込んでいないことにショックを受けるかもしれない。
そう気になった私は亀のような速さで歩く二人に追いつき、声を掛けた。
『こんにちは、叶向』
叶向は一瞬、驚いた様子で私の顔を見たが、直ぐに笑って
『あ、お姉ちゃん。今、帰るとこ? 帰宅部なのに遅いね』
と、一切、面白い反応は見せてくれなかった。
『え、あ、叶向ちゃんってお姉さん居たの!? 初耳なんだけど。あ、初めまして! 中一の蜂須賀梓です。叶向ちゃんの親友やらせてもらってます』
ポニーテールの少女は笑顔で自己紹介をすると頭を下げた。先程の女子は私のことを叶向から聞いたと言っていたが、少なくとも、叶向は蜂須賀と名乗るこの少女には私のことを話していないらしい。
『不知火望奈よ。宜しくね、蜂須賀さん』
『宜しくお願いします!』
『あ、私、早く帰らないといけないんだった。梓、ごめん、小走りで帰っていい?』
『え? あ、お、オケオケ』
『ということだから、お姉ちゃん。先に行ってるね』
そう言うと、叶向は蜂須賀梓の手を引っ張って家の方へと駆けて行った。先程までトロトロと歩いていた癖に白々しい。
ふと、地面を見ると、黄色のシュシュが落ちていた。蜂須賀梓がしていたものだ。叶向に突然、走らされたせいで予備用のものがポケットか何処かから落ちたのだろう。何かの役に立つかもしれない。私はそう思い、そのシュシュを静かに拾い上げ、ポケットにしまった。




