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十六挺目 過去


 父は私が五歳、妹が四歳の時に亡くなった。白血病だったらしい。父の記憶はあまり無いが、優しい父親だったことだけは記憶している。

 母は父との死別からまもなく再婚相手を見つけてきた。彼女は弁護士だった。きっと、弁護士としての仕事がある自分一人で育児は出来ないと考えたのだろう。その証拠に再婚相手は元保育士を名乗る無職の男であった。

 母は父に働かず、保育士としての経験を活かし、子供の世話をすることを求めた。そして、彼もそれに応じた。

 しかし、それが私達姉妹の人生を大きく変えることとなった。


『お父......さん? あのね、私は良いんだけどね。かなたがお腹空いたって』


『あ? んなもん勝手に食わせろよ。お前、もう小一だろうが。妹の世話くらい自分でしろ』


『う、うん。......分かった』


 父は母に求められた主夫としての役割を一切、こなすことはなく、母に渡された私達の食費の殆どをギャンブルや酒に使い込んだ。きっと、元保育士というのも嘘だったのだろう。

 そして、あろうことか彼は家庭の生活費を稼ぐ立場にある母にまで強く当たるようになった。今思えば、幾らでも訴えることは出来た筈。しかし、母の取った行動はおおよそ、法の知識を身に付けた弁護士の取る行動とは思えないものだった。


『お願い......もう、止めて。殴らないで。蹴らないで。嫌なの。仕事をしている時も貴方の顔がフラッシュバックして......』


『だから、何なんだよ。離婚でもするか? そんなことを言ったらどうなるか、分かんねえ訳でもねえだろ』


『金が、有れば、良いのよね? 金なら幾らでも払うわ。口座から出せるだけ出す。だから、私を解放して......』


『アイツらはどうすんだよ。まさか、押し付ける気じゃねえだろうな?』


『よ、養育費なら幾らでも送るから......。だから、お願い、引き取って......』


『待って! お母さん! 私は良いから! 叶向だけでも! 叶向だけでも良いから連れて行ってあげて......』


『わ、私は我慢出来る。お姉ちゃんを連れて行って......!』


 当時、小学二年生と一年生だった私達は母にそう哀願したのを覚えている。


『嫌。嫌! 絶対に嫌! この人と別れても貴方達が居たら、私は元には戻れない! 私は、私はお前らに人生を潰されたんだ! 見ろ! この頬を! お前らのために結婚したこの男に焼かれたのよ!』


『好き勝手言ってくれるじゃねえか。分かった、分かった。金さえくれんなら、コイツらを置いていくことも許してやる』


 その日のうちに母は家を去り、私と妹は血の繋がりも、心の繋がりも一切無い、父と暮らしていくことになった。父は私達にロクな食事を与えなかったが、世間体を取り繕うため、文房具は最低限買い与えて学校に行かせてくれた。

 そのため、給食が私達の生命線であった。彼は私と妹に事あるごとに暴力を振るってきたが、これも世間体を気にしてか、跡の残るような暴力を振るわれることはなかった。


『お姉ちゃん』


『何? もう寝るよ。起きてたら怒られる』


『私ね、学校楽しい。友達もいっぱい居るし、先生も優しい』


『......良かったね』


『お姉ちゃんは学校楽しめてる?』


『......うん。楽しいよ』


 実のところ、私は友達が居ないどごろか、虐めに遭っていたのだが、叶向を悲しませる訳にもいかなかった。それに、こんな家庭で育ちながらも学校生活を楽しむことが出来ている叶向を見て不思議と嬉しかった。

 きっと、この頃から私と彼女との間には距離が生まれてきていたのだろう。私と叶向は今までお互いを心の拠り所にして、どうにか生きてきた。しかし、叶向は心の拠り所を私から学校というコミュニティへと徐々に変えていったのだ。

 そして、それに並行して父の家庭内暴力は酷さを増していった。彼女も父に怯えていたことは確かだが、学校という心の拠り所のある叶向と、叶向と距離が出来、何も無くなってしまった私とでは心の蝕まれ具合が違っていた。

 そして、成長期を迎えつつあるというのに依然として食事は碌に出されず、暴力だけが増していく中、心身共にやつれ、陰に籠っていった私はとうとう人としての道を踏み外すことになる。

 中学ニ年生の秋のことである。父の趣味は釣りであった。父が母からの金で購入した10万程するというリール、それを私は不注意で壊してしまった。棚から物を取ろうとした時に、落としてしまったのだ。私の頭の中は真っ白になった。

 皿一枚割っただけで何度も殴ってくる父である。高価で、それも彼が大切にしていた物を壊したとなれば何をされるか分からない。私は生命の危機を感じた。そして......。


『叶向がお父さんのリールを壊してた』


 私は帰ってきた父に壊れたリールを見せて、そう言った。

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