第44話 ウォーロの審判
それから打ち合うこと三十合。俺の腕や腹にゃ切り傷が幾筋も刻み込まれ、胸当ては縦横に切り裂かれて、もうぼろぼろ。剣持つ手やほっぺたにゃ、火傷もできてる。一方の皇子様も、腕や脚にいくつも打ち傷を負い、端整な顔は痣だらけだ。
双方、満身創痍の状態だが、決着がつきそうな気配はまったくねえ。このまま剣戟が、いつ果てるともなく続くんじゃねえか。そんな不安が胸の奥に湧いてきた、そのとき。意地の悪い神々の戯れか、二つのことが立て続けに起こった。
まず一つは、いつまでも勝負がつかねえ戦いにじれてきたのか、レオストロ皇子が額の汗をぬぐうのに、一瞬だが隙を見せたこと。すかさず俺が踏み込み、剣の腹で皇子様の右肩を打ちすえりゃ、レオストロ皇子は大きく体勢を崩して、明らかに動揺した様子を見せた。
よっしゃ、いけるぜ! このまま反撃する暇を与えず押し続ければ、勝てる。俺にとっちゃ、千載一遇の好機だ。これを逃す手はねえ、はずなんだが……。
もう一つは、俺がそんな希望を持った直後に起こった。皇子様に追い打ちをかけようとした、
そのとき。ちょいと離れたところで暗殺者と戦ってた二人の仲間が、危機に陥ったんだ。
まだ傷が治りきってねえ妖精が、殺し屋の鉤爪を避け損ねて左腕を斬られた。さらに、デュラムを守ろうと前へ出たサーラも刺客の猛攻を受け、手にしてた杖を叩き落とされちまう。
自分の好機と仲間の危機。二つを天秤にかけたとして、下がるのは――より重いのはどっちか。
俺は――。
「デュラム、サーラ!」
今は、二人のことを信じる。あいつらなら大丈夫だって自分に言い聞かせ、目の前の戦いに集中する。沈着冷静な英雄なら、そういう選択もできただろう。けど俺は……ただの剣術馬鹿だから。
二人の仲間に、万が一のことがあったら。そんな考えを、捨て切れなかった。
「おい待て、フランメリック!」
体勢を立て直した皇子様が、俺の背中に呼びかけてくる。
「どこへ行く気だ? 戻って、俺と遊べ!」
それを言うなら「俺と戦え!」じゃねえのかよ。心の中でそう突っ込みを入れながら、俺はデュラムとサーラの許へ急いだ。
行く先じゃ、暗殺者が左右の鉤爪を構え、今にも妖精の美青年と魔女っ子に踊りかかろうとしてやがる!
「そこのてめえ、俺の仲間に手ぇ出すんじゃねえよ!」
大声上げて、奴の注意をこっちに引きつけながら、全力で走った。
あの二人にゃ、いつも俺が助けられてるんだ。こういうときに恩を返さねえで、いつ返すってんだ!
蜘蛛の仮面かぶった刺客がこっちを見やり、八つの赤い瞳を妖しく明滅させる。鉤爪つきの両手が、邪魔者を切り刻もうと動いた――ときにゃもうすでに、
「だありゃあああああああ!」
と、気合の雄叫び上げた俺が、奴の顔面を殴りつけてる。固く握った拳で、思いっきり!
まずは眉間に真っ向から鉄拳をお見舞いし、お次は右から、さらに左から繰り出した拳で、ほっぺたを殴り飛ばした。
立て続けに三度もぶん殴られて、平気でいられるはずがねえ。火の神の眷属は、両手を交差させて頭をかばい、激しく身悶えしながら後ずさった。
この勢いに乗って、さらに追い討ちをかけてえところだが……ひとまず、デュラムとサーラが無事かどうか、確かめねえと。
「おい、しっかりしろよデュラム! サーラも……怪我はねえか?」
幸いなことに、魔女っ子は無傷みてえだし、妖精の美青年も命取りになるような傷は受けてねえようだ。なにはともあれ、一安心だぜ。
そう思って肩の力を抜いたのが、まずかったのか。
「……っ!」
不意に背後から、ぴたりと剣を突きつけられた。ゆらゆら陽炎を立ち上らせる、灼熱の魔剣を。
「あんたかよ、皇子様」
まずったぜ。やっぱりこの危険な皇子様との勝負を放り出してきたのが、仇になっちまったか。
「どういうつもりだ、フランメリック」
俺の背後を取った〈獅子皇子〉は、〈斬魔の剣〉を構えたまま、そうたずねてきた。肩越しに後ろを見ると……なんだよ、あの皇子様。友達に遊びの約束をすっぽかされた子供みてえに、不機嫌な面してやがるぜ。
「さっき俺が体勢を崩したのは、お前も見ていただろう。俺を倒す好機だったはずだ。なのになぜ、あの場を離れた?」
「そりゃ……仲間が、危機だったからな」
ぼそりと、簡潔な答えを返す俺。
「助けにいかねえとって、思ったんだよ」
「ふん……仲間、仲間か。俺との遊びより、そんなものを優先するとはな」
皇子様の奴、鼻を鳴らして小馬鹿にするように言いやがる。また言葉を巧みに操って、俺の心を乱すつもりだろうか。
「惜しいな。俺を倒して、英雄になることもできただろうに。そんなくだらない理由で勝利の好機をふいにするようでは、やはりお前は英雄の器じゃないな……」
「そんなことはないぞっ、レオストロ!」
いきなり女の声がしたんで誰かと思えば、姫さんだ。ひとまず手当てが済んだナボン太守を町の住人たちに任せ、戦いの場に戻ってきたらしい。
フォレストラの王女様は、こっちへずんずん歩いてくると、皇子様の傍らで立ち止まった。それから、俺の方をびしっと指差して、
「半年前、私がカリコーに裏切られたときも、フランメリックは私を助けてくれた。敵だった私を、命がけで守ってくれたのだっ! 仲間であれなんであれ、誰かのために必死になることがくだらないとは、私は思わないぞっ!」
と、一気にまくし立てた。
「姫さん……」
この王女様に、そんなふうに肩を持ってもらえるなんて。俺にとっちゃ嬉しくもあり、照れ臭くもあり、なんだか複雑な気分だぜ。
「誰かのために、か。本当にそうなのか? フランメリック」
皇子様が疑わしげな顔してこっちを見やり、痛いところを突いてきた。
「さっき、お前がそこの妖精と魔女を助けにいったのは、仲間を失いたくないから――それはつまり、自分が一人になって寂しい思いをしたくないからじゃないのか?」
「……っ!」
違うって否定することは、できなかった。デュラムやサーラを失えば、俺はまた一人ぼっち。冒険者になって間もねえ頃――自分の不幸を嘆き、神々を憎んでばかりだったあの頃に逆戻りしちまうんじゃねえか。そんな恐れを感じてたのは、事実だからな。
「ほら見ろ、やっぱりそうだろう」
俺が黙ってるのを、肯定と受け取ったらしい。勝ち誇ったように、皇子様が鼻で笑った。
「こいつの目を見ればわかるぞ。孤独を恐れる臆病者の目だ。結局、こいつが他の奴を助けるのは自分のため、自分がかわいいからだ。誰かのためなんて、そんな殊勝な気持ちがあるわけじゃ……」
「そのくらいにせい、負け犬めが」
低く、凄みのある声が皇子様の饒舌をさえぎったかと思うと、小柄な人影が一つ、すうっと俺の前を横切った。
今のは、諸刃の戦斧を背負った黒髭の小人――戦いの神ウォーロか。昨日、俺と他の神々の間に入って、連中が俺たちに手出ししねえよう取り計らってくれた神様だ。さっきまで城壁の上にいたはずなんだが、いつの間に下りてきたんだか。
最強の神との呼び声も高き軍神は、足音一つ立てず、滑るような足取りでレオストロ皇子に肉薄する。そして、その手をむんずとつかむなり、
「ふん!」
「うおっ?」
自分よりずっと長身の皇子様を、軽々と投げ飛ばした!
「な……!」
無駄な動きが一切ねえ、思わず見惚れちまうような背負い投げだった。俺があれだけ苦戦を強いられたサンドレオの〈獅子皇子〉が易々と投げ飛ばされ、背中から地面に激突する。
「ぐ、あ……」
大地に叩きつけられ、苦悶の表情を浮かべる皇子様の許へ、小人の姿をした神が歩み寄る。
「その目を皿のように見開いて、この小僧をとくと見るがよい。臆病者が、こうも傷だらけになるまで戦うか? ここまで血と汗にまみれて剣を振るうかのう?」
「な、なんだと……?」
「大体おぬし、この小僧が仲間を助けにいったのは『自分が一人になって寂しい思いをしたくないからだ』と馬鹿にしておったが、一体それのどこが悪いのじゃ? 人間も、妖精も小人も、かような苦難や苦悩に満ちた世界で生きておれば、孤独を恐れることなどあって当然であろうが」
「……っ!」
皇子様の顔に、動揺が走る。
「じゃが、わしが見たところ、この小僧が仲間を助けに走ったのは、何もそれだけが理由ではあるまいて。サンドレオの皇子――そなたの空虚な胸にはない熱い何かが、このへそ出し小僧にはあるからではないかのう?」
岩みてえにごつごつした拳で、自分の厚い胸板を叩きながら、ウォーロはちらりと俺を見た。
「へ、へそ出し小僧ってなんだよ、へそ出し小僧って!」
思わず、突っ込みを入れちまう俺。
「人前でそんな格好をしておるおぬしにはぴったりの呼び名じゃろう。まあ、それはさておき――サンドレオの皇子よ」
俺に向けてた笑顔を、瞬時に厳しい表情に変え、戦いの神はレオストロ皇子をにらんだ。
「負け犬が下らぬことをいつまでもグダグダ抜かしておるでない。見てくれは我らが王によう似ておるが、中身は似ても似つかぬ若造よ」
大地の上で大の字になってる皇子様を見下ろして、小人の姿をした神様は言い放った。
「さっさと話し合いの席に戻って、そこな王女と和平の話をまとめよ。そして、さっさと自分の故郷に帰るがよいわ。負け犬らしく、しっぽを巻いてのう」
「ま、負け犬だと?」
その一言にかちんと来たらしく、皇子様が跳ね起きて気色ばむ。
「俺は負けてなどいないぞ! フランメリックとの遊びは、まだこれからだ!」
「いいや、決着はすでについておる。戦いの神であるわしが見たところ、この勝負、おぬしの完敗じゃわい」
「な……何?」
「お前が負った傷とフランメリックが負った傷、よぉく見比べてみなぁ」
ウォーロと同様、いつの間にか城壁から下りてきてた森の神が、皇子様にそう言った。
「戦いに夢中で気づかなかったんだろうが、今なら違いは一目瞭然だと思うぜぇ、〈獅子皇子〉さんよぉ」
「傷を比べろだと……?」
「あ~、チャパシャわかったよ♪ こっちの人間さんは切り傷と火傷だらけだけど~、そっちの皇子様は打ち傷だけだよね♪」
ガレッセオの傍らで、水の女神がぴょんぴょん飛び跳ねながら、そう指摘する。
「フランメリックに比べて、俺は軽い傷しか負っていないと言いたいのか? ならばこの勝負、俺の勝ちということに……」
「馬鹿もん、違うわい!」
戦いの神が、皇子様を一喝した。
「おぬしが打ち傷だけで済んでおるのは、そこな小僧が手加減しておったからじゃ! そうであろう? 人間の小僧よ」
それを聞いて、姫さんがはっとなった。
「そうなのかっ、フランメリック? 森の神ガレッセオにかけて、答えろっ!」
「いや、手を抜いてたわけじゃねえけどさ……この皇子様にゃ刃で斬りつけずに、打ちかかるようにしてたんだよ、剣の腹でさ」
頭の後ろをぼりぼりとかきながら、俺は事情を説明する。
「サンドレオの代表として来てる皇子様を斬って流血沙汰起こしたりしちゃ、フォレストラの代表になってる姫さんに、迷惑かけちまうしな。それに、皇子様にゃこの後、姫さんと和平について、ちゃんと話し合ってもらわなきゃならねえんだしさ」
そう考えると、どんなに腹立たしくても、この皇子様を斬るわけにゃいかねえ。となりゃ、俺にできるのは剣の腹でビシバシ打ちすえることくらいだろうって、考えたんだ。
事情を聞いたウォーロが、太鼓腹を揺すって豪快に笑い、皇子様を見た。
「これでわかったじゃろう、サンドレオの〈獅子皇子〉。このへそ出し小僧は、その気になればおぬしの首を刎ねることもできたであろうに、あえてそうせずに戦っておったのじゃ。そうと知ってもなお、自分の負けを認められぬか?」
英雄と称されるサンドレオの〈獅子皇子〉にとっちゃ、戦いの神に告げられたことはかなり衝撃だったみてえだ。
「この俺が……手加減されていたというのか」
「いや、だから、手加減ってほどのもんじゃねえって」
さっきも言ったように、俺はただ、斬るんじゃなくて打つようにしてただけで、それ以外は一切手を抜いてねえ。サンドレオの〈獅子皇子〉は、今の俺が下手に手心なんざ加えて戦える相手じゃなかったからな。
けど、皇子様にゃ俺の言葉なんざ、まったく聞こえてねえようだ。戦いの神にあれこれ言われて、相当自尊心が傷ついたのかもしれねえ。
「嘘だ、これは何かの間違いだ! この俺が、一介の冒険者風情に手加減されて負けるなど、絶対にありえない! 太陽神リュファトの血を引く半神――サンドレオの英雄であるこの俺が……!」
「やれやれ、わからぬ奴じゃ」
あくまで敗北を認めようとしねえ皇子様につき合いきれなくなったのか、肩をすくめるウォーロ。
「ここまで言われてなお、己の負けを認められぬというなら、やむをえぬ」
そう言って戦いの神がまっすぐ見すえたのは、ついさっきコンスルミラの東門をぶち破り、今まさに町へ入っていこうとしてるサンドレオの攻城兵器だ。
「力ずくで、わからせてやるしかあるまいて――任せてよいかの、トゥポラ?」
軍神のかたわらに、大地の女神様がやってきた。ウォーロと目を合わせて、小さくうなずく。
大地母神は無言で腰を落として片膝つくと、右手を開いて高々と掲げてみせた。それをそのまま打ち下ろし、五本の指と掌で、思いっきり大地を叩く。
トゥポラの右手が地面にくっきり手形を押すと――ビシビシビシッ! そこから〈攻城竜塔〉の後を追うように、地割れが走った。周囲の俺たちをぐらぐらと、激震でよろめかせながら。
大地の亀裂は易々と機械仕掛けの竜に追いつくと、その真下で大きく口を開け、落とし穴となって獲物を捕らえた。〈攻城竜塔〉の左右で回ってた車輪のうち、一方が地割れにがくんと落ち込み、もう一方が浮き上がる。木でつくられ、鉄で覆われた竜の巨体が、大きくぐらりと傾いた。
あの図体でそうなっちまえば、もう体勢を立て直すなんざ無理だ。傾いた拍子に巨体がコンスルミラの城壁にぶち当たり、つくりもんの角と翼が折れた。表面を覆ってた鉄の盾が、ばらばらとはがれ落ちる。その下で巧みに組み上げられ、全体を形づくってた木材までもが次々とひしゃげ、悲鳴を上げて折れていく。
ここまででっかい建造物ってのは、一度壊れ出すと自らの重量を支えきれなくなって、そのまま最後まで崩壊しちまうもんなんだろうか。突然足元に開いた陥穽にはまり、体勢を崩した〈攻城竜塔〉は、今やあちこちをメキメキと軋ませ、止まることなく自壊を続けてる。
設計図に描かれてた通り、縁にぐるりと凸凹がついた車輪――今まで中でぐるぐる回ってただろう歯車が三つ四つ、外へ飛び出してきた。ごろんごろんと転がり、弾み、脇へ退いたデュラムとサーラの前を、勢いよく通り過ぎていく。
「ひ、ひいぃえぇ~!」
「脱出だあぁ~~~!」
「に、逃げろおぉ~!」
崩壊する機械仕掛けの竜の胸から、腹から、頭に二本の短い角を生やした巨漢が五、六人、命からがらといった様子で転がり出てきた。
設計図によると〈攻城竜塔〉は、中で力持ちの鬼人たちが歯車を回転させることで、車輪や様々な武器、仕掛けを動かす仕組みになってるらしい。けど、連中もこうなっちゃもう駄目だって、逃げ出すことにしたようだ。
「こ、こんなはずでは……」
切り札だった攻城兵器を目の前でぶっ壊されたことで、サンドレオの皇子様もようやく降参する気になったようだ。その手から〈斬魔の剣〉がするりと抜けて、地面に落ちた。
がっくりと肩を落とし、その場に膝をついたレオストロ皇子の目は、すでにあの危険な輝きを失い、どんよりと曇ってる。
「……俺の、負けだ」
そう敗北を認めた皇子様の声は、いつも通り、気だるげだった。




