第37話 大変ですだあぁ!
サーラが世話を焼いた甲斐あって、ほどなくラティさんは泣き止んだ。
「……め、迷惑かけたね」
まだ赤く腫れてる目を擦りながら、メラルカの娘さんが魔女っ子にわびる。
「一応、礼は言わせてもらうから。その……ありがと」
「いいえ、どういたしまして♪」
サーラは別段、恩に着せようとする様子もなく恬淡としてたが、ラティさんの方はどうやら礼を言っただけじゃ気が済まねえようだ。
「これ……あんたたちにやるよ」
そう言って恥ずかしそうに顔を背けつつ、魔女っ子に差し出したのは、一束の羊皮紙だった。
「昨日、あの皇子様の荷物を調べてて、見つけたんだ。あんたたちの役に立てばいいんだけど」
「……? 何かしら、これ? 図面みたいだけど……」
「どうやら攻城兵器のようですね、サーラさん」
「お、俺にも見せてくれよ!」
「せっかち。ほら、見なさいよ」
「ああ、どれどれ……」
初めは興味本位で紙面に目を通してた俺だったが、ほどなく自分の顔色がさっと変わるのを感じた。
「な……なんだよ、こりゃ?」
黄ばんだ羊の皮に描かれてるのは、どうやら巨大な攻城兵器――城や砦、城壁に守られた町を攻めるときに使われる機械仕掛けの設計図らしい。子供の頃に読んだ、賢者ウルヴァトリスの『城塞をめぐる攻防に有効なる素晴らしき発明の書』に、もっと単純だが似たような図面が描かれてた気がするぜ。
ただ、その攻城兵器は、普通の城攻めに用いられる破城槌や投石機とは明らかに異なる複雑怪奇な形をしてた。あえて言い表すなら「後ろ足で立つ竜の姿を模した、でっかい車輪つきの塔」ってのが妥当だろうか。
見た目だけじゃなくて、つくり方もまた、ずいぶん変わってるようだ。
図面によれば――まず一本の柱を中心に組んだ櫓状の骨組みを、まっすぐな、ところによっちゃ弓形に曲げた木材で包み隠す。百本以上の木材を縦横斜め、自在に組み合わせ、そいつで骨組みをすっぽり覆っちまうんだ。さらにお飾りの前足や目玉、角や牙、おまけに翼まで取りつけて、まるで本物の竜が背筋を反り返らせ、後ろ足で直立してるかのような、不格好な姿に仕上げるらしい。その後、表面を鱗に見立てた鉄の盾でびっしりと埋め尽くすことになってるみてえだから、もし実際にこんなもんが俺たちの前に現れたとしたら、あまりの威容に度肝を抜かれるんじゃねえだろうか。
もっとも……そんなことがあればの話だけどさ。
頭には王冠を思わせるでっかいかごを載っけて、弓を手にした射手が乗り込む。後ろ足にゃ鉄で補強した、これまた巨大な車輪を取りつけるようで、こいつを回すことでゆっくりと前進、あるいは後退するわけだ。
何枚もある羊皮紙の一枚にゃ、完成した際の見取り図が描かれてるが、これによると中身もまた、外見に劣らず奇っ怪極まりねえ。縁にぐるりと凸凹、凹凸が刻まれた木の車輪――図面にゃ「歯車」って書かれてる――をいくつも噛み合わせたもんが、中に組み込まれてる。最下層――竜の腹に当たるところで、鎖に繋がれた鬼人たちが一際でっかい歯車を回すと、それに続いて他の大小様々な歯車も次々と回転する。それによって後ろ足の車輪や、いたるところに配された武器や仕掛けを動かす力が、それぞれの場所まで伝達されるって寸法らしい。
その他にも、滑車でつり下げられて上下に行きつ戻りつする重りとか、左右に揺れる振り子なんてもんも描かれてて、細かい仕組みは俺なんかにゃ到底わからねえ。とにかく、相当複雑なつくりになってるってことは確かだ。
こんなもん、本当につくれるのかよ……?
「ところでさ、ラティさん」
俺は図面から目を離して、噴水の前に立つメラルカの娘さんを見た。さっきからずっと疑問に思ってたことを、たずねてみる。
「昨夜はなんで、皇子様の荷物を調べたりしたんだよ? やっぱり、メラルカに――親父さんに頼まれたのか?」
「ふん、勘違いしないでよね坊や。父様からは、何も言われてないんだから。あたいが勝手にやったのさ」
と、鼻を鳴らしてみせるラティさん。まだ目許にゃ泣きはらした跡が残ってるが、だんだん本来の小生意気な調子を取り戻してきたようだ。
……へっ。何はともあれ、元気を出してくれたみてえで、よかったぜ。
「あの皇子様のたくらみを突き止めて、あんたたちと取り引きしようと思ったんだよ。父様のしもべになるなら、皇子様が何たくらんでるか教えてあげるってね。上手くいけば父様も喜ぶだろ? あたいのことも『さすがはボクの娘だね!』って、褒めてくれるかもしれないし」
「そこまでするなんて、あなたよっぽどメラルカ様が好きなのね」
サーラの奴が、驚いたような――加えて若干呆れたような目で、ラティさんを見た。
「当然じゃない、あたいの父様なんだからさ」
「……そう。当然、ね……」
メラルカの娘さんが軽い調子で口にした一言を、反芻するようにつぶやくサーラ。
以前、聞いた話だが――サーラは昔、義理の親父さんから暴力を振るわれてたらしい。その証拠に、あいつの背中にゃ今も痛々しい傷跡がある。半年前、〈樹海宮〉であれを見せられたときは、本当にびっくりしたもんだ。
そんな過去を持つ魔女っ子の目に、ラティさんはどう映ってるんだろうか。
……この話は、あんまり続けねえ方がよさそうだ。
そう思った俺は、すかさず話を変えて、メラルカの娘さんにたずねた。
「それはそうと、あんたいいのかよ? 俺たちに、こいつを渡しちまってさ。取り引きに使うつもりだったんだろ?」
俺たちは、皇子様のたくらみを知る手がかりになりそうなもんが手に入って万々歳だ。けどラティさんにとっちゃ、取り引きのための大事な手札を手放したわけだし、惜しくねえのかよって、つい気になっちまう。
「ふん。別に構いやしないさ。あんたたちを釣る餌は、他にもあるんだから」
大して惜しむ素振りも見せずにそう言って、ラティさんが取り出したのは――なんと、掌大の革袋だ。
「あ……! そいつぁ、俺の財布じゃねえか!」
取り返そうと手を伸ばしたが、泥棒猫の踊り子さんは、素早く俺から財布を遠ざけた。
「ふふん、残念だね坊や! こっちはただじゃ返さないよ。返してほしけりゃ、父様のしもべになるんだね!」
「……っ! ったくもう、あんたって人は!」
泣かせちまうなんてかわいそうなことしたとか、元気になってよかったとか、そんなふうに思えるようになった矢先に、これかよ。
「ふっふっふ! さあ坊や、ひざまづいて誓いなよ。未来永劫、父様の忠実なしもべとして、粉骨砕身して働くってさ!」
「だ、誰が誓うかよ!」
と、即答する俺。
「俺の財布だ、返しやがれ!」
太陽神リュファトにかけて、今度こそ取り返してやる――そう誓いつつ、俺はラティさんに飛びかかる。だが、いかんせん身軽さじゃ、あっちが一枚上手のようで――。
「ふふん、遅いよ坊や!」
軽やかな足運びで、ひらりと身をかわすラティさん。その細身を捕まえ損ねた俺は、勢い余ってたたらを踏むこと二歩、三歩……。
「おわわわわッ!」
両手をばたつかせ、つんのめって行き着いた先は、一瞬前までラティさんが背中を向けてた噴水だった。噴き上がった水の粒が優雅に弧を描いて落ちる水盤に、勢いよく顔面から――ばっしゃーん!
「がぼぼぼぼ!」
間抜けにも噴水に頭を突っ込んだまま、両足でばたばた宙を蹴る俺。
ってか、呑気に語ってる場合じゃねえ。このままじゃ溺れちまう、溺れ――おぼぼぼぼぼれッ!
「馬鹿か貴様は! 早く顔を出せ!」
幸い、怪我を押して駆けつけたデュラムが俺の首根っこをつかみ、噴水から引っ張り出してくれたおかげで助かった。
「げほ、ごっほ……!」
「いちいち手間のかかる男だ、貴様は」
「ごほ、ごほ……すまねえ、デュラム」
一昨日は風呂場で足を滑らせて溺れかけたし、どういうわけか水難によく遭う今日この頃だぜ。俺は、水の女神に憎まれるようなことをした覚えはねえんだがな……。
「ええい、ちょこまかと逃げおって。待てい、待たぬかパシャ!」
「あはは♪ ゴドちゃん、こっちだよ~! こっこまでおいで~♪」
咳き込みながら首を捻る俺の前を、当のチャパシャ本人が無邪気な笑顔で飛び跳ねていく。憤怒の形相をした雷神に、どすんどすんと追いかけられながら。
あの二人、まだ鬼人ごっこをしてたのかよ。
「……はあ。気楽でいいよな、神々は」
天上の権力者たちが演じる喜劇を眺めつつ、溜め息をつく俺。
一方、すっかり元の調子に戻ったラティさんは、
「ふふんだ! あたいを泣かせた罰が当たったね、坊や!」
歓声を上げつつ、指先で目許を下へ引っぱり、べえっと舌を突き出して俺を挑発する。それから、神々に軽く手を振ってみせ、
「じゃああたい、もう行くから!」
と、短く別れを告げて、さわやかに去っていった。
「お、おい待てよ、げっほ、ごほっ!」
「待ちなさい、メリック」
まだ咳が治まらねえ俺の背中を掌で叩いて、サーラが言った。
「あの子の逃げ足の速さは、あなたも一度経験済みでしょ? 追いかけたって疲れるだけじゃない。どうせまた現れるに決まってるんだから、今は放っておきなさいよ」
「う……」
言われてみりゃ、確かにそうだ。あのメラルカの娘さん、どうあっても俺たちを「父様」のしもべにしたいみてえだし、待ってりゃそのうち、向こうからのこのこやってくるんじゃねえかな。
けど……やっぱり悔しいぜ。できれば取り返したかったんだがな、財布の中身。俺からの、デュラムとサーラへの贈り物……。
相変わらずどたんばたんと、鬼人ごっこに興じてる神々を遠目に見ながら、俺はぐっと歯を食いしばった。
その場の雰囲気が一変したのは、それからほどなくのことだった。
「冒険者殿おぉ! 大変ですだあぁ!」
そんな大声と共に、騒々しい足音が近づいてきたんだ。
「あの声は……太守か」
デュラムがそうつぶやいてから、胸が五拍も鳴らねえうちに、声の主が中庭へ駆け込んできた。
「お助けくださいだぁ、冒険者殿おぉ!」
巨漢の鬼人、ナボン太守だ。太鼓腹を揺すって全力で突っ走ってきたらしく、息遣いが荒い。緑の肌に、玉のような汗が浮かんでる。肩に留まってるのは……ああ、ありゃ鳩だな。
何か危急の知らせでもあるんだろうか。太守なんて地位にある人なんだから、わざわざ自分から出向いてこなくても、使いを寄越せばいいだろうに。
「一体どうしたのよ、太守様」
と、サーラがたずねる。
「実は、さっき……っ!」
「話す前に、汗をふきなって」
「ああ、かたじけねえですだぁ」
手許にあった亜麻布を差し出してやると、鬼人の太守は礼を言いつつ受け取って、額の汗をぬぐう。
「それで、どうしたんだよ? そんなに慌てて」
ナボン太守がいくらか落ち着くのを待ってから、改めてそう問うと、
「実は……」
と、汗をふきふき、太守様は語り出した。
「ついさっき、サンドレオの都に潜り込んでる密偵から、急ぎの知らせが入りましただぁ」
ナボン太守の肩に留まってた愛らしい鳩が小首を傾げ、一声「くるっぽぅ!」って鳴いた。
よく見りゃ、鳩の足には小さな筒がついた白銀の輪がはめられてる。どうやらこいつが、密偵からの手紙を運んできてくれたようだ。
「どんな知らせだったのよ?」
「それが……あの国の大軍勢が都を発って、こっちへ――フォレストラとの国境へ向かってるそうですだぁ!」
「……!」
「なんですって……!」
まさに青天の霹靂。突然の知らせに俺は耳を疑ったし、サーラも目を見張った。デュラムもかすかに眉を上げて、それまで胸の下で組んでた腕を解いた。
ナボン太守の言葉に反応したのは、俺たちだけじゃねえ。さっきから賑々しく騒ぎっぱなしだった神々が、ぴたりと動きを止めて、互いに顔を見合わせた。
「やれやれ……始まるのう」
そうつぶやいたのは、軍神ウォーロだ。
「始まるって、何がだよ……?」
「わからぬか、小僧」
厳然たる面持ちでこっちを見すえ、戦いの神はゆっくりと告げた。
「また、戦が始まるのじゃ――フォレストラとサンドレオの戦がのう」
神の声は、殷々とその場に響き渡った。観客たちが熱狂する闘技場で、剣闘士の試合開始を告げる鐘の音のように。




