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この町では、人が死なない  作者: とっとっととっとって


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3/5

第3話 下戸

 日下部(くさかべ)さんの家は、社協の建物の裏手にあった。

 二階建ての、どこにでもある家だった。玄関の脇に、白い軽のワゴン車が一台停めてある。車体の横に「寿ヶ淵町社会福祉協議会」と青い文字が入っていた。子どもの頃に乗せてもらったのとは別の車だろうが、形も色もほとんど同じだった。

 呼び鈴を押すと、髪を短く切った女が出てきた。

「透くん?」

 目の縁が赤かった。黒いTシャツにジーンズで、化粧はしていない。

「春奈(はるな)です。覚えとらんやろうけど。雨の日、うちの父の車に一緒に乗っとったんよ。透くん、いつも助手席に座りたがって」

 言われてみれば、後ろの席に小さな女の子がいた気がした。


 居間の壁一面に、写真が貼ってあった。

 町の夏祭り、敬老会、運動会、餅つき。どの写真にも、背の高い男が写っていた。日下部誠(まこと)さんだ。白髪まじりの短い髪で、日に焼けて、いつも笑っている。年寄りの肩を抱き、子どもを肩車し、法被を着て神輿を担いでいた。

「父、写真が好きやったんです。撮られるほうが」

 春奈さんは麦茶を出してくれた。

「お葬式のこと、本当にありがとうございます。瀬川のおじさん、もう七十過ぎで、一人じゃ無理やって」

「いえ。こういうのは、慣れてますから」

 春奈さんは、県の中央病院で看護師をしているという。父親の死の知らせを受けたのは、三日の朝、夜勤明けのことだった。


「事故やって、警察は言うんです」

 春奈さんは、湯呑みを両手で包んだまま話した。

「二日の晩、公民館で家族会の集まりがあって。お年寄りを介護しとる家族の会です。父は世話役で、毎月出よったんです。その晩、父が珍しくお酒を飲んで、止めたのに車で帰った。旧道のカーブを曲がりきれんで、壊れとったガードレールのところから湖に落ちた。朝、新聞配達の人が見つけて」

「検案は」

「宇野(うの)先生です。町の診療所の先生で、警察から頼まれて診るんです。溺死で、血の中から、お酒がたくさん出たって。〇・一五とか」

 血中アルコール濃度〇・一五パーセント。日本酒なら四合か五合。相当な量だ。

「解剖は、されてないんですね」

「事件性はないから、って」

 春奈さんは、湯呑みを置いた。

「でも、おかしいんです。父は、お酒、一(・)滴(・)も(・)飲めんかったんです」

 顔を上げて、まっすぐ俺を見た。

「奈良漬けで顔が真っ赤になる人やったんです。祭りでも、敬老会でも、ずっと麦茶。写真、見てください」

 俺は、壁の写真をもう一度見た。

 ビールの缶を掲げた男たちの輪の真ん中で、日下部さんだけが湯呑みを持っていた。神輿のあとの打ち上げでも、手にしているのは麦茶のペットボトルだった。どの写真でも、そうだった。

「そんな人が、四合も五合も飲みますか。止められても、車で帰りますか」

 俺は答えられなかった。


    ◇


 写真の中に、額に入ったものが二つあった。

 一つは、賞状だった。〈厚生労働大臣表彰 地域福祉功労者 日下部誠殿〉。令和三年の日付がある。

 もう一つは、新聞の切り抜きだった。〈お年寄りの声、いつまでも 寿ヶ淵町社協「声のアルバム」〉という見出しの下に、日下部さんが小さな録音機を手に、ベッドの上の老人に話しかけている写真が載っていた。

「声のアルバム?」

「父が始めたんです。お年寄りの声を録音して、CDにして家族に渡すの。元気なうちに声を残しとこうって。昔話とか、家族への言葉とか。町のお年寄り、ほとんど録ったんやないかな」

 いい仕事だと思った。俺たちの業界でも、故人の声が残っていないことを悔やむ遺族は多い。

「あんたのおばあちゃんも、録ったはずよ」

 その声は、台所のほうからした。


 小さな老婆が、暖簾をくぐって出てきた。

 腰は曲がっているのに、足取りが速い。白髪をひっつめにして、紺の割烹着を着ていた。背丈は、俺の胸までもない。

「祖母です。ミツ」

 春奈さんが言った。日下部さんの母親ということになる。

 老婆は俺の前に正座して、深々と頭を下げた。顔を上げたとき、口の左の端に、小豆ほどの黒いほくろがあるのが見えた。

「このたびは、誠のために、遠いとこを」

「このたびは、ご愁傷さまでした」

 老婆は、ほくろのある口元で、少し笑った。

「お淵に、呼ばれたんやろ」

 息子を亡くしたばかりの母親の声には、聞こえなかった。天気の話でもするような声だった。

「あんた、トキさんとこの孫か。大きゅうなって」

「はい。真壁(まかべ)です。ご無沙汰してます」

「トキさんは、元気にしよるかね」

「寝たきりですけど、元気です。二十一日で百歳になります」

「ほうか。百歳か」

 老婆は、俺の顔をじっと見た。目の奥で何かを数えているような、長い見方だった。

「ようけ、生きたなあ」

 それだけ言って、また台所へ戻っていった。


    ◇


 日下部さんの白いワゴン車を見ていて、思い出したことがある。

 父が出ていった夜のことだ。

 二〇〇四年の十二月。俺は小学六年生だった。雪がちらつく晩で、夕方から父は酒を飲んでいた。いつものことだった。父は飲むと、母を殴った。それも、いつものことだった。

 その晩、家の前に白いワゴン車が停まった。

 父は、黙って後ろの席に乗りこんだ。上着も着ていなかったと思う。運転席の日下部さんが、窓越しに俺に手を振った。俺も、振り返した。

「お父さん、駅まで送ってもらうんよ」

 母はそう言った。母の左の頬は、まだ赤く腫れていた。

 それきり、父には会っていない。


 翌年の正月から、父の名前で葉書が届くようになった。

 宛名も文面もワープロで打った、そっけない年賀状だった。

〈元気でやれ。父〉

 毎年、それだけだった。消印は、いつも寿ヶ淵だった。父はまだこの町のどこかにいて、俺たちに会う気がないのだと思った。母は、葉書のことを何も言わなかった。

 二十歳になった年の正月、葉書は来なくなった。もう大人になったから、ということだろうと、俺は勝手に思っている。


「透くん」

 春奈さんの声で、我に返った。

「父のこと、変なことがもう一つあるんです」

「何ですか」

「家族会の人たち。父が最後に会うた人たちです。警察にも、私にも、みんな同じことを言うんです。『誠さん、珍しゅう飲んで、止めたのに車で帰った』って」

 春奈さんは、膝の上で両手を握りしめた。

「みんな、一字一句、同じなんです」


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