第2話 祖母の部屋
祖母の家は、丘のいちばん上にある。
瓦の重い平屋で、南の縁側から湖が見える。九年前と同じように、玄関の前の柿の木が、まだ青い実を鈴なりにつけていた。
車を停めると、母が引き戸を開けて出てきた。
「遠かったやろ」
母は俺の腕を二度叩いた。それから、少し離れて俺を見上げた。
「あんた、また背え伸びた?」
「三十四やで。伸びるかいな」
母は笑った。前に会ったときより、ずいぶん痩せていた。頬がこけ、髪の分け目に白いものが目立つ。六十二歳。祖母の介護のために大阪の勤めを辞めてこの町へ戻ってから、もう十年になる。
仕事の癖で、俺は母の手を見た。右手の甲に、治りかけの赤い擦り傷が三本、斜めに並んでいた。
「それ、どうしたん」
「道の駅で、段ボールの角で切ったんよ。おっちょこちょいやけん」
母は、手の甲をエプロンで隠すようにして、また笑った。
居間に通されると、母は冷蔵庫から細長いペットボトルを出してきた。
ラベルに、筆文字で「寿ヶ淵の長寿水」と書いてある。その下に小さく「お淵の深層水を汲み上げ、丁寧にろ過しました」とあった。
「道の駅で売りよるんよ。私、そこでパートしよるけん。町の名物」
口をつけると、冷たくて、ほんのり甘かった。山の水は甘いというが、それとも少し違う、舌の奥に残る甘さだった。
「ええやろ。これ飲みよったら、百まで生きるんよ」
母はそう言って、自分でも笑った。
◇
「おばあちゃんに、顔見せてあげて」
祖母の部屋は、家の北側の六畳間だった。
襖を開けると、昼間なのに薄暗かった。雨戸を半分閉め、その内側に厚いカーテンを引いてある。部屋の真ん中に、介護用のベッドが一台置いてあった。
祖母は、そこに仰向けに寝ていた。
顔の上半分に、白い手ぬぐいがかかっていた。口と鼻は、不織布のマスクで覆われている。見えているのは、マスクと手ぬぐいのあいだの、わずかな頬の皺だけだった。
「光がまぶしいんよ。目が弱っとるけん。手ぬぐいは、取ったらいかんよ」
母は小声で言った。
「マスクは、風邪ひかんように。去年、肺炎しかけたけん」
俺はベッドの脇の丸椅子に座った。
「ばあちゃん。透やで」
返事はなかった。胸のあたりの布団が、ゆっくり上がって、ゆっくり下がった。
「もう、誰が誰かも分からんのよ。でも、透が来たのは分かっとると思うよ」
布団の端から、右手が出ていた。俺はその手を取った。
温かかった。柔らかくて、指が細かった。俺の手のひらに、すっぽり収まった。
祖母の手は、こんなに小さかっただろうか。
俺の覚えている祖母の手は、もっと大きくて、ごつごつしていた。畑の土がいつも爪に入っていて、節が太かった。けれど、百歳だ。人は年を取ると縮む。骨が痩せ、肉が落ち、手も小さくなる。仕事柄、それはよく知っている。
もう一つ、気になったことがあった。
匂いだ。
何年も寝たきりの年寄りの部屋には、独特の匂いがある。床ずれと、尿と、薬と、湿った布団の匂いが混ざった、甘いような酸っぱいような匂いだ。俺たちは、故人の家に上がった瞬間にそれを嗅ぎ分ける。どれくらい寝ついていたのか、どれくらい世話をされていたのか、匂いで分かる。
この部屋には、それがなかった。
樟脳の匂いと、打ち直したばかりの綿の匂いがした。シーツには、畳んだ折り目がくっきりついていた。
母が、よほど丁寧に世話をしているのだろう。俺はそう思った。そう思って、少しだけ、胸が痛んだ。十年も、母一人にこれをやらせてきたのだ。
◇
子どもの頃、祖母はよく、縁側から湖を指さした。
祖母の左手の人差し指は、第二関節のところで、くの字に曲がっていた。四十歳の頃、稲刈りの鎌で指の付け根を深く切ったのだという。筋が切れ、骨も欠けて、それきり指はまっすぐ伸びなくなった。その曲がった指で、祖母は湖の対岸を指した。
「冬の晩にな、お淵のほうで舟の音がしたら、見たらいかんよ」
「なんで」
「送られよる人がおるけん」
「誰が送られるん」
「悪い子と、役に立たんようになった年寄りや」
そう言って、祖母は笑った。俺は怖くなって、祖母の膝にしがみついた。祖母の膝は、日向の匂いがした。
祖母は瀬尻の生まれだった。湖の底に沈んだ集落だ。祖母が話す瀬尻の話は、いつもどこか怖くて、どこか甘かった。
祖母がしゃべらなくなってから、もう何年もたつ。
それでも毎年、九月二十一日の誕生日には、母が電話をかけてきて、受話器を祖母の耳に当ててくれた。
「透ちゃん、背え伸びたかねえ。ご飯食べよるかね」
祖母の声は、毎年同じことを言った。それから小さく咳をして、「ほな、またね」と言う。そのあとで、カチッと音がして、母の声に代わる。
「耳が遠いけん、こっちの声は聞こえとらんのよ。でも、喜んどるよ」
俺が何を言っても、祖母は同じことしか言わなかった。それでよかった。ボケてからも、祖母は俺の背丈とご飯のことだけは心配してくれているのだと思った。電話を切ったあと、毎年少しだけ泣いた。
もう一つ、思い出したくないことがある。
三年前の冬、母と電話で言い争った。祖母がご飯を受けつけなくなった頃だった。その晩、俺は子どもの葬儀を終えたばかりで、ひどく酔っていた。母が泣きながら何か言い、俺は何か、ひどいことを言い返した。
何を言ったのかは、よく覚えていない。
翌朝、母からメッセージが一つだけ届いていた。
〈昨日は、ごめんね〉
俺は〈こっちこそ〉と返した。それきり、その話はしていない。振り込みの額を、月三万から五万に上げた。それで、何かを帳消しにしたつもりだった。
◇
夕飯は、母の煮しめと、湖で獲れたという鯉の甘露煮だった。
母は台所で、知らない歌を口ずさんでいた。歌詞のない、鼻歌だった。ゆっくりした、子守唄のような節で、どこかで聞いたことがある気がした。子どもの頃、熱を出した晩に、枕元で聞いたのかもしれなかった。
「何の歌?」
「さあ。昔から、なんとなく」
母は鍋をかき混ぜながら言った。
「明日、春奈ちゃんとこ、行ってあげてね。お通夜は明後日やけん」
その晩は、居間の隣の四畳半に布団を敷いてもらった。
夜中に、目が覚めた。
家の中は暗く、湖のほうから、かすかに水の匂いがした。
北側の部屋から、歌が聞こえていた。
夕方、母が台所で口ずさんでいたのと同じ、ゆっくりした節だった。かすれた、低い声だった。
母が、祖母の部屋で歌ってやっているのだろう。そう思って、俺はまた目を閉じた。
眠りに落ちる前、廊下の向こうに見えた母の部屋の襖は、ぴたりと閉まったままだった。




