第1話 着信
人が死ぬと、俺はまず手を見る。
顔は家族が見る。俺たち葬儀屋が見るのは手だ。爪の色、指の曲がり方、指輪の跡、節の太さ。手は、その人がどう生きてきたかを、顔よりずっと正直に話す。
九月二日の晩も、俺は手を見ていた。
世田谷の斎場で、八十七歳の男性の通夜だった。元は板金工だったという。右手の人差し指と中指の腹が硬く平らに潰れていて、爪の際には、いくら洗っても落ちない黒い線が残っていた。納棺のとき、娘さんがその指をさすりながら「父の手、こんなでしたっけ」と言った。俺は「お仕事の手ですね」とだけ答えた。それで娘さんは泣いた。泣けるのは、いいことだ。
通夜振る舞いの席は、二十一時を過ぎても終わらなかった。
葬儀屋は、振る舞いの席で飲んだふりをするのがうまくなる。注がれた酒は断らない。受けて、口元まで運んで唇を湿らせ、話しているあいだに卓の下の湯呑みへ少しずつ移す。新人の頃、社長の桐生に教わった。
「葬儀屋が酔うたら、終いや。遺族は泣いてもええし、怒ってもええ。こっちは最後まで素面でおらんといかん」
大阪から東京へ出てきて三十年になるのに、社長の言葉はいまだに関西のままだ。
その晩も、故人の甥だという男に三度ビールを注がれ、三度とも湯呑みに逃がした。
二十一時四十七分、上着の内ポケットでスマートフォンが一度だけ震えた。
画面には知らない番号が出ていた。〇九〇で始まる携帯の番号だった。遺族の前で電話に出るわけにはいかない。そのまま震えが止まるのを待った。しばらくして、留守番電話のマークがついた。〇分四十一秒。
あとで聞こうと思った。そして、忘れた。
その晩は、喪主の兄弟が香典の扱いで揉めた。日付が変わるまで斎場の控室で二人の話を聞き、翌日の告別式の段取りを三度組み直した。留守番電話のことを思い出したのは、ずっとあとのことだ。
◇
九月三日の夕方、母から電話があった。
「透? あんた、今ええ?」
母の声は、いつもより低かった。
「日下部さんがね、亡うなったんよ。お淵に、車ごと落ちて」
すぐには顔が浮かばなかった。それから、白いワゴン車が浮かんだ。
俺は十二歳まで、母の郷里の寿ヶ淵町で育った。ダム湖を見下ろす丘の上の、小さな町だ。日下部さんは町の社会福祉協議会の人で、白いワゴン車で町じゅうの年寄りを病院や役場へ送り迎えしていた。背の高い、いつも笑っている人だった。俺も小学生の頃、雨の日に何度か学校まで乗せてもらった。助手席で飴をもらったのを覚えている。
「事故?」
「お酒飲んで、運転しとったらしいんよ。旧道のカーブから、そのまま」
母はそこで少し黙った。
「瀬川さんとこがね、お父さん一人で、お葬式の手が足りんのよ。日下部さんの娘さんが、あんたに手伝うてもらえんかって。あんた、そういう仕事しよるやろ」
「娘さんが、俺を?」
「春奈ちゃん。覚えとらん? あんたより五つ下の」
覚えていなかった。
「それにね」と母は続けた。声が少しだけ明るくなった。
「おばあちゃん、二十一日で百歳やろ。町長さんが、お祝いに来てくれるんよ。どうせ来るなら、それまでおったらええやん」
祖母が百歳になる。頭では分かっていた。毎月の振り込みのたびに、そのことを思っていた。けれど、母の口から聞くと、妙に遠い話に聞こえた。
最後に祖母の顔を見たのは、九年前だ。
その晩は、返事をしなかった。
仕事が詰まっていた。友引明けには三件の葬儀が入っている。九年も帰らなかった郷里に、知り合いの葬式だからといって、今さら帰る理由が見つからなかった。
◇
九月四日の朝、アパートの郵便受けに封筒が一通入っていた。
白い、何の変哲もない長形の封筒だった。宛名は手書きではなく、ワープロで印字した細長い紙が貼ってある。差出人の名はない。消印は「寿ヶ淵」、日付は九月二日。
中には、便箋が一枚だけ入っていた。真ん中に、二行だけ印字してあった。
おばあさんに、会いに来てあげてください。
手遅れになる前に。
古い機械で打ったような、角ばった字だった。「遅れ」の「れ」の一画が、点が一つ抜けたように途切れている。俺はしばらく、その途切れた線を眺めていた。
手遅れ、という言葉が、喉の奥に小骨のように引っかかった。
九月二日に投函された手紙だ。日下部さんが死んだ晩と、同じ日だった。
◇
「行ってこい」
桐生社長は、俺の話を半分も聞かないうちにそう言った。事務所の奥の、煙草の焦げ跡だらけの机で、香典返しのカタログをめくりながらだった。
「お前のおばあちゃん、百歳か。ええやないか。ちゃんと会うてこい」
「友引明けの三件は」
「わしがやる。誰が教えたと思うとるんや」
社長はカタログを閉じて、俺の顔を見た。
「それとな。その日下部さんいう人も、ちゃんと送ってこい」
社長の口癖だった。
「葬式は、死んだ人のためだけにやるんやない。残った人が、ちゃんと『この人はいなくなった』と分かるためにやるんや。それをせんかったら、残った人は、いつまでも死んだ人と一緒に暮らすことになる」
新人の頃から、何十回と聞かされた言葉だった。その日は、いつもより重く聞こえた。
◇
昼の便で発ち、県の空港で車を借りた。
海沿いの国道を一時間走り、そこから川をさかのぼって山へ入る。カーブを一つ曲がるたびに家が減り、杉の山が迫ってくる。九年前に来たときと、何も変わっていなかった。変わっていないということは、少しずつ死んでいるということだ。
長いトンネルを抜けると、左手が急に開けた。
谷いっぱいに、湖が広がっていた。
午後の日を受けて、水面は鈍い緑色に光っている。風はなく、波も立っていない。対岸の山の影が、そのまま逆さに水に映っていた。寿ヶ淵ダム湖。町の人は「お淵」と呼ぶ。この水の底には、母や祖母が生まれた瀬尻という集落が沈んでいる。
トンネルの出口に、大きな看板が立っていた。
ようこそ 長寿日本一の町 寿ヶ淵町
刑法犯ゼロ 連続二十年
白地に緑の文字で、角が錆びていた。
長寿日本一。俺は少し笑った。長寿日本一の町ということは、葬儀屋にとっては、日本でいちばん仕事のない町ということだ。
湖沿いの道を、丘へ向かって上っていく。
途中、ガードレールが一か所だけ、大きくひしゃげて途切れているカーブがあった。工事中のコーンが二つ置かれ、黄色と黒のロープが張ってある。その向こうは、そのまま湖だった。
ここか、と思った。車を停めはしなかった。
上着の内ポケットで、スマートフォンが静かに眠っていた。
〇分四十一秒の留守番電話は、まだ聞いていなかった。その四十一秒が何だったのかを知るのは、もっとずっと、あとのことになる。




