愛の時間
神龍の庵には、ニルヴァとリリアーヌのふたりだけ。 リリアーヌは既にうっとりと愛しい夫を見つめていた。
「リリー。僕の愛しい人。会いたかったよ」
広々としたベッドの中で、リリアーヌの美しいかんばせを見つめてニルヴァは囁いた。
「私も、愛しています。ニル。寂しかったわ」
「本当に?僕がどれほど君に会いたかったか。リリーも待っていてくれたんだね」
潤んだ瞳で、リリアーヌはニルヴァを見つめた。
「これからどうすればいいのかしら。私の計画はすっかり狂ってしまったわ」
「僕に任せて。これは理に違反した人間の仕業だから、僕は警告を与える事ができる」
「ニル。貴方の力は膨大すぎるの。もう少し待ってくれる。先ずはお祖父様の計画に従いましょう」
「僕にマテと言うなんて。僕に命令出来るのはリリーだけだ。けれどね。これは貸しだからね。愛しいリリー」
「分かっているわ。ありがとうニル」
「ねぇ、リリー。ご褒美をくれるのでしょう」
「ええ、ニル。」
ニルヴァの優美な手が、リリアーヌの頤をなぞり、静かに首筋からするすると胸元に下りていく。
柔らかい熱に翻弄されて、リリアーヌは小さな喘ぎ声をあげた。その可愛らしい唇に、ニルヴァはそっとついばむように口づけを落とす。
何度も、何度も。そっと触れるような軽やかな口づけなのに、リリアーヌの熱はどんどん高まってくる。
たまりかねたように、リリアーヌは強請るように自分から深い口づけをした。
強請るようなそれに、ニルヴァは嬉し気に応え、深い闇に包まれて二人の身体が白々と浮かび上がる。
闇の中に浮かぶ、頼りない船のように、リリアーヌの身体は揺さぶられ、翻弄されていった。
やがて熱は静まり、二人はお互いを求めるように絡みつき、深い眠りについていく。 満ち足りた深い眠り。それはこの常闇に似つかわしいものであった。
同じ頃、セーラは全身で恥じらいを現していた。
ローゼンベルク侯爵は思いがけず得た、このかわいらしい花嫁を、うっとりと眺めている。
「私の花嫁になって後悔しないの?セーラ。私は君よりずっとお爺さんだからね」
セーラはふるふると首を振った。ローゼンベルク侯爵の膝に座らされて、セーラは顔も上げられない。
ローゼンベルク侯爵は、セーラが3歳の頃、幼い恋心を抱いた相手。
それは決して手に入らない相手だと、幼くてもセーラは分かっていた。セーラの大切な主であるリリアーヌ。
そのリリアーヌの父に向けられた小さな憧れは、目覚めてすぐにセーラ自身によって摘み取られた。そしてその罪を贖うように、セーラは益々リリアーヌに忠誠を深めたのだ。
だと言うのにセーラは今、侯爵さまの膝の上にいるのだ。セーラは自分の感情を持て余していた。
「セーラ、顔を上げて。本当の事を教えて欲しいんだ。これは忠誠心なんかで行う事ではない。だからセーラの気持ちを教えて。僕が嫌い?」
セーラは思わず顔を上げた。
「嫌いだなんて!そんなことありません。ローゼンベルク侯爵を嫌う人なんている訳ないわ」
必死で訴える若い娘を、侯爵は楽し気に眺めた。
「それはどうだろうね。私を蛇蝎のように嫌う相手は片手では足りないのだけれどね。だったらセーラ、ほんの少しでも私を好いてくれる?」
「大好きです。本当に好きなんです。3歳の頃から、ずっと侯爵様は私の憧れの人なんです」
一気にそう言って、セーラは自分が何を言ったか悟って、青ざめた。
「申し訳ございません。主のお父様に横恋慕するなんて」
「私の名前はセドリックだよ。セディと呼んで」
セーラは黙って首を振った。言える訳ない。相手は侯爵様なのだから。
「呼んでくれないの?僕はしがない侯爵だけれど、君はあのヴァレンティア公爵の養女だものね。公女様に相応しい婿だとは、私も思っていないよ。なにしろ最初の妻を、公女を守れなかった男だからね」
「そんな、そんな事ありません」
セーラが慌ててそう言うと、ローゼンベルク侯爵はそっとそのセーラの頬に指を滑らせた。
「だったら、セディと。ね?」
「セディさま」小さく呟いたその一言は。ローゼンベルク侯爵に優しく響いた。
そっと口づけをすると、口づけはどんどんと深くなり、セーラは息が出来なかった。
ローゼンベルク侯爵の唇がセーラから離れた時、セーラはゼイゼイと空気を求めて喘いだ。
「セディだよ。セーラ。今度間違えたらお仕置きをすることになってしまう。どうなの。セーラ」
「セディ」ごくりと唾を呑みこんで、セーラは言った。さっきのキスだけで、いっぱいいっぱいのセーラは、お仕置きとやらに耐えられる自信がなかった。
ローゼンベルク侯爵は笑みを深くして、満足気に頷いた。
「いい子だね。セーラ。物覚えも早い」
そう言って侯爵はセーラの小さな形の良い鼻を摘まんだ。
「キスをするときにはね。鼻を使って息をすればいいのだよ。もう一度練習してみようか」
セーラの返事も待たず、侯爵は何度も何度もセーラにキスをした。セーラはそのうち何も考えられなくなった。
ぐったりとするセーラを、侯爵はやっと寝台に横たえた。セーラは恥ずかしさのあまり、目を瞑ってしまっている。
「セーラ。私を見て。君の夫の顔を見て欲しいのだ」
セーラはゆっくりと目を開いた。はしばみ色だった瞳は、魔力を授けられて青龍の碧を纏っている。
「綺麗な青い瞳だね。あの龍から貰い受けたかと思うと、少し焼けてしまうけれど。大丈夫だよ。セーラ。これから僕の色に染めてあげるからね」
「侯爵さま」セーラのつぶやきに、ローゼンベルク侯爵の瞳が厳しくなった。
「セディだよ。セーラ。何度も言わせないで」
「セディ」
「そうだよ。もう忘れないでね。今度間違えたら本当にお仕置きをするよ」
セーラはぶるっと身体を震わせた。
「セディ、私はもう間違えません」
「愛しいセーラ。ご褒美を上げようね」
そうしてセーラは、そのままローゼンベルク侯爵に、思う存分貪られることになった。何度か意識を飛ばし、気がついたらまた甘く激しく揺さぶられる。
セーラは知らなかった。ご褒美も、お仕置きも、実態は全く同じであることなど。
とうとうぐったりと眠り込んだセーラを、清めてやりながらセドリックは満足していた。そして眠り込んだセーラを布団で包むと、そっと寝室を抜けだした。
自分の居間に入ると、セドリックは亡き妻シルビアの肖像の前に立った。
「シルビア。ずっと君を愛し続けてきたけれど、セーラに愛を分かつことを、許してくれるかい?」
「私は常にローゼンベルク侯爵であり続けたし、その仮面を外した事は無かったよね。けれどシルビア。君の前でだけは、セドリックという青年でいることが出来たんだ」
「私は、セディと呼び掛けるシルビアの声が大好きだったんだ。君の声には、誇りと甘えと愛情がたっぷりと含まれていたからね」
「それでね。セーラのセディという呼び声には、尊敬と弱さと、愛情が溢れていたんだ」
そこまで言って、セドリックはじっとシルビアの肖像画を見つめた。セドリックにはシルビアの許しの声が聞こえた。
「貴方、愛しいセディ。セーラはセディに、自信と誇りを与えてくれるのでしょう?それならセディ。貴方もその見返りに愛情をたっぷりと与えてあげるべきよ」
その声は闇の悪戯であったのかも知れなかったが、セディはシルビアの声だと思った。そして懐かしそうに微笑んで、ゆっくりと頷いた。
ローゼンベルク侯爵家には、二人目の侯爵夫人が誕生したのだ。くしくも二人ともヴァレンティア公爵家の公女であった。
セドリックは、セーラを養女として自分に与えてくれたヴァレンティア公爵に、感謝していた。妻を守れなかった男に、再度妻を与えてくれた。
それは間違いなく、亡き妻の仇を取る為だったから、セドリックは断固としてそれを成し遂げるつもりだった。
幸いにも新たな妻の忠誠心は高く、共に仇を討ってくれるだろう。
セーラを妻として召し上げてしまったから、リリアーヌの専任侍女はいなくなる。
だがリリアーヌは神龍ニルヴァが、徹底的に守ってくれるだろうし、ヴァレンティア公爵が、リリアーヌの侍女を既に選定しているだろう。
ヴァレンティア公爵が選んだ侍女なら、間違わない。
なぜならヴァレンティア公爵は、亡き妻と同じだけの愛情を、孫娘に抱いているからだ。無制限の愛情を与えている。
翌朝二人の新妻、リリアーヌとセーラはベッドから降りる事は出来なかった。それぞれの夫が、甲斐甲斐しく朝食のお世話をする。
そんな事をしている間に、ヴァレンティア公爵家の護衛隊が、到着していた。
昼食に家族が集まったとき、ヴァレンティア公爵は、ひとりのたおやかな女性を、リリアーヌに紹介した。
「リリー。この娘は遠縁の子爵家の長女で、リーナと言うんだ。生活魔法が得意だから侍女として、お前に仕えさせる。固有魔法は精神系。暗示を得意としているから、諜報にも使える。遠いけれど君とも血が繋がっているから安心しなさい」
リーナは美しい礼をした。
「リーナと申します。よろしくお願いいたします。姫様」
「リーナ。こちらこそよろしくね。頼りにしているわ」
神龍ニルヴァは、黙ってリーナを観察するだけで、加護を与える様子はない。しばらくは御試し期間になるのだろう。
そうして祖父であるヴァレンティア公爵に促されて、外に出たリリアーヌは仰天した。
そこにはヴァレンティア公爵家の黒の騎士団と、ローゼンベルク侯爵家の青の騎士団が、整然と並んでいた。
そしてリリアーヌ達が現れると、全員が一糸乱れぬ礼をしたのだった。




