ヴァレンティア城
すぐに出発準備が始まった。馬の嘶き、砂塵が舞い獣臭と混じる。水や食料を確認する声や、準軍装なので武器の擦れ合う音もする。
リリアーヌはこんなに大勢の騎士達を見たことがなかったので、驚いた。お祖父様は戦争でも始めるのかしら?そう思ってしまうぐらいの人数だった。
侍女のリーナがリリアーヌを案内した。
「姫様と夫君である神龍ニルヴァ様は、こちらの黒い馬車にお乗りください。通常ならば私も同乗するところですが、神龍様は他人を好まれませんので、私は後ろの馬車に控えます。何かございましたらお呼びくださいませ」
大きな馬車だった。小さなお部屋が入りそうなくらいだ。リリアーヌはニルヴァのエスコートで馬車に乗り込んだが、すぐにニルヴァを睨んだ。
「ニル、またやらかしましたね。どうやったら馬車の中に庵を組み込むことが出来るのですか」
「それは簡単だよ。馬車に空間魔法を組み込んで庵と繋げるだけだもの」
「ニル。それは簡単とは言わないのですよ」
「だって、馬車は狭いし、ゆっくりできないじゃないか。俺は奥様にそんな劣悪な環境で我慢して欲しくないの。面倒だから俺が全員転移させるって言ったのに、あの爺が断るんだ」
リリアーヌは頭を抱えた。
「リリー、どうしたの?頭が痛いの?大丈夫?ほら寝室にいこう。ゆっくり休んで」
ニルヴァはいそいそとリリアーヌを寝室に運び込み、およそ10日の旅は、2人の蜜月になった。
神龍が、どうやら馬車と庵を繋げていることは、薄々みんなが察していたから誰も邪魔をしなかったのだ。
一方のセーラは、青い馬車にローゼンベルク侯爵と乗り込むことになった。
「セーラ。この旅の間は、私は君の従僕になってお世話をするからね。存分に甘えておくれ」
「そんな。私がお世話をすべきですわ」
「だってセーラ。君は野営の経験もないし、旅をしたことも無いじゃないか。僕は騎士だからね。野営にも旅にも慣れているんだ。だから任せて。その代わり、セディと呼ぶのを忘れてはいけないよ」
「はい、セディ。貴方にお任せいたします」
そういう事だから、こちらの夫婦にとってもこの旅は大層甘美なものになった。
一行がヴァレンティア城に着いた時、リリアーヌもセーラもその美しさに呆然としてしまった。
城は美しい湖のほとりに建っており、優美さと実用性を兼ね備えていた。
「素敵ですね。お祖父様。まるで絵本の世界に迷い込んだみたいですわ」
リリアーヌはそんな感想を述べたが、セーラも全くその通りだと思った。
城門の内側にも豊かな森が広がっていて、いくら辺境だとしても、あまりにも広かったのだ。
それでも、やがて入り口が見えて来た。そして使用人たちを従えて、優しげな老婦人と、凛々しい貴公子が出迎えていた。
「リリアーヌ、セーラ。こちらがヴァレンティア公爵夫人。私の妻だ」
「いらっしゃい、リリアーヌ。シルビアに生き写しだわ。なんて美しいのでしょう。私があなたのお祖母さまよ」
「お祖母様。お会いしとうございました。孫のリリアーヌです」
リリアーヌの挨拶も終わらないのに、お祖母様は、しっかりとリリアーヌを抱きしめていた。
だから思わずリリアーヌも幼い子供の様に祖母に抱きついた。そのぬくもりは、まるで懐かしい母のようでリリアーヌの目は潤んでしまった。
ヴァレンティア公爵夫人は、やがて大人しく控えていたセーラに気がついた。
「貴方が、私たちの娘になるセーラね。優しい顔をしているのね。セーラ。リリアーヌを守ってくれてありがとう。これからは、貴方もヴァレンティア公爵家の娘。貴方の事は私たちが守るから安心するのですよ」
あまりにも暖かな言葉に、セーラの目は真っ赤になった。
「あらあら、娘も孫も、とても泣き虫なのね」
そう言ってヴァレンティア公爵夫人は優しくセーラを抱きしめた。
「これからは、私がお母様よ。セーラ。もしも構わなければお母様と呼んでくれるかしら?」
セーラは身分違いだと、すこし迷っていたが、公爵夫人の目があまりにも真っすぐだったので、素直に頷いた。
「これからはお母さまに孝行致します。よろしくお願いします」
「まぁ、セーラ。随分真面目なのね。甘えてくれるだけで嬉しいのよ」
そこにヴァレンティア公爵もやって来た。
「セーラ、少しずるくないか。私の事は、まだ一度もお父様と呼んでいなかっただろう」
そう言われてセーラは目を白黒させた。この立派な公爵閣下をお父様と呼んでいいものなのだろうか?
しかし期待の眼差しで見つめられて、セーラはとうとうその圧力に屈してしまった。
「ありがとうございます。お父様。よろしくお願いします」
お父様と呼んで正解だった。何故ならヴァレンティア公爵は、とても嬉しそうだったから。
「さあさあ、何をしているのです。婿殿たちも、さっさと私たちの館に入って下さいな。お部屋の準備は整っているのですよ」
公爵夫人に急き立てられるようにして、一同は館に入った。
そこに不満そうな声が聞こえてきた。
「お父様、お母様。僕はまだ紹介されていませんよ」
そう言ったのは、黄金のような美しい金の髪と濃い青の瞳を持つ青年だった。年は19歳か20歳位だろう。
「ごめんなさい。娘と孫に会えて嬉しさのあまり、すっかり忘れていたわ。リリアーヌ、セーラ。この子は私たちの息子のジークフリートよ」
「ジークフリート、前に話した孫娘のリリアーヌと、養女のセーラ。リリアーヌの婿の神龍ニルヴァとセーラの婿のローゼンベルク侯爵よ」
「ジークフリートです。ジークと呼んで下さい」
ジークフリートは忘れたと言われても、気にする様子もなく、朗らかに挨拶をした。
「ジーク。君はヴァレンティア公爵夫妻の子供にしては、若すぎないか?」
ニルヴァは無遠慮に尋ねたので、リリアーヌは焦った。
「ニル、いきなり何を言い出すのよ」
「構いませんよ。ニルヴァ様の言う通り、僕はヴァレンティア公爵の実子ではありません。養子なのです」
「ジークは養子だが、高貴な血筋だよ。礼を以て遇してくれ」
ヴァレンティア公爵はそう言った。だからリリアーヌは不思議だった。ヴァレンティア公爵家は、代々王女の降嫁先に選ばれるぐらい、由緒正しい家柄だ。
筆頭貴族と言っても良い存在なのだ。そのお祖父さまが、高貴な血筋だからと、失礼のないように釘を刺す。それならジークフリートは王家の血筋だとしか思えない。それは随分きな臭い話だった。
リリアーヌは試すようにジークフリートを見つめたが、ジークフリートは涼しい顔で、そんなリリアーヌの視線を気にする様子を見せなかった。
そこにお祖父さまが、リリアーヌ達に言った。
「着いたばかりで申し訳ないが、先に書類を整えたい。貴族家の縁組には王家の認証がいる。急がないと例の茶会に間に合わないからな」
それを聞いて皆の背が、びしっと伸びた。皇子妃選定の茶会まで、あと2か月。急がないといけない。
書類に署名するだけの結婚は、少し味気なかったが、この署名をもって王家の承認を貰わないといけない。式は後で落ち着いてからと言うことになった。
「それにしてもお父様。義母様は結婚の書類に署名しただけで、王家の認証を貰わなかったのでしょうか?認証を貰おうとすれば偽装結婚の事はすぐにバレた筈なのに」
「王家から認証を貰わないといけないのは、あくまでも王家の血筋の者だけだ。ヴァレンティア公爵家は王位継承権のある一族だから、王家の認証が必要なのだ」
そうだったのか。確か王位継承権は何と50位まで、発表されている。王家の血筋を絶やさないためだ。王家の者だから国王の許可がいるのだ。それならば納得だった。
義母は子爵家の娘だし、ローゼンベルク侯爵家も王家の血は薄い。わざわざ王家の認証を受ける必要がない。
だから結婚の書類が未処理になっていたのに気づけなかったのだ。
セーラはヴァレンティア公爵の養女になるし、リリアーヌにも王位継承権はあるのだ。
細かい書類全部の署名が終わると、お祖父さまはニルヴァに言った。
「済まんが私を王宮まで、運んでくれぬか。さすがに転移するには遠すぎるからな」
「まさかお前、俺を乗り物扱いするつもりか!」
「嫌なら良いが、正規ルートを通っていると、復讐が間にあわない恐れがあるぞ」
「仕方がない」
そう脅されて、しぶしぶニルヴァは青龍に変化して、背中にお祖父様を乗せた。青龍をはじめて見た人々は、その威容と美しさに感動していたが、ニルヴァはめんどくさそうに飛んでいく。
「見事なものだなぁ」
憧れるようにジークフリートはそう呟いた。男の子は、きっと龍が好きなのだろう。
「もしかして乗ってみたいの?」
リリアーヌがそう聞けばジークフリートは素直に頷いた。
「龍の背に乗って空を飛ぶなんて、凄いじゃないか。絶対に乗ってみたいよ」
無邪気にそう言うジークフリートは、歳よりずっと幼く見えた。両親から離されて、辺境で育つ。きっと思う事もあるだろうに。ジークフリートは素直に成長している。
きっとお祖父様とお祖母さまが、大切に育てたのだろう。リリアーヌは温かい気持ちになった。
「きっといつか空を飛べる日がくるよ」
リリアーヌは思わず、そう言っていた。それが本当になるのに、それほど時間はかからなかった。




