計画
神龍の帰還にいち早く気づいたのはジークフリートだった。 龍に魅せられてしまった若者は、幾度も空を眺めていたからだ。
「龍が戻った!」
その声に大勢が空を眺める。青空を悠々と飛ぶ青龍の姿は誰が見ても美しかった。とはいえ人を驚かせないようにかなり上空を飛んでいたから、この龍を見ることが出来たのは、ヴァレンティア城の人々だけだったのだが。
お祖父様は、ひとりの人物を伴って王都から帰って来た。 その男は龍から降ろされると、興味深げに龍を眺めていた。
「お帰りなさい。お祖父様、お帰りなさいニルヴァ」
リリアーヌが出迎えると、お祖父様は連れて来た男を紹介した。
「リリアーヌ。この人が新進気鋭のデザイナーだ。大急ぎでドレスを制作して貰わなければならないからな」
「お祖父様。今頃はどのメゾンもとても忙しいはずです。お連れしてもよろしいのですか」
「これはこれは、何とお優しい姫君だ。我等の仕事を気遣ってくださるとは。けれどご心配には及びません。残り二か月は姫様のドレス制作の予定しか入れておりません。元々私のメゾンは、それほどドレスを作らないのです」
そう言われてリリアーヌは改めてその男を見た。
「ニコル殿。この娘が孫のリリアーヌ。そしてその後ろにいるのが養女のセーラだ。悪いがすぐに取り掛かってくれ」
お祖父様にせかされて、リリアーヌとセーラは、あっという間にフィッティングルームに軟禁された。監督するのはお祖母様。
フィッティングルームには、大量の布と、大勢の侍女が待ち構えており、デザイン帳を手にニコルが、熱心に祖母と話し込んでいる。
「銀髪と菫色の瞳のリリアーヌ姫の基本色は、やはり淡い紫をベースに夫君の青色を差し色にするのはいかがでしょう?」
「それでいいわ。色が大人びているから、デザインは少し甘くしてもいいかもしれないわね。シフォンを取り入れて。リボンは止めて頂戴。それ子供っぽすぎるわ」
お祖母様は高名なメゾンの持ち主に、遠慮なく注文を付け始め、リリアーヌ達は棒立ちになりながら、次々に布地を纏って完璧な布地選びに協力させられている。
リリアーヌもセーラも、ただ黙って立っているのがお仕事になってしまったので、2人で小声でお喋りを始めた。
「リリアーヌ様。これだけの布地を、いったいどこから持ち込んだのでしょう?」
「分かる訳がないわ。けれどもセーラ。いくら何でも私のお母様なのだから、リリアーヌ様は無いでしょう?リリーと呼んで頂戴。今から慣れておかないと王宮で失敗してしまうわよ。敬語も使わないで」
「はい、リリー。どうしても慣れなくて」
「大丈夫よ。お母様。すぐに慣れるわ」
「リリー。さすがにお母様は、ご勘弁を。今まで通りセーラと呼んで頂けませんか」
「困った子ね。セーラは。まあいいわ。リリーと呼んでくれているし、社交界でもさすがに同じ年の義母を、お母様と呼ばなくても目くじらを立てる人はいないもの」
「助かります。リリー。どうですか?神龍様はお優しくしてくださいますか?」
「ええ、もちろん彼は優しいわ。困ったこともあるけれどね。それよりセーラ。お父様はセーラに優しくしているのかしら?困った事があったら私に言ってね。お父様をとっちめてあげるから」
「そんな。リリー。セディには、十分に優しくしていただいています」
セーラがローゼンベルク侯爵を、さらりとセディと呼んだので、リリアーヌは驚いた。そう言えばお母様もお父様をセディと呼んでいたのだった。 リリアーヌは父親を取られてしまったようで、少しばかり寂しかった。
そんなリリアーヌの心の変化を、セーラは素早く見抜いた。 何しろリリアーヌは、セーラがずっと仕えて来た主なのだから。
「リリー。ローゼンベルク侯爵の娘は、リリーだけですよ」
その声音は優しさと気遣いに溢れていたので、リリアーヌはすぐに自分の小さな嫉妬心を恥ずかしく思った。
「ごめんなさいセーラ。あなたが幸せで嬉しいわ。私とお父様は唯一血のつながりがある親子だけれど、お父様の妻は貴方だけよセーラ。お父様をお願いするわね」
「はい。リリー」
2人はお互いを黙って見つめた。多分この瞬間に、ふたりは主従から親子になったのだ。
立ったまま既に2時間が経過している。たまりかねて文句を言おうとした瞬間に、やっとお祖母様からお許しが出た。
「リリアーヌ。セーラ。ドレスのデザインが決まったから、昼食にしましょう。男達が待ちかねているわ」
昼食では、王都の様子と計画の進行具合が詳しく語られた。
「アークライト公爵に、こちらの動きを知られたくはないからな。王璽尚書に直接婚姻資料を渡して、婚姻許可の裁可を受けた。きちんと玉璽もあるからな。これでセーラが本物のローゼンベルク侯爵夫人だと証明できる」
お祖父様は、淡々と計画の概要を説明してくれた。
「それは良かった。マリアとの婚姻無効の証明書は、貰えたのだろうか?」
お父様はそれが一番心配なのだろう。確かに精神を操られて結婚まで持ち込まれたのだ。そんな結婚は認めたくない筈だ。
「ああ、それも手に入れた。神殿に親子関係に疑義があると訴えているから、王子妃選定の日には、親子関係を鑑定するために参加してくれることになっている。こちらも魔道具を持ち込むが、神殿に鑑定して貰う方が、皆も信じるだろうからな」
「その親子関係の魔道具は、その場で父親が誰かまで分かるのですか?」
「ああ、鑑定したい者の血を垂らすと、血縁関係がある者のところに、光が集まる仕組みだ。その光の様子で血縁の濃さまで分かる。父なのか?叔父なのか?あるいは従兄弟や又従姉妹まで分かるのだ」
「それは凄い魔道具ですね。それがあれば偽物はすぐに見つかってしまいますね」
セーラは驚いたようにそう言った。
「だがな。人間の悪知恵も底が知れない。いつかこの魔道具すら騙す輩が、でてくるかも知れないぞ」
お祖父様は、冗談のようにそう言ったけれど、それは起こりうる未来でもあった。
「さて、それでどうするかな?王都の屋敷に行くのは、茶会の直前の方が安全だろうが、間に合わぬと言うような事態は避けたいところだしな」
確かに、あまり早くついてリリアーヌやセーラの存在が露見しては、意味がない。この作戦は不意を突くことで意味を持つ。
そこにニルヴァが声を上げた。
「それなら転移すればよい。屋敷の場所は分かるから、いつでも転移が出来る。使用人たちは先行させればよいではないか」
「ニルヴァ殿。辺境から王都までどれほどの距離があるかご存じでしょう。それなのに転移出来るのですか?」
お父様が絶句した。
「一度行っているからな。一度場所を覚えたのだから、後は距離など関係ない」
「ありがたい。それでは先行部隊を出発させよう。我らは前日に行けばよい」
これで誰にも知られずに王子妃選定の茶会に出席できる。 ヴァレンティア公爵家は安堵していた。
ところが。 こちらは王城の奥にある王妃宮 すべての壁面が丸みを帯びているので、柔らかさと優美さを醸しだしている。 廊下にも、大きな窓が取り付けられていて、明るいし風の通り道にもなった。 そして王城の王妃の宮では、王妃と王子がこのような会話をしていたのだ。
「母上、どうやらヴァレンティア公爵家は孫娘を王子妃に推挙したいようですよ」
「それは不思議ね。ヴァレンティア公爵家は辺境伯という訳でもないのに、辺境の地に居を構え、王都に来ることもないと言うのに。それは確かなの」
「はい、母上。この王城で僕の目をかいくぐることなど出来ない事は、母上が一番ご存じではありませんか」
「それもそうね。それでは孫娘を養女にでもしたのかしら。公女として王子妃に立候補するなら、王子妃は決まったようなものね。選定する必要すらないわ」
「ところが、ここからが面白い話なのですよ。ヴァレンティア公爵家は、遠縁の子爵家の娘を養女にしたのです」
ガチャンとグラスの割れる音がする。 王妃が杯を投げ捨てたのだ。
「何という不敬。たかが子爵家の娘を、私の息子の伴侶にしようなどと!」
「母上、それは誤解ですよ。その娘はローゼンベルク侯爵の妻となりました」
「何を言うの。ローゼンベルク侯爵家には既に妻がいた筈。もしかして亡くなって、急遽妻を娶ったの?」王妃は訳が分からないと言わんばかりだ。それを見てカール王子は愉快そうにクスクスと笑い出した。
「ええ、母上の忠実な部下、ノクス子爵家の娘がローゼンベルク侯爵に嫁いだはずでしたよね。ところがローゼンベルク侯爵の方が1枚上手でしたよ。その婚姻は成立していない」
「何ですって!ローゼンベルク侯爵は、既に廃人になった筈。彼に何が出来たと言うの?」
王妃はいらいらと扇を指で叩いていた。
「婚姻無効の届けを出していたのですよ。廃人になる前にね」
「それであの廃人に子爵家の娘を娶らせたのね。書類だけの事でしょうけれど。目的は偽の侯爵夫人が王宮の茶会に参加したとして断罪するつもりなのだわ」
「そんなところでしょう。長い間大人しくしていると思ったら、どうやら孫娘のリリアーヌが祖父に泣きついたのでしょう。ローゼンベルク侯爵家は妹のエリーゼを王子妃候補に立てましたからね」
「それなら安心だわ。特に問題はなさそうね。ヴァレンティア公爵は孫娘を貴方の伴侶にしたいだけで、それはどの貴族も望むことだもの」
「それでどうします。このままなら母上の手駒を処刑しなくてはならなくなりますし、その娘も庶子になってしまう」
「構わないわ。娘を殺されたら、ノクス子爵家夫人は、きっと娘の仇を討ちたくて私に忠実に仕えるようになるはずだから。娘のマリアよりノクス子爵夫人の方が有能だもの」
王妃は、あっさりと偽のローゼンベルク侯爵夫人マリアを、切り捨ててしまった。
「アークライト公爵に伝えますか?エリーゼはアークライト公爵の娘だ。同じ庶子ならば公爵家の庶子の方が、エリーゼの使い道が大きくなる」
「必要ないわ。最初から見捨てている子供だもの。アークライト公爵も気にしないでしょう。それよりもローゼンベルク侯爵の庶子にしていた方が、ローゼンベルク侯爵家の醜聞になるもの」
「可哀そうな娘ですね。これで後ろ盾をすべて失った。もしかしたらノクス子爵夫人が引き取るかも知れないが」
カール王子がそんな風に呟いたので、王妃は珍しい事だと思った。カール王子は他人を気に掛けることなど無かったからだ。
「カール、良ければあなたの愛人にすればいいわ。娘も庇護者がいなければ、貴方に縋るしか無いのだから」
驚いたことにカール王子は「それもいいですね」と言ったので王妃は目を見開いて、扇を投げ捨てた。
「私は疲れたわ。カール。もう自分の宮に戻りなさい」
カール王子はうやうやしく王妃に礼をして下がっていったが、その口元は少し歪んでいた。




