驚愕の真実
古い館。書庫は、執事アルバートの指示によって、暗闇の中で赤々とした灯りのように周囲に光を振りまいていた。
重い漆黒の闇を払う灯台のようなその姿に、リリアーヌは息を呑んだ。
執事アルバート。彼はいったい何者なのだろう。リリアーヌが灯りを手配するように頼んだのは、ほんの少し前だったのに。
よく考えたら、ここに残った使用人たちは、それほど多くはなかった。ほとんどの使用人は侯爵夫人の采配に従って、王都に行ってしまったのだから。
闇に潜む空気は少しじっとりとしていたが、リリアーヌの心は晴れやかだった。
天窓の下にたどり着くと、セーラが首に下げた鍵を取り出し、リリアーヌに渡す。二人の視線が一瞬まじわり、そしてお互いに微かに頷き合っていた。
いよいよ事実が明らかになる時がやって来たのだ。 リリアーヌも自分の鍵を取り出し、金と銀の鍵をその手に握りしめた。
そうしてゆっくりと浮き上がる。 ランプの光に照らされて、白い寝間着のまま浮き上がる姿は、まるで精霊のように可憐だったから、見ていた人々はおもわず見とれてしまった。
やがて箱を1つ持ってリリアーヌは降り立った。 そして黙ってその箱を祖父、ヴァレンティア公爵に手渡した。
ヴァレンティア公爵はその箱をしっかりと受け止めた。
そして一行は、その箱を守るように持つヴァレンティア公爵と共に、本館に戻っていく。
真夜中の静けさを、ザッ、ザッと響く足音が切り裂いていく。 やがて本館に辿りついた時、リリアーヌの瞳は驚愕に見開かれていた。
「お父様。お父様」そう叫んで駆けだした。 本館の扉の前に、在りし日と同じ姿でローゼンベルク侯爵が佇んでいたからだ。
ローゼンベルク侯爵は、大きく手を広げて駆け寄って来た娘を抱きしめた。 14年ぶりに抱き合う事ができた父と娘。 その姿は多くの人の涙を誘ったが、ヴァレンティア公爵は冷静に声を掛けた。
「氷河の騎士の姿をようやく取り戻したのか?無様を晒しおって。娘を救えなかった罪、背負って貰うぞ」
ローゼンベルク侯爵は、静かに頭を下げた。
「御処分はいかようにも。否やはございません」
そこにリリアーヌが庇うようにヴァレンティア公爵に立ちふさがった。
「お父様のせいではありません。お祖父さま。お父様に酷い事はなさらないで」
「娘に庇われては、私の面目が立たぬ。リリアーヌ。どきなさい」
父に何と言われようと、リリアーヌも動く気配がない。 そこに執事アルバートが、声を掛けた。
「皆さま、中にお入り下さい。酒もつまみもご用意いたしております」
そこで一同は、ぞろぞろと邸に入っていく。 ローゼンベルク侯爵は、扉に立ち、人々を見守った。そして神龍ニルヴァが近づくと声を掛けた。
「神龍殿。おかげでこのように健やかな身体を取り戻せた。礼を言う。しかし、少しばかり若返り過ぎたのではないか?」
確かにローゼンベルク侯爵は38歳。壮年と言っても良い年ごろの筈なのに、見た目は20代にしか見えないほど若返ってしまっている。
神龍は鼻を鳴らして、何も言わなかった。10年や20年が何だというのだろう。そんなものは誤差の範囲だ。
ローゼンベルク侯爵も、フンと鼻を鳴らされて、その意味を正しく理解した。そして少しばかり冷っとした。
うっかりすれば子供の姿に戻っていたかも知れないのだ。だからローゼンベルク侯爵も、神龍にそれ以上は何も言わなかった。
そして執事アルバートに促されて、最後に館に入った。 本来は自分のものである館に。
「セドリック、そう畏まるな。お前は娘婿。今でも俺の息子だと思っている。せっかく若返ったのだ。もう一度我が眷属から嫁でも娶ればよい」
ローゼンベルク侯爵は苦笑して何も言わずに席に着いた。この舅殿の気性はよく知っている。ローゼンベルク侯爵家はヴァレンティア公爵家の縁戚にあたり、長く結縁で結びついていたのだ。
よく分からないが。2人は仲直りしたらしい。一同の興味はリリアーヌが見つけた箱の中身に集中した。
水の売買契約書 そしてその売買を記した帳簿 神殿の紋章が刻まれた瓶。
それらを見つめて、ヴァレンティア公爵はローゼンベルク侯爵に尋ねた。
「どこまで調べた?」
「裏に王家のものが絡んでいる。カール王子だけか、王妃も絡んでいるかは分からなかった。実務はノクス子爵家と寄り親のアークライト公爵家が担っている。その帳簿は写しで本物は見つけられなかった」
「ふむ。それでノクス子爵家の娘と結婚したのか?だが残念ながら敵の方が1枚上だったわけだ」
ヴァレンティア公爵の言葉にローゼンベルク侯爵は首を振った。
「いや、私は結婚はしていませんよ。教会と役所には婚姻無効の事前届けを出している。私の許可なく、婚姻届けは受理できない。いまだに未受理のまま保管されている筈だ」
一同は驚愕した。結婚式を挙げておいて結婚していないとは誰も思いもしないだろう。ある意味えげつない方法だが。
「それではエリーゼは庶子ということになるのか?」
気を取り直してヴァレンティア公爵が尋ねた。
「いや、エリーゼは俺の子供ではない。アークライト公爵の子だ。私と結婚した時には、既に腹に子が宿っていた。確かだよ。私の異能は真贋だ。魔力を見る事が出来る。結婚式を挙げた時、マリーの腹には別の魔力が宿っていたからな」
一同は納得した。それでは婚姻無効の届を出すはずだ。誰も自分の館を、カッコウの巣にするつもりにはなれないだろう。
次々と現れる新事実にリリアーヌは混乱した。
「これでは私の復讐計画は、全く使えないわ」
思わずそう呟くと、ローゼンベルク侯爵が優しく尋ねた。
「リリアーヌ。お前はどんな計画を立てたのだね」
「お父様。申し訳ありません。私はお父様がもう復帰できないと思い込んだので、ローゼンベルク侯爵家共々、義母と義妹を始末するつもりだったのです」
一同は黙って続きを促した。リリアーヌいちばんの被害者だから、復讐を計画する権利がある。
「私は王子妃選定の茶会で、お祖父様の養女となり、ヴァレンティア公爵家公女として参加するつもりだったのです。そうすればいつものようにエリーゼが私を虐めようとして自滅します」
「そうなれば紅薔薇の祭壇が開かれる筈。紅薔薇の祭壇にエリーゼが引き出されたら……」
「なるほどな。当然マリーはローゼンベルク侯爵家の爵位と領地を返上しても、エリーゼを救おうとするはず。そして祭壇には、自分が身代わりになる」
ローゼンベルク侯爵は、娘の言葉を引き取って続きを話した。
「はい、そうです。義母が精神操作の固有魔法を持っているらしいことは知っています。けれどもしょせん子爵家の娘。鞭を3回も受ければ死亡するはず」
「なるほどね。残りの鞭をエリーゼが受けて、マリーとエリーゼが死亡してローゼンベルク家も滅亡するシナリオか。考えたものだね」
一同は驚嘆した。リリアーヌがここまで冷酷な作戦を立てているとは知らなかったのだ。
紅薔薇の祭壇とは、その美しい言葉とは裏腹に、惨い処刑方法だ。 真っ白な大理石の広場がその処刑場になる。
少しばかりくぼみのあるその場所に、足首が浸かるほどの清水が張られる。罪人はそこで鞭を受けるのだ。罪人の血で真っ赤に染まったその水は、処刑後に噴水となって広場を彩る。
処刑は必ず夕刻に行われる。真っ赤に染まった噴水の水が、夕日に映えてさらに美しく輝く。やがて水の色は赤からピンクにそして透明にと変化する。
夕日に染まる噴水の変化にとんだ水の色。 息を呑むほど美しいそれは、その前の鞭の光景が陰惨であるほど映えるのだ。
「けれど、もうこの方法は使えません。ローゼンベルク侯爵家を滅亡させる訳にはいかないし、庶子とはいえ公爵家の娘なら、エリーゼも数回の鞭なら耐えきるはずです」
リリアーヌは過去を思い出した。王家の血は10回の鞭に耐え抜いた。 歯噛みをするほど悔しい。この計画は完璧だと思っていたのに。
「ふむ。だがその計画、一部分は使えそうだがな」
ヴァレンティア公爵はそう言った。 一同は驚いてヴァレンティア公爵を見つめた。
「ローゼンベルク侯爵夫人と侯爵令嬢は偽物な訳だ。結婚していないのだから。それならその茶会で本物のローゼンベルク侯爵夫妻とその娘が現れればどうなると思う。当然処刑されるだろう」
「しかし、私に妻はいません。ローゼンベルク侯爵夫人は存在しないし。王家をたばかれば罪を償うのはこちらになる」
「私が養女にするのは、セーラ・フォン・バート子爵令嬢だよ。ずっとリリアーヌを守った令嬢だ。セドリック否とは言わせぬよ。罰を受けると言ったのだからな」
「そんな!なりません。公爵閣下。私が公女になるなどあってはならない事です。そのうえ侯爵夫人になるなんて」
大急ぎでセーラが異議を唱えた。このままでは本当になりかねないと思ったのだ。
「セーラ。確かに私は随分年上だから、嫌われても仕方がないが。そんなに無理な願いだろうか。私はきっと良い夫になるよ」
ローゼンベルク侯爵は優しい眼差しでセーラを見つめた。この少女がひとりで娘を守ってきたことは知っている。優しく気立ての良い娘なのだ。
「セーラ。私のお母様になるのは嫌なの?せっかく家族に成れると思ったのに」
うるうると目を潤ませてリリアーヌは言う。 リリアーヌはよく知っていた。セーラが自分のお願いを断れないことを。
はたしてセーラは絶句してしまった。 実のところローゼンベルク侯爵セドリックは、セーラの初恋だ。 誠実で誰にでも公平に接する。それに白銀の髪色も青い瞳もとても綺麗だ。
セーラの顔がどんどんと赤くなって、最後には恥ずかしそうにうつむいてしまった。
リリアーヌも納得した。自分の計画は使えないけれど、セーラとお父様が幸せになるなら、その方がいい。復讐は別の方法を考えればよい。
「きまりじゃ。すぐに手続きをしよう。明日はヴァレンティア公爵城に戻る。結婚式は1週間後。それまでにすべての手配を済ませよう。王家からの茶会の招待状も手に入れなければならぬし、セーラとリリアーヌのドレスも必要だ。忙しくなるぞ」
ヴァレンティア公爵は張りきっているが、これで確実に処分出来るのはマリー偽侯爵夫人だけだとリリアーヌは思った。
「お祖父さま。もしもアークライト公爵が公式にエリーゼを娘と認めたら、エリーゼの処分は難しくなるでしょう。エリーゼは自分が庶子とは知らなかったし罪に問えないのでは?」
「リリアーヌ。一度に処分しては楽しみが無くなるではないか。今回は不意打ちで勝てるが、相手はアークライト公爵家だけではない。カール王子が後ろにいる。長く険しい戦いになるのは最初から分かっていたことだ。心配するな。おじいちゃまがついているのだ」
「そして私もね。リリアーヌにとっては不甲斐ない父だろうけれど」 優しくローゼンベルク侯爵がほほ笑んだ。 父はいつの間にかセーラを抱え込んでいて、セーラの頬は朱に染まっている。
ニルヴァがリリアーヌを抱きしめてそっと耳元でささやいた。
「大丈夫、なんなら国ごと滅ぼしてやるから」
リリアーヌは慌ててニルヴァを睨んだ。何を言い出すのだこの龍は!
ニルヴァはクスクスと笑った。
「冗談だよ。俺のお姫様。安心させたかっただけ」
「安心するどころか、心配になったわ。良いこと。国を亡ぼすのは無しだからね」
「分かった。国を亡ぼすのは無しだ。だからご褒美を頂戴。俺のお姫様」
そう言ってニルヴァは自分の庵に転移したし、ローゼンベルク侯爵もいそいそとセーラを自分の寝室に連れていったから、残ったのはヴァレンティア公爵だけになった。
アルバートが尋ねた。
「公爵閣下。お酒をお持ちしましょうか」
「嫌、俺はもう寝る」ぶっきらぼうにそう言って公爵は客室に戻ってしまった。
それを黙って執事アルバートは見送っていた。




