魂の半身
ドタドタと、到底侯爵家の侍女とは思えぬ音をたてながら、大きな麻の袋を抱えてセーラが駆け込んできた。
そしてリリアーヌに挨拶もしないでその麻袋をリリアーヌのベッドの下に押し込んだ。それからやっとリリアーヌの顔を見た。
セーラはゼイゼイと荒い息をしたまま、必死に訴えた。
「お嬢様。エリーゼが侍女長と護衛を従えてこちらにやってきます」
セーラの顔は真っ赤だったし、息もまだ荒い。
「セーラ。洗面所で顔を洗って来なさい。
そして息が整ったら、玄関まで行って侍女長をお出迎えするのよ」
「決して逆らわないで。この後の事は心配しないで。
貴方が必死で食料を運んでくれたから、私は飢えないですむわ。さぁ、行きなさい」
セーラはこくりと頷くと、すぐに洗面所からバシャバシャと水の跳ねる音が聞こえてきた。
それを聞いてリリアーヌの口元は綻んだ。いつも礼儀に煩いセーラが、リリアーヌの為に礼儀などかなぐり捨てている。
リリアーヌは、小さく呟いた。
「ありがとうセーラ。貴方を今世で死なせたりはしないわ。私はこのローゼンベルク家も、王子も必ず滅ぼしてあげるから。きっとセーラ、貴方の恩に報いてあげる」
「そのためにも、今は従順で臆病な愚かな娘を装うしかないわ。
貴方たちが破滅する時、きっと気がつかないはずだよ。私が何を企んだかなんてね。
王家の血筋を怒らせたら、何が起きるか見ているといいわ、セーラの仇は私が討ってみせるから」
最後の言葉は、とても低く大地から湧き出るような声だったので、セーラですらその声がリリアーヌの口から出たとは思えなかっただろう。
幸いにして誰にも聞かれはしなかったが。
ただ一つ分かっているのはリリアーヌを本気で怒らせたと言う事だ。
温厚で平穏を好むリリアーヌが怒ることは無かった。
いつも困った顔をするだけだったのだ。
セーラが玄関に着くころには、エリーゼの一行が到着していた。
エリーゼはにんまりと笑うとセーラに命じた。
「あなたは、本館に戻るのよ。この館は結界を張って封印します。
お義姉さまが、きちんとひとりで自分の罪を自覚できるようにね」
セーラは思わず跪いて慈悲を乞うた。
「お許し下さい。この館には食料がございません。
封印されたらお嬢様は何を召し上がれば良いのでしょう?」
「それにたったお一人でこの離れにいるのは、きっと心細いはず。
せめて私も一緒にいさせて下さい」
エリーゼがとても情け深そうな顔をした。いつも人を陥れる時の顔だ。
「ねぇ、お前。それならこの館を出ていきなさい。主に歯向かう使用人などに用はないのよ。
けれども私は親切だからね。お前を本館で雇ってやっても良いと言っているの」
そうしてにやりと笑い、持っていた扇をパチリと締めた。
セーラはぞっとした。エリーゼはセーラが残ったら、きっと酷く虐めるだろう。出て行った方が安全なのだ。
けれどセーラはグッと自分の手をきつく握りしめて、お礼を言った。
「ありがとうございます。エリーゼさま。私は本館で誠心誠意エリーゼさまにお仕えします」
エリーゼは扇でセーラの顔を持ち上げた。セーラが顔を上げると、その扇がセーラの顔を強打した。
頑丈な木の枠がひしゃげ、扇がバラバラになった。
セーラはすさまじい痛みに一瞬意識が飛んでしまったが、それでも平伏することで恭順の意を示した。
セーラが何の反応も示さないのでエリーゼはつまらなくなった。
「さっさと結界石を起動させなさい。帰るわよ」
「エリーゼお嬢様、リリアーヌにはお会いにならないので?」
侍女長が驚いたように尋ねた。
いつものようにエリーゼがリリアーヌをねちねちと虐めると思ったのだ。
「必要ないわ。どうするかしらね?お義姉さまは。
いつまで待っても食事が届かないと分かったら?」
エリーゼはセーラに何も教えないことで、セーラを精神的に追い詰めるつもりだ。今回の罰は10日間の幽閉だ。だがセーラはそれを知らない。
飢えながら救助がいつ来るかも分からない。
もしかしたらこのままここで餓死すると思うかも知れない。
それはきっと地獄の苦しみだろう。
侍女長の背中が氷でも入れられたようにゾゾと冷えた。
その寒気を振り払うように身震いをして黙ってエリーゼに付き従うのだった。
エリーゼ達が消えた気配にリリアーヌは深くため息をついた。
どうせ外に出られないのならば、この10日間は、じっくりと復讐の策を練れば良いのだ。
1年後、表向きは神龍の生贄として、リリアーヌはあの青龍湖に沈められる。
いくら悪役令嬢などとはやし立てたところで、たかが貴族の娘の虐めを罰する法は存在しない。
けれどもこのところは渇水が続いている。民は疲弊し怨嗟の声が王宮に届き始めた。
そこで王妃がリリアーヌに目を付けた。
王妃とリリアーヌの母は最期まで王妃の座を争った。
最後はリリアーヌの母は、王家に血が近すぎるとの理由で、今の王妃が選ばれた。
その事を王妃は決して忘れていない。
血が近すぎる。そんな理由。納得できなかったのだろう。
つまりは人柄も能力もリリアーヌの母の方が勝っていると言ったも同然だったから。
だからリリアーヌは今でも疑っている。リリアーヌの母の死は本当に病死だったのだろうか?
ともかく素行の悪いと評判のリリアーヌを、神龍の生贄にすると決めたのは王妃だった。
生贄ならばそのまま湖にでも落とせばよいものを、リリアーヌはエリーゼを怒らせてしまった。だからあのような惨い死にざまだったのだ。
リリアーヌに悪気は無かった。
ライラの実は美容に良い。お肌が、しっとりと潤い美肌になる。
けれども小さな木の実が1つで1金貨もするのだから食べる事が出来る人は限られる。
それを知ったエリーゼが、王宮から下賜されたライラの実を、一度に全部食べてしまったのだ。
それをリリアーヌが注意した。食べ過ぎれば逆に毒になると。
エリーゼはリリアーヌを馬鹿にした。
「お義姉さまはライラの実が欲しくて、そんな意地悪を言うのね。
お可哀想に、そんなに欲しければ、お義姉さまも恋人を作ればよろしいのに。
カール王子さまのような、素敵な恋人をね」
その後エリーゼは、激しい下痢と嘔吐に苦しめられた。
その時に叫んだのだ。
「リリアーヌお義姉さまが、毒を盛ったのよ」
そうして生贄の儀式は、凄惨な殺人現場に変わってしまった。
リリアーヌはもう一度、うんざりするようにため息をついた。
外の結界はご丁寧にも周囲が見えないように深い霧を発生させている。
だから昼間でも薄暗く太陽も、月の光も届かない。
外を見ても今が昼だか夜だか分からないのだ。
薄闇に閉じ込めて時間の経過も分からない。
食べ物も無い。
前世ではリリアーヌが助け出された時には、死人のようになっていた。
誰にも反応せず心を閉ざしてしまったのだ。
それを毎日、根気よくリリアーヌの傍に付き添って回復させたのがセーラだ。
リリアーヌはだからセーラに何かあると激怒してしまうのだ。
リリアーヌは麻袋を引っ張りだした。
セーラは余程急いだのだろう。
雑多なものを、とにかく詰めるだけ詰め込んだ。という様相になっている。
リリアーヌは麻袋を浮遊の魔法で浮かべると、1階に下りていく。
元は書庫だから大きな机もあった。
そこでまずは食べ物を分類しようと思ったのだ。
ついでに湯でも沸かそう。お茶が入っていたらお茶が飲めるかも知れない。
ランプを灯しても闇を払うのはランプの周囲だけだ。
薄闇にぼんやりとランプが光る。
その時カサリと音がした。
リリアーヌは人の気配に身を固くする。
まさか。まさか。エリーゼはこの結界の中に男を潜ませたのか?
いくら何でもそこまで酷い事が出来るはずは無い。
リリアーヌはいざという時の為に魔法を練り始めた。
相手が騎士ならば。戦い慣れないリリアーヌでは歯が立たないかも知れない。
けれどもリリアーヌは、この運命に立ち向かうと決めたのだ。
そして放ったライトの魔法。
部屋は昼間のように明るくなり。そして確かに男がそこに立っていた。
リリアーヌは男から目を離せなかった。
美しく妖艶で、しかし身体中で自分は支配者だと主張している男。
青い髪、青い瞳、着ている服まで青い。
壮絶な魔力の圧がリリアーヌにこの男がただものではないと告げている。
男は嬉しそうに目を細めた。
「俺の番は、なかなか気が強いらしい。この間はまるで精霊のようにはかなげだったのに」
そうして何の遠慮も無く自然にリリアーヌに近づいた。
リリアーヌはなぜか動けなかった。
視線がその男に吸い寄せられてそのまま逸らすことも出来ない。
男の手がリリアーヌの頬を撫でる。
まるでこの世で最も大切な宝を見つけたみたいな顔で。
リリアーヌがハクハクと息が出来なくなって来た。
嫌な気持ちはしないし、恐れも無かった。
けれども固定された視線や体が、助けを求めるように喘いでいる。
男はふわっと笑った。まるで大丈夫だとでも言うように。
そしてそっと抱き上げて、リリアーヌを自分の膝に座らせてしまった。
その途端ぐらりと視界が揺らいだ。
リリアーヌが気がついた時には、そこはあの古びた館ではなかった。
美しい宮殿の中にリリアーヌはいたのだ。
長椅子にゆったり座る男の膝の上に。
リリアーヌは全身の力を振り絞って男を両手で押しのけた。
するとどうだろう。
男は怒るどころか分かっているよと言わんばかりに、リリアーヌを長椅子に座らせると、自分はその隣の椅子に移動した。
男が離れると、ようやくリリアーヌも息がつけるようになった。
けれども男が離れると、途端に何か大切なものを失った気分に襲われた。
まるで自分の魂の半分をもぎ取られたような気分だ。
リリアーヌがすがるように男を見ると、男はそっとリリアーヌの頭を撫でて言った。
「大丈夫だよ。安心して。もう君をひとりにはしないからね。
だから先ずは食事にしよう。
リリアーヌ。美しいね。リリーと呼んでもいい?」
「貴方は?」
リリアーヌはそれには答えずに聞いた。
「俺は蒼天の王、神龍ニルヴァ。君の番なんだよ。
もう番の印は君に与えているから、リリーはもう全部分かるはずなんだよ」
リリアーヌは分かってしまった。
この龍はあの前世で番の印である逆鱗をリリアーヌにくれたのだろう。
王家の血筋だから魔力量が多かったけれど、魔法は習った事がない。
魔法書を読み込んだだけだ。
なのに今世では、いとも簡単に魔法の練り方が分かってしまった。
つまりそれは龍の庇護があったからなのだろう。
「ニルヴァ」
リリーがそう言っただけでこの神とも言われる龍の耳が赤らんだ。
「俺の事はニルと呼んでリリー」
懇願するような瞳で神龍は言った。
「ええ、ニル。私もリリーと呼んでいいわよ」
「もう呼んでいるよリリー」
そう言ってニルヴァはそっとリリアーヌにキスをした。
二人は自分の半身が見つかった事を知った。
魂の欠けていた部分がすっかり満ちてしまって、心が深いところで満たされていく。
蝋燭の炎がゆれて微かに蝋の匂いが漂っている。
「ニル。大変だわ。セーラがエリーゼの所にいるの。
きっと酷いいじめにあっているわ」
リリアーヌはハッとしたようにニルヴァに言った。
ニルはほんの少し不機嫌になった。番が自分以外を気に掛けるなんて!
けれどもリリアーヌの必死な瞳を見ると諦めた。
「龍の加護をセーラに与える。
人間ごときがセーラに傷をつける事はもうできない。
それでいい?ここは俺の巣だから、番以外は入れたくないんだ」
ニルヴァは少し悲しげに言った。
「怪我をしていても治る?」
「もちろん。もうすっかり良くなっているよ。だから、ねぇリリー俺だけを見て」
リリアーヌは笑って、今度は自分からキスをした。




