第六十二話 原初の痕跡
握りつぶされた手記の破片が、ルシアンの指の間からハラハラと床へ落ちる。
「原初の宿主……世界を創り、僕たちを弄ぶ元凶……」
ルシアンの呟きは、廃墟と化した実験室の静寂に重く沈んでいった。
転生という不条理の真相。教団の非人道的な拷問も、過剰修復という呪いも、すべてはその「始まりの存在」が描いた歪んだシナリオの掌上に過ぎなかったという事実。
だが、ルシアンの胸を満たしたのは絶望ではなく、脳髄を焼き尽くすほどの獰猛な歓喜だった。
倒すべき標的が、教団という矮小な組織から「世界そのものの理」へと昇華したに過ぎない。
「ルシアン……」
ルーシーが不安げに彼の顔を見上げる。その華奢な体が、空間に満ちる異様な気配に微かに震えていた。
「大丈夫だ、ルーシー。……どれほど巨大な存在だろうと、僕たちの苦痛を糧にしたものなら、そのすべてを自傷の代償として叩き返してやる」
ルシアンは床に散らばる硝子片を踏み越え、円形実験室の最奥へと歩みを進めた。
そこには、他の培養槽とは明らかに一線を画す、巨大な黒い石柱がそびえ立っていた。
石柱の表面には、教団の技術でも、人間の言語でもない、狂気的な幾何学模様が刻み込まれている。
近づくだけで、ルシアンの胸腔に眠る「傲慢」の因子が狂ったように跳ね上がり、ルーシーの「怠惰」の波動すら貫いて、肉体を内側から突き破らんばかりに蠢動し始めた。
——ガチ……ガチガチッ……!
右腕の皮膚が裂け、赤黒い肉芽が石柱へ向かって吸い寄せられるように伸びていく。
「これは……教団が作ったものじゃない。……『それ』が残した痕跡か」
石柱の根本には、錆びついた金属の銘板が打ち付けられていた。
そこには、教団の最初期の研究者が遺したと思われる、血のような赤墨で乱暴に書き殴られた文字があった。
『警告:これより先、神域につき侵入を禁ず。我らが抽出した七つの大罪の因子は、ただの落とし子に過ぎない。深淵の底に眠る【原初】は、世界の理そのものを書き換える』
石柱の背後、暗闇の奥底から、ドクン……ドクン……と、大地そのものが脈打つような巨大な鼓動が響いてくる。
その鼓動が伝わるたび、ルシアンの脳裏に、ヴァルターがかつて残した言葉の続きが蘇った。
(選べ、ゼロワン)
過去の記憶の中、若き日のヴァルターは冷たい瞳でルシアンを見下ろしていた。
(教団の犬となって大罪の因子に飲み込まれるか。……それとも、世界の歪みそのものを叩き潰す絶対の力を手にするか)
(……お前は……どうするつもりだ……ヴァルター……)
ルシアンの問いに、ヴァルターは吐き棄てるように答えた。
(俺は『純化』する。因子も、教団も、神が創りたもうたこの狂った世界も……すべてを圧倒的な暴力で無に還す。……だが、もしお前が生き残り、俺の域に達したなら……その時は『創世の根源』へ向かえ)
「……ヴァルター。お前は教団を潰し、僕に倒されることで、最初からこの道を示していたのか」
ルシアンは嘲笑するように唇を歪めた。
あの絶対の暴力で世界を清算しようとした男の最後のアドバイス。
「いいだろう。お前の残した道を踏み越えて、僕たちがその『原初』を引きずり下ろしてやる」
ルシアンは右手に自らの爪を深々と立て、溢れ出る血とともに石柱へとその手を叩きつけた——。




