第四十九話 破滅の痕跡
地下室に漂う焦臭い肉の匂いと、静寂。
ルシアンは膝をついたまま、血に濡れた自らの掌を見つめていた。
大罪の実験者を単独で引き裂き、討伐した。
だが、胸の内に芽生えるのは達成感でも優越感でもない。ただ激痛の余韻が去った後の、恐ろしいほどの空虚さだけだった。
「……ハッ、ぁ……っ」
首筋と脇腹の裂傷が、過剰修復の芽によって強引に塞がれていく。
引き攣るような肉の痛みが脳を刺すが、ルシアンの表情に変化はない。自傷と再生によってかろうじて形を保つその肉体は、すでに人間としての境界をあいまいにしていた。
ふと視線を向けると、鉄鎖の陰から「試作型」の少女がゆっくりと歩み寄ってきていた。
四肢の刻印と傷痕。ルシアンという過酷な完成形に行き着く前に捨てられた、あまりにも歪な欠陥品。
少女はルシアンの前にひざまずくと、血まみれの服の裾にそっと小さな手を触れさせた。
『……どこへ……行くの……?』
光を失った瞳。感情の死に絶えた、掠れた声。
ルシアンはその手を振り払おうとし——だが、体に力が入らず、ただ冷ややかに少女を見下ろした。
「……僕に関わるな」
「……絆」も「温もり」も、自分を弱らせるだけの毒だ。
誰かを救う気など毛頭ない。この少女を連れて歩く理由など、どこにも存在しないはずだった。
「行く場所などない。僕はただ、教団も、この狂った世界も……すべてを壊し尽くすだけだ」
『……じゃあ……わたしも……いく……』
少女は拒絶の言葉を理解していないのか、あるいは最初から生きる目的を持たないのか、感情のない顔のままルシアンの裾を握りしめ直した。
助けを求める目ではない。依存する目でもない。ただそこに「壊れたもの同士」として存在するだけの不気味な静寂。
ルシアンは冷酷な吐息を漏らし、立ち上がった。
追いやる気力すら惜しい。勝手についてきて野垂れ死ぬなら、それまでだ。
二人が無人の要塞都市グラン・ゼルを後にしようとしたその時、要塞の外縁部から、怯えきった足音が近づいてきた。
現れたのは、ボロボロの鎧を纏った『黒の天秤』の残党——数名の傭兵たちだった。
「ひっ……! ル、ルシアン……!? 」
傭兵たちはルシアンと、その背後に立つ少女の姿を見て、恐怖に顔を歪めた。
彼らの装備は焼け焦げ、尋常ではない混乱の中で命からがら逃げ延びてきたことが一目で分かった。
ルシアンは濁った瞳を残党に向け、低い声で問いかけた。
「……ギルバートはどうした。なぜお前たちがここにいる」
ルシアンの冷ややかな問いに、残党の一人がガチガチと歯を鳴らしながら、絶望の声を絞り出した。
「お、終わりだ……! 俺たちは最初から分かれてたんだよ……! お前と大罪の宿主をグラン・ゼルごと爆殺する部隊と、手薄になった中央都市を制圧して自分たちのものにする部隊にな……!」
「……なに?」
「だが全部失敗したんだ! 中央都市に入ったギルバート様たちは、あのヴァルターに急襲されて……完膚なきまでに叩きのめされたんだよ……ッ!」
傭兵は恐怖のあまり地面にへたり込んだ。
「ギルバート様は血の海に沈み、生き残りは散り散りだ……! 俺たちはもう、地方へ逃げるしかないんだ……っ!」
ルシアンの居ぬ間に、裏で勝手に進められ、そして潰れていた『黒の天秤』の暗躍。
そして、ギルバートを下しながらも姿を消したヴァルターの影。
ルシアンの口元に、血に塗れた冷酷な笑みがうっすらと浮かんだ。
「……そうか」
使い捨てるつもりだった連中が勝手に自滅し、ヴァルターだけが残った。
ルシアンは一切振り返ることなく、崩れかけたグラン・ゼルの門を出て、荒野へと足を踏み出していた。
その背後を、言葉を無くした「試作型」の少女が、静かな影のように足音もなくついていく——。




