第四十四話 無人の城塞
要塞都市グラン・ゼル。
かつて聖導教団が誇った東方の絶対防衛線は、不気味なほどの静寂に包まれていた。
「……ハッ、ぁ……っ」
ルシアンは「金剛の門」をくぐり、要塞の内部へと踏み込んだ。
先ほど自ら肘を折り、肉を裂いて引き出した過剰修復の熱が、体内でじわじわと冷めていく。激痛の余韻が脳を焼き、濁った瞳に映る景色を歪ませていた。
だが、どれほど歩いても、襲いかかってくる教団兵の姿はない。
見張り台も、射撃陣地も、すべてがもぬけの殻だった。
(……おかしい)
ギルバートの情報では、ここには中央大都市から逃げ延びた教団の残党や高官たちが集結しているはずだった。
しかし、ここにあるのは生活感の絶たれた冷たい石壁と、途絶えた足跡だけ。残党の立て直しなど、最初から行われていなかったのだ。
「……騙された、か」
ルシアンの口元から、冷ややかな吐息が漏れる。
ギルバートたちが偽情報を掴まされたのか、それとも最初からルシアンをこの遠方の地に隔離するための罠だったのか。いずれにせよ、ここに教団の本隊など存在しない。
その時、要塞の最奥——風穴のような地下通路の奥から、かすかな機械音と、肉が煮えるような異臭が漂ってきた。
「……ッ」
ルシアンは迷うことなく、地下へと続く石段を下り始めた。
暗がりの中、自らの指をへし折り、過剰修復の概念を研ぎ澄ます。バキリと響く関節の破壊音が、無人の要塞に空しくこだました。
階段を降り切った先に広がっていたのは、教団の白磁の美徳とはかけ離れた、禍々しい鉄とガラスの実験室だった。
怪しい薬品の満ちた大型の培養槽。打ち捨てられた術式陣。
ここは、教団の「闇の実験派」が極秘裏に管理していた、非合法の実験施設だったのだ。
そして、施設の広場の中央。
無数の鉄鎖で天井から吊るされ、ピクリとも動かない「何か」がルシアンの視界に入った。
それは、白銀の髪を血と汚れで泥みませ、ぼろきれのような拘束具を纏った一人の少女だった。
ルシアンの足が止まる。
その少女の全身には、ルシアンの皮膚にあるものと酷似した、痛々しい術式の刻印と、過剰な自傷と修復を繰り返した痕跡——「失敗作」としての烙印が刻み込まれていた。
「……誰だ」
ルシアンの低い声に反応するように、拘束された少女がゆるやかに顔を上げた。
光を完全に失った、ガラス玉のような瞳がルシアンを捉える。
『……新しい……お掃除係……?』
少女のかすれた声が、地下室の冷気に溶けていった。




