第三十九話 断絶の頂
白磁の大理石に刻まれた壮麗な意匠は、いまや砕け散り、こびりついた血煙で黒く変色していた。
地下通路を抜け、教団の本拠地・大聖堂の真下に位置する『儀式の間』へと続く回廊。ルシアンの足元からは、凄惨な肉の接合音と血の滴る音が絶え間なく響いている。
「……ハッ、ぐ、あ……ッ」
胸骨は三度粉砕され、左の鎖骨は完全に肉から飛び出していた。
だが、その傷がふさがりかけるたび、ルシアンは自らの爪を傷口に突き立て、強引に壊し直す。
(ぬるい……痛みが薄れる……)
痛みが薄れれば、思考が戻る。思考が戻れば、レヴィアの惨劇やガルドの最期、取り戻せない日常の温もりが脳裏を苛む。
だから壊す。激痛で脳を焼き続け、己をただの「殺戮の兵器」として塗り潰す。
回廊の奥、金箔で飾られた重厚な大門の前には、もはや教団の一般兵の姿はなかった。
代わりに立ち塞がっていたのは、聖導教団の最精鋭——白銀の重甲冑に身を包んだ『聖導騎士団・親衛隊』の残勢と、紫の法衣を纏う高位審問官たちだった。
「ここまで……たった一人の実験体に、我が教団の防衛網が破られるとはな」
高位審問官の老人が、震える手で聖杖を構える。その瞳にあるのは、もはや神への信仰ではなく、目の前に立つ怪物への純粋な『恐怖』だった。
「不滅の肉体……『我が至高なる存在』の因子か。だが、どれほど再生しようと、痛覚と精神までは無効化できまい。お前はただ、己の狂気に焼き尽くされているだけだ!」
「……喋るな」
ルシアンの掠れた声が回廊に落ちる。
「教団の教義も……お前たちの言い訳も……僕にはどうでもいい」
ルシアンは右手の指を一本ずつ、自らの左手で噛み砕いた。
バキ、ボキ、と不気味な破砕音が響き、体内で煮えたぎる過剰修復の血流が爆発的に全身を巡る。極限の自傷によって引き出された【傲慢】の圧線が、周囲の大理石に亀裂を走らせた。
「ひ……ヒッ……! 自ら指を噛みちぎって……!?」
「構えろ! 撃て! 聖光陣を展開——」
「消えろ」
地面が爆ぜた。
射出された熱線や魔導の光を、ルシアンは一切避けない。胸を撃ち抜かれ、腹を削り取られながらも、過剰修復の奔流で強引に肉体を前へ押し出す。
ドォンッ!!
親衛隊長の胸甲へと突っ込み、折れた自らの腕の骨をそのまま相手の首根っこへ突き刺す。鮮血が吹き出し、審問官たちの法衣を赤く染めた。
「化け物……化け物だッ!」
「助けてくれ、神よ……ッ!」
絶叫、悲鳴、そして肉と骨が破砕される音。
『黒の天秤』が仕掛けた陽動テロにより、教団の中枢は完全に孤立していた。そしてその隙を突き、たった一人で侵入した怪物が、聖域の最深部を地獄へと変えていく。
ルシアンは血の海の中に佇み、原型を留めない審問官の死体から足を引き抜いた。
(……これで、最深部への扉が開く)
目の前にそびえる大門の先。そこは教団の枢機卿や、己をこんな体に仕立て上げた元凶たちが潜む聖堂の中枢。
誰も救わない。誰とも繋がらない。
『黒の天秤』に利用され、自らも組織を利用し、ただ全てを破壊するためだけに動く兵器。
ルシアンは壊れた指を強引に噛み直すと、血塗られた手で重厚な大門へと手をかけた。




