第三話 偽りの温もり
「大丈夫? ひどい返り血だけど……怪我はない?」
銀髪の少女は、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
差し出された華奢な手を、僕は呆然と見つめる。
前世を含めても、こんなにも美しい少女に話しかけられたことなんてなかった。
彼女の名はエレナ。この樹海の先にある小さな開拓村で、狩人として暮らしているらしい。
「怪我は……ないよ。ただ、ちょっと疲れちゃって」
声がかすれていた。僕の全身を包む血は、さっき食いちぎられた自分の血と、内側から弾け飛んだ魔物の血だ。けれど、修復された今の体には傷ひとつ残っていない。
エレナは不気味がる様子も見せず、優しく微笑んだ。
「よかった。あの魔物は『食肉鬼(ルビ:グラットン)』って呼ばれてて、プロの冒険者でも手こずる奴なの。一人で倒すなんて、君、本当はすごい剣士だったりするの?」
「ううん、僕は……ただの運がよかっただけの人間だよ」
嘘をついた。自分が『七つの大罪』の『傲慢』だなんて、口が裂けても言えない。
死なないだけの怪物だと知られたら、彼女もきっと、あの刺客のように蔑み、恐れるに違いないから。
エレナは僕の手を引いて立たせてくれた。
彼女の手はほんのりと温かく、さっきまで脳を焼き切っていた強烈な激痛と殺伐とした記憶を、少しだけ和らげてくれる気がした。
「一人で歩くのは危険だから、私の村においでよ。温かいスープくらいならご馳走できるから」
その温かい言葉に、僕の目頭が熱くなった。
絶望と激痛だけのこの世界で、初めて出会った人間の優しさ。
僕は静かに頷き、彼女の後に続いて歩き始めた。
——だが、それが間違いだった。
エレナに案内されて辿り着いた村は、静まり返っていた。
夕闇が迫る時間帯だというのに、家に明かりは点いておらず、煙突から煙も上がっていない。
「おかしいな……みんな、どこに行っちゃったんだろう」
エレナが首をかしげ、村の中央にある広場へと足を進める。
僕も嫌な予感を抱きながら、彼女の背中を追った。
広場に一歩足を踏み入れた瞬間、強烈な鉄の臭いが鼻を突いた。
「な……に、これ……」
エレナの声が震えていた。
広場の中央には、村人たちの死体が小山のように積み上げられていた。
ただの死体ではない。全員の腹が裂かれ、内臓がえぐり取られ、まるで何かに喰い荒らされたかのように骨と肉が散乱している。
「嘘……お父さん……お母さん……っ!?」
エレナが弓を落とし、膝から崩れ落ちた。
叫び声、悲鳴、そして絶望。
さっきまで明るかった彼女の瞳から、一瞬で光が失われていく。
「やあやあ、見つかっちゃったかな?」
死体の山のてっぺんから、楽しげな声が降りてきた。
そこに座っていたのは、血塗れの大きなスプーンを手にした小さな少年だった。
見た目は十歳程度の愛らしい子供。だが、その瞳は爛々と濁り、口元は村人たちの血と肉で真っ赤に汚れていた。
「せっかくの晩餐だったのに、邪魔が入っちゃったな。でもいいや、お代わりが来たみたいだし!」
少年が邪悪な笑みを浮かべた瞬間、背中にぞっとするような圧迫感が走った。
あれは、人間じゃない。
あの圧倒的な存在感、歪んだ狂気——僕と同じ、『七つの大罪』のひとり。
【暴食】。
「ひっ……いや、いやぁぁぁぁぁッ!」
エレナが狂ったように叫び、逃げ出そうとした。
だが、少年の姿が空中から消えたかと思うと、次の瞬間にはエレナの目の前に現れていた。
「まずは、柔らかそうな女の子から——いただきます!」
「やめろぉぉぉぉぉぉッ!!!!」
僕は叫び、エレナのもとへ走り出した。
だが、間に合わない。
幼い少年の小さな手が、エレナの胸元へと容易く突き刺さった。
肉が裂け、骨が砕ける生々しい音が響く。
「が、は……っ」
エレナの口から大量の血が溢れ出た。
彼女の綺麗な紫色の瞳が、僕を見つめたまま空洞になっていく。
少年は嬉しそうに笑いながら、彼女の胸から赤く脈打つ心臓を素手で引き抜いた。
「あぐっ、うーん! フレッシュで美味しい!」
ボタボタと血を滴らせながら、少女の命だったものを一口で噛み砕く少年。
「あ……あ……」
僕の目の前で、温もりをくれたはずのエレナが、ただの冷たい肉塊となって崩れ落ちた。
まただ。また、僕の目の前で、大切な誰かが惨殺された。
何もできなかった。前世の倫理観も、今の『傲慢』の力も、目の前の理不尽な死を止めることなんて何一つできなかった。
「次は君の番だよ、お兄さん!」
『暴食』の少年が、血に濡れた顔で僕に向かって飛びかかってくる。
僕の心の中で、何かが完全にパチンと音を立てて弾け飛んだ。




