第三十五話 取引の対価
第4区画での凄惨な解体劇から数時間後。
『黒の天秤』の兵器庫に帰還したルシアンを待っていたのは、静まり返った構成員たちの恐れを孕んだ視線だった。
全身を血と硝煙で黒く染め上げ、歩くたびに壊れた骨が接合する嫌な音を響かせるルシアン。
構成員たちは言葉を失い、あからさまに道をあける。かつてレヴィアで感じた「仲間」の温もりなど、ここには一切存在しない。だが、その徹底的な排斥と冷遇こそが、今のルシアンには心地よかった。
「……見事な戦いぶりだったぞ、ルシアン」
鉄格子のあてがわれた部屋の前で待っていたギルバートが、ニヤリと下品な笑みを浮かべた。
その手には、厳重に封緘された羊皮紙の書簡が握られている。
「教団の補給隊を壊滅させ、奪った魔導物資は我が『黒の天秤』の数ヶ月分の戦力になる。……約束通り、お前が『極上の兵器』であることは証明された」
「……戯言はいい」
ルシアンは血の混じった唾を床に吐き捨て、冷ややかな瞳でギルバートを睨みつける。
「教団の中枢……ヴァルターたちのいる地上へのルートと情報を出せ。約束のはずだ」
「焦るな。対価に見合う情報だ、今渡してやる」
ギルバートは羊皮紙をルシアンに投げ渡した。
ルシアンがそれを受け取り、封を破って目を通すと、そこには中央大都市の地下に張り巡らされた旧時代の排気坑路と、教団の聖堂地下へ直接侵入するための「裏ルート」が記されていた。
さらに、そこには教団の現在の動向も記されている。
「……教団の防衛線が強化されているな。異端審問官の増員か」
「ああ。レヴィアでの失態を受け、聖堂周辺の警戒は過去最高レベルだ。正面から乗り込めばどれだけ不滅の肉体を持っていようが、永久封印の魔導陣で固められて終わりだな」
ギルバートは壁に背を預け、隻眼をギラリと光らせた。
「だからこそ、お前と俺たちの利害が一致する。我が『黒の天秤』は3日後、中央大都市の東区画で大規模な爆破テロを仕掛ける。教団の戦力をそちらへ引きつける『陽動』だ」
「……僕にその隙をついて地上へ侵入しろと?」
「そうだ。お前が教団の本拠地で暴れ回れば、教団の指揮系統は崩壊する。その隙に俺たちは地下から都市の主要施設を占領する。……お前は復讐を果たし、俺たちは都市を奪う。完璧なギブ・アンド・テイクだろ?」
ギルバートの提案は、一見すると合理的な作戦に見えた。
だが、ルシアンには分かっていた。この作戦の本質は、「ルシアンという最悪の怪物を教団の本拠地に放ち、教団の目を完全にルシアン一人へ釘付けにするための人間爆弾」として利用することだ。
ルシアンが地獄の渦中でどれだけ切り刻まれようが、ギルバートたちにとってはどうでもいい。むしろ生き残られるより、教団と相打ちになって消えてくれた方が都合がいいとすら思っているだろう。
(……くっ、ふふ……)
ルシアンの喉から、かすれた嘲笑が漏れ出た。
「いいぞ。その提案に乗ってやる」
「ほう……捨てるような命なら惜しくはない、か?」
「勘違いするな」
ルシアンは自らの右手首を掴み、ゴキリ、と躊躇なく捻り折った。
湧き上がる過剰修復の衝動と強烈な激痛が脳を焼き、濁った瞳に昏い【傲慢】の光が灯る。
「僕を利用しているつもりなら、好きにすればいい。……だが、僕が教団の首を刈り取った後、お前たちが僕の足引っ張るような真似をしてみろ。その時は、お前たち『黒の天秤』も残さず噛み殺す」
「……くくっ、言ったな。なら、せいぜいお互い死ぬまで利用し尽くそうや」
互いに毒を抱え、笑顔の裏で牙を研ぎ合う完全なる利害関係。
絆という脆い幻影を捨て去った怪物は、教団の本拠地を血で染めるための最後の準備へと取りかかった。




