第三十四話 肉壁の試練
暗く湿った迷宮街の第4区画。
廃墟と化した高架橋の下、教団の物資輸送部隊が重厚な魔導装甲車を滑らせていた。
「周囲を警戒せよ。この付近は『黒の天秤』の残党が潜んでいる可能性がある」
厳重な甲冑に身を包んだ聖導教団の兵士たちが、魔導槍を構えて周囲を睥睨する。
その頭上、崩れかけた鉄骨の影に、ぼろきれの如き外套を羽織ったルシアンが佇んでいた。
(……教団の犬ども。殺す)
ルシアンは一切の感情を排した瞳で眼下の隊列を見下ろす。
息を潜める理由も、奇襲の策を練る気もない。ギルバートたち『黒の天秤』の幹部が、遠方の物陰から自らを観測している気配を感じながら、ルシアンは行動を起こした。
——バキッ!!
自らの左肘を、逆方向へと力任せに折り曲げる。
「ぐ、あ……っ!」
脳髄を突き刺す強烈な激痛。視界が真っ赤に染まり、喉から掠れた痛叫が漏れる。
だがその直後、傷口から湧き上がった『我が至高なる存在』の過剰な修復概念が、破壊された関節と筋肉を強引に膨張させながら接合した。自傷の激痛によって極限まで引き出された【傲慢】の血流が、ルシアンの全身を爆発的な運動能力で跳ね上げる。
ドォンッ!!
「なッ……!? 上から何かが——」
高架橋の上から一直線に落下したルシアンは、先頭の魔導装甲車の天井へ着地。
そのまま補修されたばかりの左腕を車両の装甲板へ叩き込み、自らの指骨を砕きながら内部の魔導機関を物理的に破壊した。
轟音と共に爆発する装甲車。吹き飛ぶ教団兵。
「襲撃だ! 敵は何人だ!?」
「ひ、一人……!? ガキが一人落ちてきたぞ!」
困惑と恐怖に包まれる現場。ルシアンは煙の中からぬらりと立ち上がり、血の滴る手で教団兵の首を掴むと、そのまま骨ごと握り潰した。
「……ハッ、ぁ……」
背後から放たれた魔導砲の熱線がルシアンの脇腹を大きく削り取る。肉が焦げ、内臓が露出する凄惨な傷。
しかしルシアンは振り返りもせず、激痛に身を悶えさせながら、強引に肉体を再生させていく。
(痛い……痛い痛い痛い痛い……!!)
痛みこそが自分を繋ぎ止める鎖。
絆を失い、心を殺した自分が「生きている」ことを証明する唯一の現実。
「化け物……! こいつ、死なねぇのか!?」
「撃て! 蜂の巣にしろ!!」
雨のように降り注ぐ銃弾と刃を、ルシアンは避けようともしない。
肉を削らせ、骨を断たせ、そのたびに自傷と過剰修復のサイクルを加速させて敵陣のど真ん中を破砕していく。血みどろの殺戮劇は、もはや戦闘ではなく一方的な解体作業だった。
——遠方の物陰。
「……おいおい、マジかよ」
双眼鏡を覗いていた『黒の天秤』の構成員が、冷や汗を流しながら呟く。
「痛みを感じてないわけじゃねぇ。絶叫しながら、自分の身体を壊して出力を上げてやがる……。あんなの、人間じゃねぇぞ」
傍らに立つギルバートは、隻眼を獰猛に細めて嗤った。
「素晴らしい。恐怖も死すらも踏み台にする、極上の『兵器』だ。……あれなら地上の中枢へ突込ませる肉壁として申し分ない」
数分後。
第4区画には、原型を留めない教団兵の死骸と、破壊された車両の残骸だけが転がっていた。
血の海の中にぽつんと立つルシアンは、グニャリと曲がった自らの指を1本ずつ力任せに嵌め直し、冷たい眼差しで空を見上げた。
(見たか、『黒の天秤』……。僕を使いたければ、相応の対価を払え)
信頼も希望もない。ただ血と痛みに塗れた「道具」としての証明を完了し、ルシアンは闇の中へと消えていった。




