第二十八話 残骸と無価値
「やめ……て……」
レイラの細い声が、途切れ途切れに濡れた石畳に染み込んでいく。
【嫉妬】のレヴィアタンの指先が彼女の頭部に触れた瞬間、レイラの瞳から光が消えた。叫び声すら上がらない。彼女の皮膚は急速に褐色へ変色し、まるで何十年も乾燥させた木皮のようにカサカサと乾いた音を立てて収縮していく。
【羨望される世界】——生命の剥奪。
「あ……ぁ……」
レイラだったものは、一瞬にして生命力を根こそぎ吸い上げられ、ただの干からびた肉人形へと変わり果てた。レヴィアタンはその残骸に興味を失ったように蹴り飛ばし、自らの傷口がゆっくりと塞がっていく感覚に満足げな溜め息をつく。
ほんの数十秒前まで、互いの無事を喜び合い、「生きて帰ろう」と誓い合っていた若者たち。
彼らが育んだ絆も、支え合った友情も、この世界の怪物の前では何の価値も持たなかった。
「ガ……ル、ド……」
泥の中に頭部を叩きつけられたガルドの視界に、乾いた木片のように転がるレイラの残骸が映る。
口から溢れる血で喉を詰まらせながら、彼は伸ばした手を虚空で彷徨わせた。仲間を、幼い少女すら守れなかった圧倒的無力感。それが彼の肉体以上に、その魂を叩き潰していた。
「無意味な抗いだ」
『剣聖』ヴァルターが冷徹な眼差しでガルドを見下ろし、聖剣の尖端をその首筋へと向けた。
「神の秩序において、力なき者の感情など何の意味も持たん。異端に荷担した報いを受けよ」
「……っハ」
ガルドの口から、血の混じった笑いが漏れた。
「……少年……」
ガルドの濁った瞳が、少し離れた瓦礫の影で静かに惨劇を見つめていたルシアンへと向けられる。
「……逃げろ……っ。こんな……くだらねぇ世界で……死ぬんじゃ……ねぇぞ……」
ザクッ。
ヴァルターの聖剣が、ガルドの首を躊躇なく貫いた。
ガルドの体が痙攣し、やがてその瞳から完全に光が失われる。血の海の中に沈んだ彼の顔には、仲間を守れなかった絶望と、最後にルシアンへ遺した絞り出すような残言だけが残されていた。
静寂。
レジスタンスは、全滅した。
彼らが命を懸けて繋いだ未来も、一瞬の歓喜も、すべてはただの屍の山へと姿を変えた。
「……くだらない」
血みどろの泥の中で、ルシアンは小さく呟いた。
だから言ったのだ。関わるなと。絆などという不確かなものを信じるなと。
人間がどれほど必死に生を希求しようと、圧倒的な暴力の前には一瞬でゴミのように踏み潰される。そんなことは、あの教団の実験室で、エレナが死んだ時に嫌というほど学んだはずだった。
それなのに、ほんの一瞬でも彼らの温もりに居心地の良さを感じかけた自分が——無性に反吐が出るほど滑稽だった。
(誰も救えない。誰も救われない)
ルシアンは自分の右手の平に、残った短剣を深く突き立てた。
グチュッ。
「ぐっ……ぁぁぁッ!!」
激痛が脳を焼き、歪んだ感覚が精神を現実へと縫い止める。
痛みだけが正しい。自らを苛み、削り取る激痛だけが、この狂った世界で僕が「生きている」と証明する唯一の現実だ。
「あら? まだ生きていたの、泥鼠」
ガルドの死体から剣を引き抜いたヴァルターと、奪った生命力で傷を癒やしたレヴィアタンの視線が、再び血みどろで起き上がるルシアンへと注がれる。
「回収する。……息根を止めよ」
ヴァルターが聖剣を構え直す。
レヴィアタンが冷酷な微笑を浮かべて指を滑らせる。
怪物二人を相手に、勝ち目など最初から存在しない。
だが——ルシアンの虚無に染まった瞳の奥で、黒い炎が静かに燃え上がっていた。
「僕の命は……誰にも渡さない」
肉を割き、骨を砕く。
自傷の激痛を燃料にして、『我が至高なる存在』が暴虐の産声を上げた。




