第十六話 廃墟の誓い
冷たい雨が、崩れ落ちた石壁を濡らしていた。
教団の第7異端収容施設を肉体修復の暴走で内部から粉砕し、脱出してから数日。僕が辿り着いたのは、かつて繁栄していたという旧王都の廃墟だった。
コケと蔦に覆われた巨大な建造物の影、崩落した大聖堂の残骸。人の気配は無く、ただ静まり返った風の音だけが響いている。
「はぁ……はぁ……」
僕は水たまりの前に膝をつき、自分の顔を映し出した。
泥と泥に塗れた黒髪。
どこか焦点を結ばない、冷たく冷え切った瞳。
第7施設で切り刻まれ続けた記憶も、あの実験体の少女の断末魔も、手を伸ばしてきた少年の血に塗れた手も、すべて脳裏に焼き付いている。けれど、僕の心は驚くほど静かだった。いや、静かというより、悲しみや恐怖を感じる感情の領域が、激痛と絶望の過剰摂取によって完全に麻痺してしまったのだ。
「もう……誰も巻き込まない」
水面に映る自分に向かって、冷ややかに呟く。
優しさや情けは、この世界では自分と周囲を滅ぼす毒でしかない。
僕が目指すべきは、この呪わしいユニークスキル『我が至高なる存在』を消し去る術を見つけること。あるいは、この死ねない肉体を完全に消滅させられる唯一無二の「死に場所」を探すことだ。
「そのためなら……なんだって利用してやる」
胸の奥で、カチリと音がした。
かつて前世で平穏に生きていた高校生としての倫理観が、完全に死に絶えた音だった。
僕は水たまりから顔を上げ、手元にある教団兵から奪った一振りの短剣を見つめた。
一般的なスキル『身体強化』も『魔法』も使えない僕が頼れるのは、己の肉体を破壊し、歪めて撃ち出す『変形修復』のみ。
「つっ……」
短剣の刃を、迷いなく左手の平へ深く突き立てる。
肉が裂け、赤黒い血が溢れ出す。
激痛が走る。だが、僕は眉ひとつ動かさず、ただ冷徹にその痛みを観察した。
どれだけの深さで切れば、どれだけの圧力の血弾が撃てるか。
何秒で傷が塞がり、体内の血管にどれほどの負担がかかるか。
(痛覚を消すことはできない……なら、この痛みを『情報』として処理する)
溢れ出た血に意識を集中させ、引き戻すエネルギーを強引に捻じ曲げる。
パンッ!
放たれた血弾が、目の前の石柱を鋭く穿ち、破片を撒き散らした。
激しい眩暈と貧血、血管が灼けるような再生成の痛みが全身を駆け巡る。僕は片膝をつきながらも、荒い息を吐き出して立ち上がった。
ゴブリンや下級の教団兵なら、今の僕でも自傷の痛みに耐えることで処理できる。
だが、あの『剣聖』ヴァルターのような怪物や、あるいはこの世界に君臨する他の『七つの大罪』に抗うには、この程度では話にならない。
もっと血を。もっと痛みを。もっと肉体を歪める術を。
廃墟の奥深くへと足を進める。
この旧王都のどこかに、大罪や世界の理についての古い文献、あるいは教団の目が届かない地下都市への入り口が眠っているはずだ。
冷たい雨の中、僕はただ一筋の血の痕を残しながら、闇の中へと消えていった。




