第十一話 忍び寄る影
息が切れる。肺が千切れそうなほど熱い。
『追跡の刻印』の存在にすら気づかず、僕はひたすら湿った森の中を走り続けていた。
血弾を連発したことによる激しい貧血で、視界は重度の眩暈とともに明滅を繰り返している。全身の血管が焼き切れそうな熱気と痛みが引き破れるように苛んでいたが、脚を止めるわけにはいかなかった。
(どこか……人が居て、身を隠せる場所へ……)
一般スキル『身体強化』を持たない僕の足取りは、ただの16歳の少年のそれでしかない。足がもつれ、何度も泥の中に顔から突っ込んでは、痛む体を強引に引きずり起こして前へ進む。
どれほど走っただろうか。
不意に視界が開けた。
森を抜けた先に広がっていたのは、打ち捨てられたような小さな交易路と、そこに佇む数台の馬車だった。
「おい、大丈夫か少年!?」
声をかけてきたのは、不揃いな革鎧を纏った男——旅の行商人や護衛の傭兵たちらしかった。血まみれで泥だらけの僕の姿を見て、急いで駆け寄ってくる。
「ひどい血だ……! 怪物に襲われたのか!?」
「あ……ぁ……」
温かい手。心配そうに僕の顔を覗き込む眼差し。
エレナの面影が脳裏をよぎり、胸が締め付けられる。関わってはいけない。僕と関われば、この人たちだって——。
「逃げて……早く、ここから離れて……っ」
かすれた声で警告しようとした、その瞬間だった。
空気を切り裂く、恐ろしいほどの静寂。
パツン、と小さな金属音が響いたと思うと、僕の目の前で僕の肩を抱きかかえてくれていた傭兵の男の首が、斜めにズレた。
「え……?」
鮮血が花のように咲き誇り、頭部がポロリと地面に転がる。
残された胴体が、勢いよく血を噴き出しながら泥の上に崩れ落ちた。
「ひ、悲鳴を上げる間もなく……な、なんだ!?」
「敵襲! 敵襲だァッ!」
行商人と残りの傭兵たちがパニックに陥り、武器を抜こうとする。
だが、その行動はあまりにも遅すぎた。
黒い死線が、馬車と人間たちを嘲笑うように駆け抜ける。
スパーンッ! ドスッ! ガツンッ!
ある者は腰から真っ二つに切断され、内臓を撒き散らす。
ある者は頭部を縦に叩き割られ、脳漿を飛び散らせる。
ほんの数秒。たったそれだけの時間で、僕に優しく声をかけてくれた人たちの温もりは、物言わぬ生臭い肉塊の山へと変えられた。
「あ……あぁぁ……」
絶望で膝が折れる。
血の雨が降る惨劇の中心に、そいつは静かに佇んでいた。
白銀の甲冑に、鮮血に染まった一振りの細身の剣。
フードの隙間から覗くのは、氷のように冷たく、一切の感情を排した男の瞳。
「我が名はヴァルター。聖導教団・異端審問官である」
男——ヴァルターが、死体の山を踏みつけながら静かに剣を納めた。
「『傲慢』の宿主よ。無駄な抗いは終わりにしよう。貴様の不完全な血の戯れなど、我が『剣聖』の領域の前には等しく無価値だ」
洗練された絶対的な武の威圧感が、僕の全身の皮膚を刺すように包み込んでいた。




