第十話 告死の刻印
「ひっ……ひぃぃッ! 来るな、来ないでくれッ!」
脚を砕かれ、血の海でのたうち回る教団兵が、青ざめた顔で後ずさろうとする。
だが、その傷からは容赦なく血が溢れ出ており、泥を赤く染めていくばかりだった。
僕は再生したばかりの足を泥に踏み締め、ゆっくりと彼へと歩み寄った。
「異端審問官……ってのは、君たちより強いのか?」
重ねて問いかける。
声に感情は乗っていない。自分でも恐ろしいほど冷え切った声が出た。
「つ、強いなんてレベルじゃない……ッ! 審問官様は……ヴァルター様は、教団が誇る対異能戦闘のスペシャリストだ……! 一般スキルを極限まで鍛え上げた『剣聖』の領域にいるお方だぞ……っ!」
男はガタガタと震えながら、僕を呪うように睨みつけた。
「お前みたいな魔法も使えん異形のガキなど、一瞬で微塵切りにされる! 審問官様からは逃げられない……絶対になッ!」
「そうか」
僕は小さく呟き、足元に落ちていた教団兵の剣を拾い上げた。
重い。前世でまともに運動すらしていなかった僕の腕には、鉄の塊のように重く感じられた。
『身体強化』も『剣技』もない僕には、この剣を優雅に振るうことなんてできない。
だから僕は、男の首元に剣の先を突きつけ、ただ自分の体重を乗せて泥の中に押し込んだ。
ドスッ、という嫌な手応え。
「が、ぁ……っ」
男の瞳から光が消え、森に再び静寂が戻る。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ」
血の臭いと鉄の臭いが混ざり合う中、僕は剣を捨て、泥の上に座り込んだ。
全身の血管が焼き切れるような熱を帯びている。切断された左腕と砕かれた膝の修復痕が、今もなお鈍い痺れと痛みを脳へと送り続けていた。
『対異能戦闘のスペシャリスト』。
『一般スキルを極限まで鍛え上げた者』。
ゴブリンや、目の前の一般兵なら『変形修復』による不意打ちの血弾でなんとか撃退できた。けれど、スキルを極めた本物の強者が相手だったらどうなる?
僕の血弾の予兆を見抜き、撃ち出す隙すら与えずに首を刎ねられたら?
何度も何度も全身を細切れにされ、反撃の血を撒き散らす暇もなく肉塊にされ続けたら?
「……っ」
恐怖で全身の毛穴が開く。
『死ねない』ということは、『死ぬほどの激痛を永遠に味わわされる』ということだ。
ヴァルターという男に捕まれば、僕は死ぬことも許されず、ただ解体され続ける肉の塊へと成り果てる。
(逃げなきゃ……どこか、教団の目が届かない場所へ……!)
僕は血塗られた衣服を力任せに引き裂き、傷口を無理やり縛った。
貧血で立ち眩みがする。視界の端が黒く霞んでいる。それでも、僕は泥を蹴って走り出した。
森を抜け、教団の追手が来ない場所へ。
少しでも遠くへ。
——だが、その時の僕はまだ知らなかった。
すでにその足元には、異端審問官ヴァルターの放った『追跡の刻印』が、静かに刻み込まれていたということを。
そしてこの先、僕は自らの未熟さと甘さを、これまで以上の激痛と絶望によって思い知らされることになるのだ。




