第九話 蠢く追撃
森の奥深くを歩きながら、僕は泥に塗れた掌を開き、そして握りしめた。
ゴブリンを一体倒せた。それ自体は小さな前進かもしれない。けれど、自分の体内で暴れる修復エネルギーを「血弾」として撃ち出す感覚は、確実に僕の神経へ刻み込まれつつあった。
(でも……代償が大きすぎる)
血を撃ち出すたびに襲う、脳が痺れるほどの貧血と目眩。そして、干からびた血管が爆発するように膨張し、肉体を内側から焼き切る再生成の激痛。
一般的なスキルである『身体強化』や『魔力操作』を持たない僕は、こうして己の血と痛みをガソリンのように燃やして進むしかないのだ。
ガサ、と背後の木々が大きく揺れた。
(またゴブリンか……?)
僕は警戒し、左手の平に爪を立てる。
いつでも自傷して血弾を打てるよう、息を潜めて茂みを睨みつけた。
だが、現れたのは緑色の小鬼などではなかった。
「……見つけたぞ。『傲慢』の宿主」
現れたのは、黒い革の甲冑を纏った二人組の男たちだった。
胸元には聖導教団の紋章。先日の一般兵とは明らかに纏う雰囲気が違う。鋭い眼光、無駄のない立ち姿。身につけている装備も、洗練された魔導具の輝きを放っている。
「異端審問官様への報告通りだ。一般兵を血の術式らしきもので返り討ちにした異形……だが、見たところただのガキだな」
「気を抜くな。相手は大罪の因子を持つ者だ。即座に四肢を破壊し、回収する」
二人同時に地面を蹴った。
速い。ゴブリンなど比べものにならないスピードだ。
「はッ!」
一人が腰の剣を抜き放つ。剣身が青白い光を放ち、周囲の空気を引き裂く。
——一般スキル『疾風斬』。
「っ……あぁぁぁッ!?」
避ける暇すらなかった。
視界がブレた瞬間、僕の左腕が肘の上から斜めに切断され、空中を舞った。遅れて猛烈な痛みが押し寄せ、切断面から大量の血が噴き出射する。
「ぐ、あああああッ!!!!」
「怯むな、次は足を削ぐ!」
もう一人の男が踏み込み、鋭い蹴りを僕の膝へ叩き込む。
——一般スキル『剛力脚』。
ゴツン、と嫌な音がして僕の右膝の骨が砕け折れた。僕は悲鳴を上げながら、ドロリとした泥の中に転がった。
「くははっ! なんだ、拍子抜けだな! 噂ほどの化け物では——」
男が嘲笑いながら、僕の切断された腕を踏みつけようとした、その時だった。
——我が肉体を地にくべ、踏みつけるか。
——無知なる豚が。その不遜、死をもって洗え。
【ユニークスキル:『我が至高なる存在』発動】
身体の奥底から、氷のように冷酷な概念が解き放たれる。
「が、あぁぁぁぁぁッ……!!!」
切断された左腕、そして地面に撒き散らされた大量の血が、強烈な磁石のように引き合い始めた。
男が踏みつけようとした僕の左腕が、超高速で僕の肩へと飛び戻る。その軌道上にいた男の脚を、飛び戻る腕の骨と肉が強引に薙ぎ払い、肉を削ぎ取っていく。
「ギャあああああっ!??! 脚が、僕の脚がぁぁぁっ!?」
男が悲鳴を上げて崩れ落ちた。
「な、なんだと!? 技の予兆すらない……っ!?」
動揺したもう一人の男が剣を構え直す。
だが、跳ね返ってきた腕が肩へと強引に縫合される激痛に耐えながら、僕は叫びとともに右手を突き出した。
切断された瞬間に噴き出し、地面を染めていた僕の大量の血液。
その血の戻ろうとする修復エネルギーを、僕はすべて「逆位相の圧力」へと歪めて集約させる。
「飛べ……ッ!! 撃ち抜けぇぇぇぇッ!!!!」
ドパンッ!!!!
今までで最も巨大な破裂音が森に響き渡った。
「がはっ……!?」
地面から弾け飛んだ巨大な血の塊が、残っていた男の胸甲冑を砕き、心臓ごと背後へと撃ち抜いた。男は白目を剥き、血を吹き出しながら棒立ちのまま倒れる。
「はぁ……はぁ……はぁっ……っく!」
激しい貧血で視界が真っ暗になり、僕はその場に倒れ込んだ。
全身の血管が引きちぎられるような痛みにのたうち回り、血の反吐を吐き出す。
脚を潰された男が、絶望の表情で僕を見上げていた。
「ひ……ひぃっ……化け物……! 審問官様が……黙っちゃ……いない……ぞ……」
僕は何とか立ち上がり、膝を再生させながら、男へと一歩踏み出した。
助かる見込みはない。彼らもまた、僕を切り刻み、奪うために来た教団の尖兵に過ぎないのだから。
「教えてくれ……」
かすれた声で僕が呟く。
「その……異端審問官っていうのは、どれくらい強いんだ……?」
僕の問いに、男は恐怖で顔を引きつらせながら、ただカタカタと歯を鳴らすことしかできなかった。




