黄金の味と、守るべき背中
新宿歌舞伎町の一角に建つ、巨大な黒硝子のビル。探索者ギルド・新宿本部のエントランスは、夕暮れ時特有の熱気と、帰還したばかりの探索者たちが放つ、独特の鉄臭い空気で満ちていた。
自動ドアが開くと同時に、ロビーの喧騒が湊と剛の鼓膜を叩く。二人の姿は、その中でも異彩を放っていた。
ボロボロに引き裂かれた汎用防護服。随所にこびりついた乾いた返り血。そして何より、湊の背中に背負われた、鈍い光沢を放つ『黒鋼の重剣』。
ロビーにいた探索者たちが、次々と足を止め、二人を凝視する。
「おい、見ろよ……あの背中の剣、Rank:Dのボスドロップじゃねえか?」
「嘘だろ。あんな安物の防具の奴らが、5層エリートを……?」
「……いや、あの大男の方か? 盾は砕けてるが、あれは『城塞騎士』の雰囲気だぞ」
ひそひそとした囁きが波のように広がる。普段なら、湊はこうした周囲の視線を避けるように俯いて歩いただろう。これまでの彼は、この弱肉強食の世界で「持たざる者」として息を潜めて生きてきた。
だが、今は違う。右手の掌に残る、あの『受け流し』の瞬間に感じた世界の理を掌握した感覚。そして、隣で巨体を揺らしながら誇らしげに歩く剛の存在。それが、湊の背筋を自然と伸ばさせていた。
「次の方、査定カウンターへどうぞ」
無機質な受付嬢の呼び出しに応じ、二人はカウンターへと進む。湊は肩に食い込んでいたバックパックを下ろし、その中身を無造作に放り出した。
ガラン、と重厚な音を立てて転がったのは、5層ボスの証である巨大な魔石。そして、拍動するかのような魔力を放つ『エリートの心臓』だ。
「……ッ!?」
受付嬢の指が止まった。彼女は一度湊の顔を見上げ、次に横の剛を見、そして再び『心臓』へと視線を落とした。
奥から、白衣を着たベテランの査定員が慌てて駆け寄ってくる。彼は鑑定用のモノクルを装着すると、震える手で心臓を調べ始めた。
「……信じられん。傷一つない、完璧な摘出だ。心臓の魔力回路が完全に生きておる。君たち、これをどうやって……? 大抵のパーティーは力任せに心臓を傷つけてしまうものだが」
「……無駄なことをしないように気をつけただけです」
湊は、いつもの人懐っこい笑みを浮かべて答えた。
嘘ではない。熟練度2.00%に達した彼には、ボスの解体においてさえ「最も正しい刃の入れ方」が視えていたのだ。余計な傷をつけないことは、そのまま買取額に直結する。生活のかかった湊にとって、それは技術以前の執念だった。
査定員がモニターを叩く。ロビーの大型モニターに、二人の査定額が映し出された。
【査定合計:382,000円】
一瞬、ロビーが静まり返った。
数ヶ月間、小銭を稼ぐために必死だった湊にとって、それは文字通りの「黄金」だった。今の日本で、一般市民が数ヶ月かけて稼ぐ額を、二人はたった一日で、それも数時間の探索で手に入れたのだ。
「……湊、これ。夢じゃねえよな?」
剛が太い指でモニターを指差し、声を震わせている。
「ああ、剛。現実だよ。……これで、あいつらに約束してたものを食べさせてやれる」
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一時間後。新宿のメインストリートから少し外れた、路地裏に佇む一軒の老舗焼肉店。
店内に漂う、香ばしいタレと炭火の匂い。その入り口で、湊の弟である陽太と、妹の結菜は、信じられないものを見るかのように立ち尽くしていた。
「……兄ちゃん、本当にここなの? ここ、テレビでやってた『特上』とかいうやつのお店だよ?」
中学生の陽太が、自分の擦り切れたスニーカーと店構えを見比べながら、湊の袖を強く引く。小学生の結菜も、湊の隣に座る剛の圧倒的な巨体に目を丸くしている。
「いいんだよ。今日は、兄ちゃんの新しい相棒の剛さんも一緒だ。ほら、好きなだけ頼め。今日だけは、値段を見なくていいから」
湊の言葉に、剛が「ガハハ!」と豪快に笑い、メニューを陽太に差し出した。
運ばれてきたのは、これまでスーパーの「賞味期限間近の半額シール」が付いた細切れ肉しか見てこなかった二人には、想像もつかないほど美しい、サシの入った特上カルビ。
網の上で肉が躍り、滴る脂が炭を叩いて芳醇な煙を上げる。
陽太が、震える手で最初の一切れを口に運んだ。
その瞬間、彼の動きが止まった。
「……おいしい。兄ちゃん、これ、溶ける……っ!」
陽太の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
結菜も、頬をパンパンに膨らませながら、「おいひい、おいひいよぉ……」と声を詰まらせ、夢中で肉を頬張っている。
両親を失って以来、湊が文字通り泥を舐め、時には食事を抜いてまで繋いできた二人の命。
焼肉なんて、最後に食べたのはいつだったか。親が生きていた頃の誕生日に、無理をして連れて行ってもらったのが最後だ。
あの時と同じ、いや、それ以上に輝いて見える肉。それが、今の湊が自分の『力』で手に入れたものだという事実が、二人の心を震わせていた。
「陽太、結菜。……今まで、苦労かけてごめんな。兄ちゃん、もっともっと強くなるから。これからは、もっと美味しいもの、いっぱい食べさせてやるからな」
湊の声も、わずかに震えていた。
二人は何度も頷きながら、一心不乱に肉を、白米を口に運ぶ。
その光景を、隣で黙々と肉を焼いていた剛が、じっと見つめていた。
「……剛さん?」
湊が声をかけると、剛は慌てて目を擦った。その無骨な手の甲が、濡れている。
剛の大きな目には、隠しようもないほどの涙が浮かんでいた。
「……いや、悪い。お前らの家族見てたら、なんかよ……。俺も、なんのために盾を持って戦ってるのか、思い出した気がしてな」
剛は、自分の分として焼いていた一番いい肉を、そっと結菜の皿に置いた。
「食え、お嬢ちゃん。俺が湊の横で盾を構えてる限り、お前らは一生食いっぱぐれねえ。俺が保証してやるよ。俺の職業は、誰かを守るための『城塞騎士』だからな」
「……ありがとう、大きいお兄ちゃん!」
結菜の屈託のない満面の笑みに、湊の胸の奥が熱くなる。
今までの自分は、ただ生き残るために必死だった。他人のことなんて考える余裕もなかった。
だが、この『極・剣術』を極め、一歩ずつ進んでいく先に、こんなにも温かく、尊い日常があるのなら。
(……もっと強くならなきゃな。最短距離で。この笑顔を守るための『最強』へ)
湊は、再び気合を入れ直すように、自分の皿の肉を一気に口へ放り込んだ。
黄金の味が、空っぽだった身体の隅々まで染み渡っていく。
新宿ダンジョン、6層。そこには、これまでの比ではない絶望と、複雑な迷宮が待っているという。
だが、背中を預けられる最強の相棒と、帰りを待つ家族がいる。
今の湊に、恐れるものなど何一つなかった。
「陽太、結菜。明日は新しい防具も買いに行くからな。兄ちゃん、もっとカッコよくなってくるよ」
「うん! 兄ちゃん、気をつけてね!」
新宿の夜は更けていく。しかし、四人を包む空気は、かつてないほどに明るく、そして力強い希望に満ちていた。
その頃、インターネットの片隅――探索者たちが集う匿名掲示板では、一つの「噂」が急速に熱を帯び始めていた。
5層ボスを瞬殺した、正体不明の「ボロ布の青年」と「巨大な盾の男」。
彼らの知らないところで、運命の歯車はさらに大きく回り始めていたのである。
【第8話:後書き】
第8話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
死闘のご褒美は、最高級の焼肉と家族の涙。
湊が手に入れた『極み』の力は、初めて形となって彼の日常を救いました。
剛もまた、守るべきものがある湊の姿に心打たれ、自らの使命を再確認しました。
【第8話終了時点:ステータス】
名前:佐藤 湊
レベル:8
職業:見習い剣士・極
スキル:【極・剣術】熟練度:2.01%
・派生技:受け流し・極(2.00%)
資産:約230,000円(※焼肉代、生活費、次話の装備新調費を確保)
名前:真壁 剛
職業:城塞騎士
習得スキル:【不屈の盾】【シールドバッシュ】【挑発の咆哮】
次回、第9話「【新宿5層】例の二人組について語るスレ」。
ネット掲示板回! 湊と剛の活躍が、世間にどのような衝撃を与えたのか?
第三者視点で語られる、彼らの「異常性」とは。お楽しみに!




