5層への挑戦・ゴブリンの咆哮
【第3話:前書き】
第3話をご覧いただきありがとうございます。
舞台は1層から5層へ。
スライム相手の「作業」は終わり、ここからは命を懸けた「戦い」が始まります。
折れかけの剣と、1%の熟練度。
底辺探索者・湊の真価が、真の戦場で試されます。
第3話:5層への挑戦・ゴブリンの咆哮
新宿ダンジョン、第5層。
1層の澄んだ蒼白な空気とは一変し、ここは生臭い獣の腐臭と、常に湿り気を帯びた土の香りが充満している。
天井の岩盤から滴り落ちる地下水が、一定の拍子でポタポタと水溜まりを叩く。その音さえも、今の湊にとっては神経を逆撫でするノイズに聞こえた。
「……ふぅ、落ち着け。1層とはルールが違うだけだ」
湊は、指先がわずかに震えているのを自覚し、右手のショートソードを強く握り直した。
1層は「作業」の場だった。だが5層からは、ここは明確な「戦場」へと変貌する。
その証拠に、暗がりの向こう側から、ギチギチという耳障りな鳴き声と、無数の足音が近づいてきていた。
現れたのは、三匹のゴブリンだ。
身長は子供ほどだが、その腕は不自然に長く、節くれ立った指には鋭い爪。緑色の醜悪な肌は脂ぎり、濁った黄色い瞳には、明確な「食欲」と「殺意」が宿っている。
彼らは一列に並んでくるような真似はしない。湊を包囲するように左右に分かれ、じりじりと距離を詰めてくる。
(囲まれるな。常に一対一の状況を作れ……システムがそう警告している)
湊の網膜に、無機質なテキストが浮かぶ。それは単なる文字情報ではなく、湊の直感に直接訴えかける「戦いの最適解」だった。
「ギギャッ!」
先陣を切った中央の一匹が、錆びた釘が打ち付けられた粗末な棍棒を振り上げた。
湊は一歩後ろに下がる。1層のスライム相手に繰り返した数千回の回避行動。その蓄積が、今の湊に「相手のリーチ」をミリ単位で把握させていた。
空を切る棍棒。その隙を突いて踏み込もうとした瞬間、左右から同時にゴブリンが飛びかかってきた。
「チッ、連携かよ……!」
左からの爪による引き裂き。右からの棍棒の薙ぎ払い。
ボロボロの防護服では、どちらを喰らっても致命傷になりかねない。
逃げ場はない。だが、湊の脳内にはすでに、この窮地を脱するための「型」が浮かんでいた。
【極・剣術:派生技『受け流し(パリング)』】
湊は右足を引き、半身の構えを取る。
ショートソードを垂直に立て、右から迫る棍棒の「側面」に刃の腹を添えた。
激突。
だが、衝撃は湊の腕には伝わらなかった。剣術の『理』に基づいた理想的な角度。ショートソードはゴブリンの攻撃を跳ね返すのではなく、氷の上を滑らせるように、その威力を斜め後ろへと逃がした。
「ギギャッ!?」
勢い余った右のゴブリンが、前方へつんのめる。
そこには、左から湊を襲おうとしていたもう一匹のゴブリンがいた。
ドゴォッ! と鈍い音が響き、仲間の棍棒をまともに頭部に受けた左の個体が、声を上げる間もなく地面に沈む。
(――今だ)
湊は止まらない。
体勢を崩した右のゴブリンの喉元へ、ショートソードを突き出した。
ズルリ、と生温かい感触が手に伝わる。1層の無機質な魔石の塊とは違う、生物を殺める生々しい感触。
だが、湊の心に迷いはなかった。
「……俺には、帰らなきゃいけない場所があるんだよ!」
喉を貫いた刃を引き抜き、最後に残った中央の個体へ。
怯えたように後ずさるゴブリン。その胸板を、湊は迷いなく一閃した。
静寂が戻る。
三匹のゴブリンは、黒い霧となって消え失せ、その場には1層のものより一回り大きく、深い輝きを放つ魔石が三つ残された。
【熟練度が0.02%上昇しました。現在の熟練度:1.27%】
「はぁ……はぁ……。上がった、のか……?」
湊は荒い呼吸を整えながら、ステータスを確認した。
1層のスライムでは0.01%を稼ぐのにも数時間の死闘が必要だった。それが、わずか数分の戦闘で0.02%の上昇。
格上の敵との実戦こそが、この『極・剣術』を成長させる最大の糧であることを、湊は確信した。
だが、現実は甘くない。
湊は、自分のショートソードを光にかざした。
【武器:粗悪なショートソード(Rank:F / 耐久度 2/20)】
「……ひどいな。一戦ごとに、目に見えてボロボロになっていく」
刃は至る所が欠け、中央付近には目視できるほどの歪みが生じている。
今の『受け流し』。それは剣への負担も甚大な技だった。相手の力を逃がす際、剣の刀身がその圧力を肩代わりしているのだ。
(あと一戦……いや、持って二戦か。ここで帰るか?)
頭の中に、家で待つ蓮と結衣の顔が浮かぶ。
今日の稼ぎは、魔石三つで六千円。入場料を引いても、十分に家族の数日分の食費にはなる。
だが、その程度の「安定」で満足していたら、自分はあの掲示板で馬鹿にされていた「ドリーマー」のままだ。
日本ランキング30万位台。世界ランキング圏外。
この圧倒的な現実を覆すには、武器が折れるその瞬間まで、限界に挑み続けるしかない。
「……熟練度が上がれば上がるほど、一回の戦闘で得られる経験は減っていくはずだ。なら、今、無理をしない理由がない」
湊は再び、暗い通路の先を見据えた。
5層は1層に比べて四倍以上の面積がある。ここからは地形そのものが牙を剥き始める。
崩落しやすい天井、一歩間違えれば奈落へと続く縦穴、そして巧妙に隠された魔物の巣。
一歩、また一歩と慎重に歩みを進める。
ふと、通路の先から、激しい金属音と罵声が聞こえてきた。
「クソッ、ふざけんな! なんでこんな所に集団でいやがるんだよ!」
太い、野卑な声。だが、そこには明確な「焦り」が混じっている。
湊は気配を殺し、角の影から前方の広間を覗き込んだ。
そこには、一人の大男がいた。
身の丈ほどもある巨大なタワーシールドを構え、六匹のゴブリンに囲まれている。
男の装備は湊よりもマシだが、とにかく動きが鈍い。盾で防ぐことには長けているが、攻撃に転じる隙が全くなく、完全に防戦一方に追い込まれていた。
(あの装備……盾使い(ガーディアン)か。でも、あの数じゃ、盾が削り取られるのが先だぞ)
見捨てて帰ることもできる。
だが、湊の直感が、そして『極・剣術』が囁いていた。
――【他者を守り、戦場の中心に立つ。それもまた、剣を極める者の道なり】
「……っ、やるしかないか」
湊は折れかけのショートソードを握り直し、光の届かない闇の中から、一気に広間へと駆け出した。
それが、後に世界を震撼させる最強のギルド『エデン』、その第一歩となる出会いであることを、今の湊はまだ知らない。
【第3話:後書き】
第3話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
格上との実戦による熟練度ブースト、そして武器の限界。
ギリギリの状況で出会った「盾使いの大男」を前に、湊はどう動くのか。
「効率」だけでは語れない、彼の本当の野心が動き出します。
【第3話終了時点:ステータス】
名前:佐藤 湊(日本ランク:321,438位 / 世界ランク:圏外)
レベル:4(経験値:12 / 次まで 60exp)
職業:未設定
スキル:【極・剣術】熟練度:1.27%
・初期派生技:受け流し
武器:粗悪なショートソード(Rank:F / 耐久度 2/20)※限界!
防具:汎用ポリエステル防護服(Rank:F / 防御力+2)
資産:6,800円(ゴブリン魔石換算)
次回、第4話「不器用な盾使い」。
運命の相棒が登場します。お楽しみに!




