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第一章④ 食堂と数時間前の総司令部

 宿舎の食堂は静かで、昼下がりの柔らかい光が窓から差し込んでいた。

 ソフィーの他にはアニータ、ジョルジュ、リゼーヌの三人だけ。

 周囲の席は空いており、まるでこの小さな空間だけが世界の全てのように感じられる。

 ソフィーは席につき、静かにフェルナンドの最期を話した。

 ジョルジュは少し顔をしかめ、怒りと苛立ちを混ぜた声で答える。

「フェルナンド、怖かったけど憎めない奴だった。戦争を起こしたのはエドガー・ロジャースのせいなのに、あいつが先に死んで処刑できなかったから、それだけの理由でフェルナンドが全ての罪を背負って処刑されるなんて……正直、吐き気がする」

 リゼーヌも眉を寄せ、少し哀しげな声を落とした。

「フェルナンドさんは完全に悪い人ではなかったのに……。彼が処刑されてしまったこと、本当に残念でなりません」

 アニータは静かに紅茶のカップを持ち上げ、淡々とした口調で言う。

「この世は、完全に善と悪で割り切れるものじゃないわ。誰もが複雑な事情を抱えている」

 ソフィーは言葉を受け止めながら心の中で何度も反芻した。

 戦争の渦中で命を落とした者、そして罪を背負った者。

 それぞれの想いと選択の重さが、静かな食堂の空気の中でじんわりと胸に沈んでいく。

 ソフィーはカップを手に取り、静かに視線を落としたまま話す。

「以前の私は善と悪に割り切っていた。でも今は違う」

 アニータは唇をかすかに震わせ、ぼそっと漏らす。

「……あの人は、そこに届かなかった」

 その声は失意に沈んでおり、言葉に重みがあった。

 リゼーヌはすぐに反応した。

「アニータさん、何か言いましたか?」

 アニータは軽く首を振り、声を落として答える。

「いいえ、なんでもないわ」

 だが、彼女の瞳の奥には消えない哀しみが映っていた。

 ジョルジュはため息をつき、目を細めながらソフィーを見た。

「それにしても、ソフィーは強いな。なんでフェルナンドについて行こうと思ったんだ?」

 ソフィーは息を整え、言葉を選ぶように答える。

「彼を独りで死なせたくなかったから。でも、そこで見た光景は私にとって衝撃的だった」

 彼女の目には処刑の場で目撃した民衆の表情——憎しみ、怒り、嘲笑、勝利を確信した喜び——が焼き付いている。

「正直、隊長がそばにいなかったら、私は耐えられなかったかもしれない。いや、死を選ぶほど立ち直れなかったと、今ならわかる」

 しばし食堂に沈黙が訪れる。

 アニータはそっとカップを置き、視線を遠くに向ける。

「……その覚悟があるからこそ、あなたはここにいるのね」

 リゼーヌは小さく頷き、言葉少なに続けた。

「そうですね……誰もが同じ強さを持っているわけじゃない」

 ジョルジュは拳を軽く握るが、口元には微かな笑みを浮かべる。

「君の話を聞くと、ボクも負けてられないなって思うよ」

 ソフィーは小さく微笑み、視線をテーブルに落としたまま答える。

「ありがとう。皆がいるから、私は歩き続けられるよ」

 食堂の空気には、悲しみの余韻とともに絆の温もりが静かに広がった。

 アニータは眉をひそめながら呟いた。

「そういえば、二人はブレスト司令部に報告したのよね。処刑を見てこいと言ったくせに、肝心の総司令部は報告も待たずに撤収したんでしょう?」

 ソフィーは言葉を選ぶように口を開いた。

「あ、それがその……」

 ソフィーが静かに間を取り、続ける。

「総司令部は、今もブレストにいるんです」

 アニータは驚きの声を漏らす。

「……え?」

 ソフィーは苦笑混じりに話を足す。

「まだパリに帰ってないんです。いや、一部の人は帰ったらしいですけど」

 ジョルジュの声が少し震えた。

「ど、どうして!?」

 


 先刻前、報告を終えた後のこと。マクシムが軽く眉をひそめ、執務室の静かな空気に口を開いた。

「ところで、なぜお二人はまだブレストにいるのですか?」

 イザベルは机の向こうで静かに答える。

「帰らぬ事情ができたのでね」

 ソフィーは声を潜め、言葉を紡ぐ。

「帰らぬ事情……とは、どういうことですか?」

 アルフォンスが重い口を開く。

「お二人が旅立ったあの日、大元帥は体調不良で倒れたのです」

 彼の言葉にソフィーとマクシムは思わず目を見合わせ、驚愕の色を隠せなかった。

 イザベルは続ける。

「各部隊にはただちに通達をした。しかし、表向きは各部隊の健闘に対しての休暇ということにしてある。実際は大元帥が倒れたため、海軍としては一時的に活動を休止するしかないという判断だ」

 マクシムは黙って頷いたが、やはり疑問を抑えきれず問いかける。

「なぜ、本当のことを言わないのですか?」

 イザベルは冷静な瞳で答えた。

「皆に混乱を招くからだ」

 少し間を置いて、イザベルは自身の立場について語る。

「今は私が大元帥の代理として、私とルソー准将、そしてアルフォンスを中心に総司令部を回している」

 ソフィーは息をのみ、少し恐るように尋ねた。

「そんな……えっとその、大元帥の容体は……?」

 アルフォンスは言葉を選び、慎重に答える。

「医師曰く、風邪ではないが熱が高いとのことです。心の問題ではないか、という指摘もあります」

 イザベルは静かに微笑み、最後に優しく告げる。

「まあ、話していても仕方ない。君たちも旅路で疲れたであろう。ゆっくり休みたまえ」

 彼女の言葉を最後に報告の緊張はゆっくりと解け、執務室の重い空気は少しだけ温かみを帯びたものとなった。

 イザベルとアルフォンスに礼を告げ、ソフィーとマクシムは静かに執務室を後にした。廊下を歩く二人の足音だけが響き、外の光が大きな窓から差し込んでいる。

「大元帥が倒れたとは……」

 ソフィーは小さく息を吐く。

 マクシムも黙って頷く。言葉にできない緊張と安堵が交錯していた。

 二人が外に出ると、冬の冷たい風が頬を打った。港から差し込む海の匂い、波の音。旅路の疲れが少しずつ体に染み込む。

「考えても事態はそう変わらない。君も休まないと」

 マクシムが声をかける。ソフィーは頷き、深く息を吸い込んだ。

 目の前に広がる海の景色が、心のざわめきを少しだけ鎮めてくれる。

 二人はキール通りを急がずに歩き、宿舎の扉を押すと室内は仲間たちの笑い声と温かい空気に満ちていた。疲労で重い体もここに戻れば少しほぐれる。

 ソフィーは小さく笑みを浮かべ、マクシムも自然と肩の力を抜いた。冬の海の静かな光景が二人の歩みを柔らかく包み込む。宿舎に戻った瞬間、旅の疲れも総司令部での緊張も、少しずつ日常の空気に溶けていった。——だが、その静けさが長く続くとは、まだ誰も知らなかった。

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