表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/71

第九章⑤ 造船所と中庭と???

 ——その頃。


 港に近い造船所は夜霧と潮の匂いに包まれていた。

 打ち捨てられたように並ぶ船体の影が、月明かりに鈍く浮かび上がっている。

「……この辺りね」

 低く囁いたのはアニータだった。彼女の視線は船底の形、吃水線の高さ、索具の状態を素早く見極めていく。

「帆も生きてるし、補修跡も少ない……逃げるなら、あれが一番早いわ」

「ほ、本当に……ここから出られるんですね……」

 リゼーヌは不安そうに呟きながらも、必死に周囲を見回していた。

 スザンヌは無言のまま一歩前に出て積荷の陰に身を寄せる。その瞬間。

 ——がさっ。

 積み上げられた木箱の裏から黒い影が跳ねた。

「きゃっ——!」

 リゼーヌが思わず悲鳴を上げる。スザンヌは反射的に剣を抜き、影に向けて切っ先を突きつけた。月明かりがぬらりとその姿を照らす。

「……待って!」

 アニータの声が鋭く割り込む。

 影の正体は、人影だった。小柄、身軽で癖のある動き、そして見慣れた輪郭。

「……ペネロペ?」

 月光の下、彼女の顔がはっきりと浮かび上がる。

「ペネロペ!?」

「……よかった。無事だったのね」

「生きてた……!」

 リゼーヌが涙ぐみながら声を上げる。スザンヌも剣を下ろし、安堵の息を吐いた。だが、ペネロペは三人を見渡し、少し首を傾げる。

「……ねえ」

 静かな声。

「三人とも、何してるの?」

「え?」

 リゼーヌが一歩踏み出す。

「逃亡用の船を探してるんです! 隊長を救い出して……一緒に、ここを出ましょう!」

 アニータも頷く。

「あなたも一緒よ、ペネロペ。サミュエルも、ロザリーも……全員で」

 その言葉にペネロペは一瞬、目を見開いた。そして——次の瞬間、視線を落とした。潮騒だけがやけに大きく聞こえる。

「……ごめん」

 目を合わせないまま、そう言った。

「それは……無理だわ」

「……え?」

 問い返す間もなかった。

 何かが動いた。そう認識した時には、もう遅かった。

 左右から同時に飛び出した黒影が三人に襲いかかる。

「なっ——!」

 アニータが振り向くより早く、リゼーヌの腕に縄が絡み、引き倒される。

 スザンヌが剣を振るおうとした瞬間、背後から首元に縄がかかる。息が詰まり、身体の自由が奪われた。

 一瞬だった。地面に押さえつけられ、三人は瞬く間に縛り上げられる。

 月明かりの下、影の正体が姿を現す。

 一人は長身で、無駄のない動き。もう一人は軽やかで、獲物を捕らえる獣のような目。

 名を呼ぶまでもない。見れば分かる。

 ——五鬼衆だ。

 ペネロペは振り返らず、静かに言った。

「……ごめんね」

 その声は震えていなかった。逃亡のための最後の希望は、音もなく締め上げられていた。


 中庭での戦いは熾烈を極めていた。

 夜中の騒ぎで飛び起きた他部隊の隊員たちも剣を携えて乱入し、戦場はもはや収拾のつかない混戦と化していた。その刹那、城の接岸側から異質な喧騒が雪崩れ込む。

「——来たぞ!」

 誰かの叫びが悲鳴に近い調子で中庭を裂く。

「五鬼衆が来たぞ!!」

「……え?」

 ジョルジュが耳を疑うように呟いた。

「今の……聞き間違いかな?」

 だが、否定は次の瞬間に叩き潰される。風が、裂けた。

 次の瞬間、影がそこにいた。翡翠色の双眸が闇を貫き、傷だらけの顔が松明の光を受けて浮かび上がる。刃が舞った。速い。あまりにも速い。致命傷は与えない。だが第八・第九の隊員たちの剣は次々と弾き飛ばされ、地に転がる。兵たちは為す術もなく武器を失い、戦意だけを削がれていく。

「おい、あいつだ……!」

 誰かが震える声で叫んだ。

「あの顔……間違いない……!」

「ルキフェルが来たぞー!!」

 その名が告げられた瞬間、中庭を支配していたのは混乱ではなく、戦慄だった。

 ルソーは目を見開き、思わず叫ぶ。

「な、なに……あの男が……! 一体、なぜこんな時に——!」

 答えはなかった。ただ一つ確かなのは、ルキフェルが一切の迷いなく、一直線にマクシミリアンへ向かっているという事実だけだった。

 マクシムは反射的に剣を構える。次の瞬間。鋼と鋼が激突した。甲高い音が夜気を震わせ、二人の間に火花が散る。鍔迫り合い。至近距離で交わる視線。

「……約束と違います」

 マクシムの声は低くはっきりしていた。刃を握る手に力が宿っていた。

「僕が必ず、大元帥を殺します」

 息を詰め、言葉を刻むように続ける。

「それまで……控えてください」

 だが、目の前の男は今までのルキフェルではなかった。翡翠の双眸は焦燥に濁り、呼吸は荒い。

 今まで"それ"だったものが、ただの人間になっている。ただ、意志だけを抱えて。

「……違う」

 ルキフェルが噛みしめるように言った。

「俺は……お前を止めに来たんだ」

 鍔がきしむ。刃に伝わる衝撃が指先から腕に、全身に走る。

「約束は——」

 一度、言葉が途切れる。

「……間違っていた」

 その一言が落ちた瞬間、剣がわずかにぶれた。

 時間が歪んだかのように戦場の喧騒すら遠く、二人だけに静寂が降りる。

 翡翠の瞳は怒りでも焦燥でもなく、ただ純粋な意志の叫びを宿していた。

「俺は止める。全てを、終わらせるために」

 刃と刃が触れ合う音が夜気に鋭く響いた。火花が散り、戦場の光がルキフェルの背後を白く照らす。


 ブレスト城の外壁沿い。

 一隻の船が闇に溶けるように停泊していた。戦場とは無関係の静けさが、そこにはあった。

 甲板にニールが足を踏み下ろす。海風が髪を煽り、松明の光が鋭い影を甲板に刻む。背後には、サミュエルとロザリー。三人は言葉を交わさず、ただ同じ方向——城を見据えていた。

 ニールは静かに振り返り、二人を見渡す。低く、確かめるような声。

「……君たちも、戦うんだろう?」

 サミュエルが一歩前に出る。迷いのない重みを帯びた声だった。

「ああ。お前たちに尽力しよう」

 その答えにニールは小さく息を吐くように頷いた。

「なら……安心だ」

 次の瞬間だった。ニールが甲板を蹴り、闇へと躍り出る。ためらいは一切ない。

「行くよ!」

 サミュエルとロザリーも即座に続いた。三つの影が夜を裂き、城壁を越えて中庭へ。

 ——もう一つの戦線が、ここに加わる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ