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第八章② ソフィー

 医務室の扉がゆっくりと開き、マクシムが影のように入ってきた。ソフィーの背筋がわずかに強張った。

 マクシムの視線が入室の瞬間から彼女へ真っ直ぐ突き刺さってくる。その目は戦場と同じ冷たさで、部屋の温度がひとつ下がるようだった。

「……グウェナエルと何を話していた?」

 開口一番、マクシムの問い。感情は読み取れない。

 ソフィーは一呼吸置いて、できるだけ穏やかな声で答えようとする。

「彼は……診察に来ただけです。怪我の回復の確認を」

 マクシムの眉がわずかに動く。

「診察、ね。ずいぶん長い診察だな」

「治り具合の判断が必要な怪我ですから。時間がかかるのは当然です」

「そうか。で、君は——あいつに何を言おうとしていた?」

 ソフィーの喉の奥が詰まり、言葉が出るまでに一瞬のラグが生じた。切っ先で胸を試すような問い方だった。

「……患者と医者の会話です。詮索する必要はありません」

「詮索じゃない。確認だ。おれの隊の兵だからな」

 マクシムは一歩近づく。その距離が縮まるごとに、部屋の温度が下がっていくようだった。

 ソフィーはじっとしていた。動けば彼のその鋭さに呑まれてしまうと本能が告げていた。

「隊長。ここは医務室です。必要のない詮索なら、診察の妨げになります」

「……」

 しばしの沈黙。その間、マクシムの呼吸すら凪いだ湖のように微動だにしない。

 やがて——

「……まあいい」

 興味を失ったのではない。切り捨てただけ。何か別のことで頭が満たされているようだった。

 ソフィーは表情を整え、深く息を吸う。

「隊長……傷の具合を診ますか?」

 マクシムは視線を彼女から逸らさず、胸元を軽く押さえた。

「二日おきだ。前回からの変化を確認したい」

 張りつめた空気のまま、診察が始まる。

 ソフィーはマクシムの肩や胸の傷跡に慎重に触れる。触れる指先だけが、わずかに熱を伝えた。傷はほぼ完治しており、わずかに瘢痕が残るだけで炎症や膿の兆候は見当たらない。

「……回復は順調だな」

 マクシムは低くつぶやく。

「はい。もう日常生活に支障はありません。ただし、無理は禁物です」

 ソフィーは医者として淡々と告げるが、目線は彼の表情を追っている。険しい眉、緊張の残る肩の線、その瞳の奥にある、決して消えない怒りの炎。

 マクシムは微かに唇を引き結んだ。

「……無理は……しない」

 声がわずかに遅れた。ソフィーには分かっていた、その言葉が本音でないことを。完治したはずの傷に触れられることで彼の中の脆さや疲労、孤独がわずかに顔をのぞかせる。

 ソフィーはその微かな変化を見逃さず、静かに息をつく。

「隊長……ここまで治ったら、安心して計画に集中できますね」

 マクシムは視線を下ろし、静かに頷く。

「……ああ」

 短い一言。だがその背中には、いつもの鋭い緊張感がまだ残っている。

「よし、もう問題ないな」

「……隊長、これで密書を渡す許可を?」

 マクシムは一瞬だけ目を細め、息を吐いた。

「……ああ。君に託す。これを持って大元帥のもとへ行け」

 マクシムが机の上の密書を引ったくって差し出す。

「……わかりました」

 ソフィーは密書を受け取る。紙一枚のはずなのに、やけに重かった。

 マクシムは一歩下がり、冷たい視線で彼女を見据える。

「命を預けるつもりで行け。手を抜くな。任務を果たせ」

 言葉は簡潔だが、苛烈な覚悟と信頼が混じっていた。

「……はい、隊長。必ず任務を全うします」

 マクシムはゆっくりと頷き、そして無言のまま医務室を出て行く。その背中は依然として炎のように熱く、復讐と責務の光を宿している。

 ソフィーは密書を胸に抱き、静かに息を整えた。


 廊下の影から、見張り役のまま待ちわびていたらしいジョルジュが少し気まずそうに顔を出した。

「おはよう、ソフィー。ちゃんと生きてたか?」

 緊張感の漂う任務の朝でも、やはり同期らしい気楽さがにじむ。

「ええ、いつも通り。ジョルジュは?」

 軽い応答だけで、互いに呼吸を合わせられる感覚がある。

「ボクは元気だ。さあ、行くぞ」

 ジョルジュの声に力がこもる。二人は宿舎の入り口前を抜け、石畳を踏みしめながらブレスト城へ向かう。冷たい冬の空気の中、互いに視線を交わすだけで意思疎通が成立する。

「今回は絶対に失敗できないね」

 ソフィーがつぶやくと、ジョルジュは小さくうなずき、軽く肩に触れて合図する。

 城門の前で足を止める二人。石造りの城壁に反響する足音が、緊張感をさらに引き立てた。

「さて、ここから先は気を抜けないね」

 ソフィーは軽く笑みを浮かべつつも、手元の密書をしっかり握る。

「まあ、君がいれば大丈夫だろ。ボクたち、昔から息が合うじゃないか」

「ええ、そうね。息が合うといえば、昔みたいに勝手にツッコミ合う感じで?」

 ソフィーが軽口を返すと、ジョルジュは肩をすくめて笑った。

「それな。あの頃と何も変わっちゃいないな、ボクたち」

「じゃあ、行こうか。息の合う二人組として、堂々とブレスト城に入ろう」

「おう、任せろ。密書も君も、ボクがしっかり守る」

 深呼吸をして視線を正面に向け、二人は肩を並べて城内へ歩を進めた。

 かつての同期としての呼吸の感覚が、互いに背中を預け合う力となった。——もう、後戻りはない。

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