第七章⑧ ソフィー
マクシムが自室へ去った後、執務室には隊員たちだけが残った。
重厚な机の周囲には、緊張と期待が混じった空気が漂う。
誰も口を開かず、ただ窓の外を見つめたり、机に手を置いたりして沈黙を保っていた。
やがて、沈黙を破るようにシャルルが低く呟く。
「……計画が無事に終わったら、どうしようか」
ダヴィットが肩越しに笑みを浮かべる。
「それはなぁ……一応、港まで出て、リー・ウェンの船に隠れて帰るしかないだろうな」
ジョルジュは腕を組み、考え込む。
「でも、ブレスト城から出るまでが問題です。警備は厳重だし、城内で騒ぎを起こせば足取りはすぐにばれます」
アニータは机に肘をつき、静かに視線を落とす。
「……それでも、隊長の計画は成功させたい。私たちの動き次第で、なんとか逃げ切れるはず」
シャルルが重々しく頷き、短く息を吐く。
「確かに、失敗は許されない。けど、万一捕まった場合は……どうにかするしかない。幻覚剤はもう手元にないし、後は知恵と運次第だ」
ジョルジュが軽く笑みを漏らす。
「運か……まぁ、隊長について行くならそれも仕方ないか」
アニータが小さく笑い、ふとダヴィットを見やる。
「ダヴィット、また船酔いしないでよね」
「はは、心配無用だ」
リゼーヌが眉をひそめ、静かに口を開く。
「あれ、でもリーさんの船って、サミュエルさん達が乗っていったと思うんですけど……」
リラが唇を引き結んだ。
「そう。つまり、今の私たちには逃げ道がない」
ジョルジュが腕を組み、重々しくため息をつく。
「だからここでやるしかないんですよね」
グウェナエルが一歩前に出て、鋭い視線を仲間たちに向けた。
「ちょっと考えたんだが……隊長と大元帥が接触してるその裏で、俺たちも万が一のためにブレスト城にいた方がいいんじゃないか?」
スザンヌが眉をひそめる。
「でも……私たちが動けば、逆に怪しまれませんか?」
「隊長を一人で行かせる気か?」
グウェナエルは険しい表情でそう切り返した。
「奇襲だってあり得る。だから俺たちも城内に侵入して、隊長の護衛をすべきだ。必要であれば、城内で争いになってもかまわん」
アニータは少し黙った後、冷静に頷く。
「なるほど……確かに、万全を期すならその方がいいかもしれない」
ジョルジュも拳を軽く握り、口を開いた。
「隊長の安全が最優先だ。ブレスト城内で万が一の事態に備えるのは、理にかなってる」
ダヴィットは窓の外をちらりと見ながら、低くつぶやく。
「……城内に潜入か……いや、やるしかないな」
スザンヌが軽くため息をつき、少し首を傾げながら口を開いた。
「それにしても、隊長って計画を急ぐイメージがあったのに、今回はどこか慎重というか……悠長ですね」
リゼーヌが視線をスザンヌに向ける。
「怪我のこともありますしね……無理はできませんから」
スザンヌはさらに続ける。
「それに、島に行った御三方を待っているのでしょう。計画は彼らの報告を受けてから、本格的に動くつもりなのかもしれません」
グウェナエルが軽く肩をすくめ、苦笑する。
「慎重にならざるを得ないんだろうな。隊長も人間、怪我がある以上は無理できん」
そこにシャルルが、ふと静かに口を開いた。
「……二月十八日は——」
一瞬、彼が間を置く。
「《双星の会戦》から、ちょうど二十年だ」
リゼーヌが驚いたように目を見開く。
「なるほど……それも一理ありますね」
グウェナエルは腕を組みながら、少し顔をほころばせる。
「復讐の重み、覚悟の深さ……そういうものを、隊長自身が一番分かっているということか」
ジョルジュは窓の外を見据え、静かに頷いた。
「計画の全貌も大事ですが、隊長の心構えを理解することも同じくらい大事ですね」
ソフィーの胸の奥で、微かな違和感が膨らんでいた。
「待つ」という言葉。
それは、時間の話じゃない。
ルキフェルとマクシムが波止場に立っていたあの日。互いに交わした、生き延びる約束。波の向こうに消えていく小型ガレオン船。あの光景が、静かな執務室でソフィーの心に鮮明に映し出される。
「……理解していても、やっぱり怖い」
復讐の道を進む者の孤独。待つことの重さ。その一端を垣間見て、ソフィーの胸には複雑な思いが渦巻いた。
「どうしたの? ソフィー、何が怖いの?」
アニータが真剣な声で尋ねると、瞬間、執務室の全員が一斉にソフィーに視線を向けた。
シャルル、グウェナエル、リラ、スザンヌ、リゼーヌ、ジョルジュ、ダヴィット……その顔に共通するのは緊張と期待。ソフィーはたじろぎ、視線を床に落とす。
「そ、そんな……私は……」
言葉が途切れ、声が小さく震える。
ダヴィットが前に一歩踏み出し、落ち着いたが力強い口調で促した。
「ソフィー、知ってることがあるなら、教えてくれ。黙っているより、みんなで分かち合った方がいい」
ソフィーは一瞬、仲間たちの視線に押し潰されそうになる。だが、その背後には波止場でマクシムが静かに立つ姿と覚悟を秘めた瞳が浮かんだ。
「……わかりました」
彼女は小さく息をつき、覚悟を決めるように顔を上げた。
「皆さんに話すことがあります」
ソフィーは深く息をつき、仲間たちの視線を一身に受け止めながら口を開いた。
「エドガー・ロジャースが死んだあの日、隊長とルキフェルは互いにある約束を交わしていました」
全員が一瞬息を呑む。
「その約束は……こうです。『自分が野望を叶えたその時、ルキフェルが自分の命を貰い受ける』」
グウェナエルが思わず顔を曇らせる。リラは唇を噛み、シャルルは軽く眉を寄せた。
沈黙がひと呼吸、落ちる。
「隊長は……自分が死ぬことを前提に動いているんです」
ダヴィットが前に出て、力強く促す。
「それって……本当にマクシムが、全てを覚悟しているってことか?」
ソフィーはうなずく。
「ええ。そして……ルキフェルの言葉があって、マクシムはこうも言いました。『あなたに殺されるのもいいなと思っています』——これを聞いたとき、彼は自分の命がどうなろうとも野望を成し遂げる覚悟を固めたんです」
アニータが息を飲む。
「そ、そんな……隊長……」
皆の視線がソフィーに向かう。恐怖、驚き、そして覚悟。それぞれが入り混じった複雑な表情。
ソフィーの告白が終わり、しばしの沈黙が執務室を包む。やがて、グウェナエルが静かに鋭い声で口を開いた。
「そんなことはさせない……隊長には、必ず生きていてほしい」
彼の言葉には怒りと願い、そして仲間としての強い覚悟が滲んでいた。しかしすぐに、彼の表情は少し険しくなり、舌打ちが小さく響く。
「……それにしても、計画が実行される際は五鬼衆の存在も視野に入れないといけないのか。厄介だな」
リラが軽く肩をすくめ、苦笑する。
「隊長のためとはいえ、相手も手強いですね」
シャルルは静かに頷き、重い空気を受け止める。
「万全を期すなら、全ての可能性を考えないといけない。予想外の障害も含めて」
アニータは小さく息をつき、ソフィーを見やる。
「ソフィー、あなたが怖がるのも無理はない……でも、みんなで支えれば、乗り越えられるはず」
ダヴィットが軽く拳を握り、真剣な眼差しで皆を見渡した。
「わかった、じゃあこうしよう」
一呼吸置いて、言葉を続ける。
「とりあえず、島に向かった三人が戻るまで計画の実行は遅らせる。無理はしない」
グウェナエルが眉を寄せ、問いかける。
「それで、隊長の護衛はどうする?」
ダヴィットは力強く頷く。
「もちろん引き続き隊長を守る。大元帥が死んだあと、絶対ブレスト城は大騒ぎになるから、リー・ウェンの船を使って、とにかく遠くまで逃げる」
その視線がさらに鋭くなる。
「その途中で五鬼衆が現れたら? 攻撃も退ける。必要があれば殺す」
ダヴィットの提案に頷きながらシャルルが補足する。
「ペンフェルド川沿いの造船所に、リー・ウェンの船を着けておこう。実行後、すぐに逃げられるようにね」
リラも頷き、手を軽く握り締めた。
「なら、隊長の護衛もスムーズにできる。城を離れるタイミングも計算できそうよ」
グウェナエルは舌打ちしつつ眉をひそめる。
「やることが多すぎるな……向こうが何をしてくるか分からん。万が一の奇襲も視野に入れながら動かないと」
シャルルは地図を広げ、ブレスト城周辺の地形を示す。
「造船所までの道筋はこうだ。城壁沿いに抜け、倉庫街を通る。街灯は少なく、人通りも夜はほとんどない。逃走ルートを確保しつつ、警備が少ない隙間を使えば安全に港に着ける」
リラは指で港の位置を辿りながら言う。
「船はすぐそこ。倉庫は影ができやすい分、灯りがない。足音や物音には気をつけないと」
グウェナエルは指を折って計算する。
「監視塔の視界も考慮しないと。巡回兵がいつ動くかは分からない。万が一見つかれば即座に交戦だ」
アニータが冷静に締めた。
「造船所まで逃げ切れたら船を確保して、帆を上げる。追手は城内に置き去りにできる」
ソフィーは小さく息をつき、地図に示された街路を目で追った。街灯の少ない夜道、ところどころに巡回兵の影。遠くに微かに光る港の灯台。
ダヴィットが静かに言った。
「隊長が死ぬ覚悟ならで——俺たちは、生かす覚悟だ」
誰も何も言わなかった。だが、執務室に残った全員の目には、同じ光が宿っていた。




