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第七章⑤ ソフィー

 石壁の冷えた医務室。窓から差し込む朝の光に照らされ、ベッドに横たわるマクシムは汗に濡れた額を苦しげに歪めていた。

 ソフィーは彼の額に静かに手を当て、熱の高さを確認する。

「……かなり高い。肺に異常はないけれど、熱が急激に上がっているわ」

 彼女の声は冷静だが、その眼差しには深い憂慮があった。背後で腕を組んで見守っていたグウェナエルが低く鼻を鳴らす。

「まったくよ。この間の覚悟だのなんだのって姿は何だったんだか。こんな高熱でぶっ倒れてるとはな。情けないにもほどがある」

 その横でリラが肩を竦めて苦笑する。

「まあ、人間ってのはそんなもんでしょ。格好つけた後に転ぶのも、英雄の常ってやつ」

「はっ、英雄だぁ? ただの病人だ」

 グウェナエルは吐き捨てるように言ったが、その視線には薄い苛立ちとどこか心配の色が滲んでいた。

 ソフィーは二人のやりとりに耳を傾けながら、冷水で濡らした布をそっとマクシムの額に置く。

「情けないかどうかは……この熱が下がってから決めましょう」

 彼女の声は毅然としていて、それが場の空気を静かに引き締めていた。

 その時、医務室の重たい空気を破るように扉が軽く叩かれた。

「失礼」

 顔を覗かせたのはシャルルだった。

「三人は無事に出港したよ」

 彼はきちんと敬礼しながら報告する。その姿に、ソフィーは小さく息をついた。

「そうですか……良かった」

 彼女は心からの安堵を声にしながらも、視線は熱に浮かされて汗を滲ませるマクシムから離れない。

「……にしても」

 グウェナエルが腕を組み、苦笑まじりに呟いた。

「隊長が不在のまま、もう計画が動き出してるってのは……笑えねえな」

「ほんとにね」

 リラも頷く。

「昨日まで『必ずやり遂げる』とか言ってた人が、この有様じゃあ」

「静かにしてください」

 ソフィーは鋭い声で二人を制した。

「隊長の容体は私が診ています。あなた方は余計なことを言わないで」

「はは、怒られた」

 グウェナエルは肩をすくめ、リラと顔を見合わせて小さく笑った。

 シャルルはそんなやり取りを眺めながら、ほんの一瞬だけ目を伏せる。

「……こんな大事な時に寝込むなんて。らしいといえば、らしいが」

 医務室の空気に沈黙が戻ったかと思った瞬間、マクシムが低く唸る声を漏らした。

「……全部、聞こえてますよ」

 その声に背後のグウェナエルとリラが一瞬息を飲む。

 ソフィーの視線は瞬時にマクシムに向かう。

 マクシムはゆっくりと目を開き、熱に赤く染まった瞳でソフィーを捉えた。そのまま、上体を起こそうとする。片手で胸をかばい、もう一方の手でベッドの縁を掴む。

 ただの寝ぼけではない。痛みを庇っている。

「隊長、無理は……」

「大丈夫、心配無用です。……少しだけ、座りたかっただけ」

 マクシムの言葉と不自然な起き上がり方に、ソフィーの胸は軽くざわついた。

 背後のグウェナエルとリラも気づいたのか視線を交わし、微妙に手を止めた。

「失礼しますよ、隊長」

 ソフィーが言葉とともに、慎重にマクシムの上着の前を開く。包帯に覆われた胸と腕、そして滲む新しい血。ルキフェルとの戦いで負った古い傷、先日のサン・マロでの戦闘の傷がまだ身体を蝕んでいる。血の匂いと熱気が微かに混じり、ソフィーの手が一瞬止まった。

「やはり、無理している」

 彼女は消毒と包帯の交換を始める。

「痛むところはありますか?」

 マクシムは唇を引き結び、少し顔をしかめる。

「……少しな」

 その声にソフィーはゆっくりと頷き、強く手を押さえずに新しい包帯を巻き直す。

 グウェナエルがそっと肩越しに覗き込み、ため息をついた。

「まったく……あんだけ覚悟見せたのに、これじゃまるで子どもみたいだ」

 リラも小さく笑みを浮かべながら、腕組みして言う。

「まあ、隊長も人間だから……無理は禁物」

 ソフィーは包帯を丁寧に巻きながら声を落とす。

「復讐の道に進むと覚悟したんでしょう?」

 マクシムは少し苦笑いし、身体を庇いながらも返す。

「言いたいことはわかっている。お前に言われるまでもない」

 ソフィーはマクシムの肩越しに優しく視線を送った。

「それなら、言わせてもらいますけど。覚悟したなら、自分の身体をちゃんと目的のために温存させないとダメじゃないですか」

 マクシムは一瞬、視線を逸らしたまま沈黙した。だが、痛みでしかめた顔の奥に、少しだけ柔らかさが見える。

「……わかっている。けど……」

 言葉を詰まらせながらも、マクシムはゆっくりと頷いた。身体の痛みに耐えながらも、その瞳には以前のような鋭さが戻りつつあった。

「このままじゃ、目的も達成できない……そうでしょう?」

 ソフィーは静かに言葉を重ね、手でマクシムの肩を軽く支えた。

「……確かに……君の言う通りだ」

 マクシムは苦笑混じりに返すと、グウェナエルとリラ、シャルルも横で顔を見合わせ、微かに頷く。

 全ての包帯を巻き終え、ソフィーは端を整えながら軽く息をつく。

「これで少しは動きやすくなると思います。隊長、次の行動に備えてください」

 マクシムは軽く肩を動かす。

「……ああ、どうやら生きていられそうだ」

 マクシムはゆっくりとベッドに背を預け、痛みを堪えながらも皆を見渡す。

「……ありがとう。でも覚えておけ。復讐の道に進む者は、痛みも恐怖も抱える。無理に手を差し伸べられると思うな」

 ソフィーは微かに肩をすくめる。

「だからこそ、今は守るんです。隊長が道を全うできるように」

 ソフィーはベッド脇でマクシムの以前の包帯を整えながら、ふと顔を上げてシャルルに声をかけた。

「シャルルさん。計画の進行状況も気にかけつつ、隊長の身体もちゃんと労わるようにしてください」

 シャルルは少し眉を寄せながら答える。

「襲撃は二月十八日にどうしても行いたいと、隊長自身が言っていた。だから進行を遅らせるわけにはいかない」

 ソフィーは少し言葉を選びながら言った。

「なら、確実に仕留めたいなら今すぐはやめてください。隊長の傷はまだ完治していません。無理をすれば復讐の成功どころか、取り返しのつかない事態になります」

 シャルルは一瞬黙り込むが、ソフィーの言葉の重みを理解して軽く頷いた。

「……わかった。隊長の体調を優先する。無理な行動はさせない」

 マクシムはベッドに横たわりながらも、微かに目を細めて苦笑する。

「……お前も、随分と口が達者になったな」

 ソフィーは包帯を最後に整え、軽く息をついた。

「隊長を無駄に失わせないためです。復讐の道を進むなら、体あってこそですから」

 グウェナエルが不満そうに唸り、リラが小さく首を振る。

「しかし、あの身体で本当に次の行動に耐えられるのか……」

「やると言った以上、止めることはできないんでしょうけど」

 シャルルが小さく笑い、目を細めて頷く。

「隊長、今日は無理せずに休んでくださいね……明日の準備もありますから」

 マクシムは痛みに顔をしかめつつも、わずかに微笑む。

「……休むか。少しの間だけだが」

 医務室には、痛みと緊張の隙間に、ささやかな安心感が漂った。

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