第七章④ シャルル
朝の光が港を淡く照らす。波間に揺れるリー・ウェンの船がゆっくりと桟橋に接岸した。
シャルルは宿舎前に立ち、選ばれた三人──サミュエル、ペネロペ、ロザリー──を迎え入れる。
「船が着いた。すぐに出発だ」
シャルルの声は冷静だが、どこか緊張感を孕んでいた。三人は頷き、装備を整える。マクシムはこの場にいない。
「まずはサミュエル、ペネロペ、ロザリーをエル・イエロ島へ向かわせる」
彼の声がシャルルの頭の中に木霊する。マクシムの声は静かだが、そこには揺るぎない決意があった。
三人に与える任務は単純で重要だ。
島の人々の安否を確認し、マクシムの計画がいよいよ実行に移ることを報告する。
その報告が、以後の全ての行動の起点となる。
シャルルは三人を前に立たせ、指示を丁寧に伝えた。
「島に着いたら、まず住民の安全を確認すること。そして私達の計画が本格的に動き出すことを必ず報告してくれ」
三人は無言で頷く。言葉は少ないが決意は確かだ。
シャルルは地図を片付けると、ふとポーチに手を伸ばした。小さな青い小瓶が静かに揺れる。
「さて、君たちにはこれも持たせる」
ペネロペ、サミュエル、ロザリーが視線を集める。
「これは、《夢蛇》の蔓と《天眼樹》の皮を合わせて作った幻覚剤だ。状況次第では、君たちや島の住民の安全を守るために使うことになる。用法は慎重に。絶対に軽々しく使うな」
ロザリーが眉をひそめる。
「……危険ね」
シャルルは頷き、注射器とともに小瓶を三人に手渡す。握った手が微かに震えるのは覚悟と緊張が交錯しているからだ。
「使い方はシンプル。予め注射器にこの液体を入れておき、相手の隙をついて注入。絶対に安易に手を出すな」
三人は静かに受け取り、うなずいた。
「万が一の時にだけ使え。理解したな?」
「はい」
三人は同時に答える。目に光る決意は、マクシムの炎に照らされた覚悟と呼応している。
シャルルは静かにうなずき、港を見つめた。
「さあ、行け。君たちの判断に任せる。これが、我々の計画の第一歩だ」
朝日に照らされる港の波間に、小瓶が揺れる。
危険と責任、そして覚悟の象徴として、三人の掌で静かに光を反射していた。
三人は桟橋を歩き、リー・ウェンの船へと向かう。船の甲板に足を踏み入れると波の揺れが小さく体を揺らし、風が頬を撫で、港の匂いが鼻をくすぐった。
サミュエルは舷側に手を置き、目の前の海を見つめた。
普段は冷静な彼も、仲間たちと共に進む決意を思うと胸が高鳴る。
人を動かすより船を動かす方が、自分にとって自然だと考えていた彼だが、今回は違う。
故郷を思い、マクシムのために動く自分を認めざるを得ない。
ペネロペは小さく拳を握り、心の中で誓った。
「海賊上がりの私でも……この人たちのためなら全力を尽くす」
過去の自分なら躊躇したかもしれない決断も、今は迷いがない。隊長に命を預ける覚悟が胸を熱くする。
ロザリーは甲板の先端に立ち、遠くに広がる水平線を見据える。
「どこへ行くか迷っていた私の航路を、あなたが定めた……」
王宮を切り捨てた自分が、初めて明確な目的を持ったことに微かに胸を震わせる。
復讐のために進む道だとしても、この航路は彼女にとって唯一の解放でもあった。
その時、シャルルの声が再び甲板に響く。
「島に着いたら、状況を確認すること。万が一の時は幻覚剤を使え。ただし、冷静に判断しろ」
小瓶を握る手に力を込め、三人は互いに目を合わせる。
「わかっている」
船がゆっくりと桟橋を離れる。波を切る音が、これから始まる旅の緊張と覚悟を伝える。
ペネロペは心の奥で、サミュエルは目の前の海に、ロザリーは過去と未来に、それぞれの決意を刻む。
港が遠ざかるにつれ、三人の心には静かな共鳴が生まれる。
復讐の炎に照らされながらも、互いの覚悟と使命が確かに重なり合う光として。
船は水平線の向こうへと進んだ。海風が髪を揺らし、波間には朝日の光が反射して煌めく。
「計画は始まった」
三人は口を閉ざしたまま進む。言葉よりも、胸に宿る覚悟と不安と希望が彼らを前へと押していた。
波間を進む船の上、風の音に紛れてペネロペがぽつりとこぼす。
「……メリッサ、あのとき言ってたよね」
サミュエルが視線を上げる。ロザリーは静かに頷いた。
「『復讐なんて大嫌い。みんな仲良くすればいい』って」
ペネロペが言葉にした途端、三人の胸にメリッサの笑顔がよみがえる。
サミュエルは舵に寄りかかりながら苦々しい声を絞り出した。
「皮肉だな。僕たちは今、その真逆に向かってる」
ペネロペは唇を噛み、瞳を伏せる。
「そう……叶えてあげられなかった。彼女が望んだ未来を」
ロザリーの声は震えていた。
「……なのに私たちはこの道を歩いてる。どうしても」
三人の間に、重い沈黙が落ちる。しかしサミュエルがやがて息を吐き、前方の水平線を見据えた。
「だからこそ、覚えておかないといけない。あの子が本当に望んでたものを。僕たちがどこまで行っても、忘れちゃいけない」
ロザリーは目を閉じ、強く頷く。
ペネロペもまた、拳を握りしめながら呟いた。
「……そうね。メリッサの言葉は、消えない」
——けれどその願いは、マクシムには決して届かないだろう。
船はなおも南西へ。
メリッサの願いを胸に抱いたまま、しかしその願いと逆行するかのように順調に航路を進んでいった。
三人を乗せた船が港を離れ、白い帆が朝日に溶けてゆくのをシャルルはじっと見送っていた。潮の香りと共に、船体のきしみがかすかに遠ざかっていく。
「……行ったな」
小さく呟き、胸の奥で安堵と不安が入り交じるのを覚える。
彼らはきっと使命を果たすだろう。だが、ふと背後の静かな宿舎を思い出してシャルルは口の端を苦く歪めた。
「それにしても……こんな肝心な時に、隊長はなんで寝てるんだか」
苦笑とも溜息ともつかない息を洩らす。
冗談めかして言いながらも、その目にはわずかな翳りが差していた。




